2011年3月20日日曜日

「現代アート、超入門!」藤田令伊

絵を飾りたいと言う発心から、どうもあれこれ思いあぐねているんだけど
自分に「しっくりくる感」をもっと知りたくて入門書を手にとってみた。

ところで入門書ってなんか、恥ずかしいよね。

本にカバーつけない主義(理由:邪魔だから)なわたしですが
さすがに堂々と「入門書」って書いてあると電車で人目が気になったりしてネ。えへへ。
しかし敢えて恥を晒してみちゃったりしてね、うふふ。

さて、この本、わりに面白かったです。
新書でたまにいいのに巡り合うと、ツイてるなぁ!って思います。
それくらい新書で良書って稀だと思うんですが。

ええっと、話が逸れちゃった。
アートの解説ってどうなの?邪道?
自分の感性で観れば十分じゃないの?
っていうのが基本姿勢な皆さん。とゆーか、わたし。
とにかくまあこの本に書いてあったことは至極簡単でした。

現代アートは意味不明。かつ美しくない。

つまり、美しくないとは、美を求めないことだ。
それこそが、現代アートだ。以上、終わり。
あ、終わっちゃった。

芸術が美を求めないって、意外ではありませぬか?

もちろん、求めても良いわけなんだけど
なんとゆーか、単純で素朴な「美」は失われてしまった。
神や仏、それに付随する人や行為の美しさ、崇高さを賛嘆するような絵画は失われ
心の内面や現代の諸問題(病理といっていいかな)を表現するほうへと急速に傾くと
それは必ずしも美しい絵とはならなかった。
とゆーか、人によっては絵ですらなくなったりして。
ありとあらゆる表現が、ゲイジュツたり得るようになった。
もう、何でもアリ。言ったもん勝ち。やったもん勝ち。
そんな途方もない世界になっているのが現代アートだというのです。

読んでみれば、ほほー。なーるほろ。そーかそーか。となります。たぶん。
あの有名な絵はこういうことだったのか!的な。
そういう意味で満足度の高い本です。


美しくない絵画、今では当たり前になっていますね。
ピカソとか、ダリとか、ゴッホとか、描かれているものは歪められデフォルメされ、
決して美しいとは言えない。
それはそれで時代、時代に特定の意味性があるのだとは思うのだけれど
さて、読後に思ったのは
それでもやっぱり人間には(ま、とりあえずわたしには)「美しさ」を求める心があると。

現代アートには強烈なインパクトはあっても、人々の求める情緒的な美しさがないように思う。
芸術家は、「美」を捨ててしまったの?


現代アートの旗手達が徹底的に破壊した「美」の手法は、古典的ではあっても、
いまもなお多くの人の心を虜にするでしょう。
美しいものには力があるから。

だからそう、芸術は爆発かもしれないけど、美しさは爆破しないでほしいのです。


2011年3月16日水曜日

「KAGEROU」齋藤智裕

一日一冊。
基本的なコンセプトとして、生きている作家の作品は読まない。
がっかりする&時間の無駄だから。
村上春樹、宮本輝は除外。
春樹は好き。輝はそれほどがっかりしないから。

というわけで、古典や名著ばかりを読み漁る毎日ですが、
最近この方針を自ら破りまして「KAGEROU」を読みました。

酷評ですね、アマゾンのレビュー。
原因として、文章力の拙さが一番ではないでしょうか。
人物描写、背景描写など、あまりに情報が少なく、
これでは小説ではなく漫画か何かを読んでいるようです。

しかし、敢えてわたしは言いますが、この本は良く書けています。
ストーリー、十分に面白いと思います。
素直な人が書いた、素直な小説。
そんな印象でした。

もっと面白く読ませようとするなら、もっと意地悪い設定やダイナミックな展開も必要でしょうが
作者自身がとても素直なせいか、登場人物はやさしい人ばかり、不幸に不幸を重ねるような展開はありません。

この本はそれでいい気がします。
さらりと読んで、ふわっと心温める、そんな感じでしょうか。

ただ、タイトルは変えたほうがいい。
「KAGEROU」?なんのこっちゃ。

2011年3月3日木曜日

絵の話

突然ですがね、絵を飾りたいんですよ。部屋に。そう、壁に。
殺風景な部屋だなと薄々勘付いてはいたんですが
なにしろ踏ん切りがつかないとゆーか、勇気が足りないとゆーか。

人の家に行くとさ、玄関とかリビングとかにその家の不幸を一心に体現したような訳の分からない絵が、呪いでも掛かってるんじゃないかと思うほど悪趣味なドライフラワーとセットで飾ってあるじゃないですか。
音にすると単純だけど、どよーん、的な。ね、わかるでしょ?
そういうの見ちゃうとね、居たたまれない気持ちになっちゃうわけです。
なんでこの絵なの?
何がいいの?何の目的なの?誰をどうしたいの?心安らぐとでも思ってるの?!
って言いすぎ(笑)


それで自分の部屋に飾る絵って図らずも慎重になっちゃうわけです。
ああはなりたくないと。

だけどそんなに構えていたら来世までこの悩みを持ち越しちゃいそうだし、
絵画を語るなんて本当に恥ずかしくておこがましいけれど
美術鑑賞も何気なくさらりと頻繁に足を運ぶワタシなわけですよ。
東京に住んでいることの楽しさのひとつですからね。

やっぱり三十路になってさあ何をする?って考えたときには
はじめの一歩を踏み出すのは絵じゃないか、と思ったのです。


さてあなたはどんな絵が好きですか?
これはもう完全に趣味の世界ですからね、誰にどうこう言われるものじゃないですよね。
でも自分の好きな絵って本気で考えてみたことありますか?
たった1枚、部屋に飾るのを選ぶとしたら・・・。
とても難しいことですよ。

わたしは小学生のころからピカソが好きでした。
ピカソといえば、彼の書いたどんな絵でも、大いにピカソ的なところが好きなんです。
そこで絵を飾るならピカソか、とも思いましたが(もちろんレプリカですよ)
ちょっとまだ荷が重過ぎる気がして完全に腰が引けてしまいました。

ピカソのこんなヤツ↓↓ならベッドのわきにでもいいと思いますけどね。



かわいいでしょ。
このシリーズは結構好きです。









ま、ピカソは後々にとっておくとして。
ネットで絵探しを始めました。
わたしは昔から抽象画が好きなんです。
性格ですかね、考えも行動も大雑把なのでタッチの細かい絵は好きじゃないわけです。

ちなみに飾るのはここ↓↓



明るい色、ピンクとかイエローとか。
それで、ちょっとパンチの効いたもの。 









今の気分でいくつかピックアップしてみました。


 ポール・アイズピリ
 「オレンジのテーブルの青い水差しの花束

いい感じなんだけど、横長の絵を探してるんだよね。









ベルナール・カトラン
「ビクトリア調の花瓶とレモンバスケットのある静物」

これもなかなか好き。






ジョルジュ・ブラック
L'Oiseaux Bleu et Gris」


ま、タイトル読めませんけどね。
これも縦長なんだよねー。





アンリ・マティス
「ナイフを投げる人」

まあどうしてナイフを投げる事態に陥ってしまったのか
その辺が気がかりですけどね。


マーク・ロスコ
「無題」

ロスコに関しては何が描かれてるとか
そういうの考えちゃダメよね。
無題なわけですよ。






ワシリー・カンディンスキー
「連続」

うん、画集持ってるんだ。
こういうのもいいかも。






ジャン・ミシェル・バスキア
Michel, Molasses, 1983

これ、かなりイイと思うのです。
第一候補。








ゲルハルト リヒター
「Tisch 1982」

 ティッシュってティッシュかと思ったら、ドイツ語で机のことだったんだね。

きれいな色なわけですが。

 

 

 

 

 

 

 
ロバート・マンゴールド
「Curled Yellow Figure」

 もういっそのこと黄色ね。潔いよね。


 

 

 

 

 

さて、どれが良かったですか。率直に。

絵を選ぶのって難しいですよね。
そんなに深く悩まずにバーローって感じで選んだほうが粋かもしれませんが。

実物見たほうがいいんだろうから、お給料入ったらギャラリーでも散策してみます。
ホントはギャラリーとか入ったら買わなきゃいけなくなりそうで怖いんだけどさっ。

虎穴にいらずんば虎児を得ずってことわざもあるしね。

無事に飾ることができたら写真とともにお知らせします。


服についての考察

考察なんてね、だいそれたもんじゃございませんよ。
タイトルつけたそばから言い訳しちゃったりして。

たださ、最近どんな洋服を着ていいのか分からないんです。
「さっぱり分からなくなっちゃった。」ってほうが言い回し的には合ってるかな。
服なんて、クローゼットにブチこんであるものを適当に選んで
バーローって感じで着ればいいのですけどね。

でも、手持ちのどの服も、好きじゃなくなってしまった。
街に出て、ウィンドウショッピングしても楽しくなくなってしまった。
心躍る体験を洋服から感じなくなってしまった。

面倒くさいとか、興味がないとか、そういうものでもないんです。
ただ、今まで自分はどんな基準で服を選んできたのか、さっぱり思い出せないのです。
これからどんな格好をしたら満足するのか、よく分からなくなってしまった。
好き、なものが見えなくなってしまった。

そんな経験ありますか?

これは個人的にはわりと一大事なんです。
「好き」が見えない世界で生きるのは大変なことだと気づいたのです。
わたしに見えるのは、すべての境界線があいまいで、
のっぺりとしていてモヤがかかったような世界なのです。
この世の終わりの気分。
もちろん、服に関してですが。

これからの人生で、自分が着る服を真剣に考えなければならないと、最近思うのです。
色と素材、スタイル、テイスト。
これらを早急に考えなければならないのです。
そうじゃないと裸で街を歩きかねない。
もうどうでもいいやーって思っちゃう寸前ですもん。

本当に好きな服を着たい。見つけたい。
これが本音。
ファッションが自己表現のひとつの確実な手段だとしたら、
わたしのスイッチは完全に切り替わったのだと思います。

10代の終わりから20代の前半にかけて、ロングスカートばかり履いていたのは
自分を必要以上に強く見せるためだったのだと、ようやく気づきました。
地面すれすれのスカートを揺らして大きな歩幅で歩く。
強さ、エレガンス。
自分にないものをファッションに転化して。
長いスカートの中に、さまざまな思惑を隠して。
足元見られないようにね。
あのとき、確かに自分流のスタイルがあった。

その後は迷走。
流行の安い服を適当に選んで着ていました。
はっきりとしたスタイルもなし。
色もバラバラ。
中途半端な服ばかり。

でも、もうそういう気分じゃない。
もう一度、自分のスタイルみたいなものを探さなければならない。
強く見せる必要もなければ弱さを身にまとうつもりもない。
等身大のファッション。

とうとう、ファッションと向き合うときが来た。
一度こういう状態になると、さんざん格闘しなければならない性分なのです。
服と戦うなんて、ちょっと変だけど。


さて、どうなりますかね。
なにか見つけたら、また書きます。

心に太陽を持て―山本有三

― 心に太陽を持て ―

心に太陽を持て。
あらしが ふこうと、
ふぶきが こようと、
天には黒くも、
地には争いが絶えなかろうと、
いつも、心に太陽を持て。

くちびるに歌を持て、
軽く、ほがらかに。
自分のつとめ、
自分のくらしに、
よしや苦労が絶えなかろうと、
いつも、くちびるに歌を持て。

苦しんでいる人、
なやんでいる人には、
こう、はげましてやろう。
「勇気を失うな。
くちびるに歌を持て。
心に太陽を持て。」


さて、どのようにして心に太陽を持ち、ほがらかに歌うように日々生活できるのか。

この本は、その答えが書かれた希望の一書。