2010年10月31日日曜日

「十二夜」シェイクスピア

喜劇です。

海で船が難破して双子の兄妹がそれぞれ離れ離れに。
別々の人に助けられにお互いに死んだと思い込んでいる。

妹は男装してセザーリオと名乗り、恋焦がれていたオーシーノ伯爵に仕える。
オーシーノ伯爵は、ある美しい女性オリヴィアに恋していて、
恋心を伝えるためにセザーリオを使いに出す。
セザーリオを見たオリヴィアは本当は女性であるセザーリオに恋をしてしまう。
これで三角関係が成立。

しかし顔がそっくりの双子の兄が登場して話はもっと複雑に・・・!!

文句なく面白いです。
ハッピーエンドですが、ひと味辛味を効かせているあたり、シェイクスピアらしい。


笑えるのが、ちょっと頭の悪いお坊ちゃんのアンドルー(オリヴィアに求婚中)が、
悪い仲間にせかされてセザーリオに決闘を申し込む果たし状を書いてくるシーンがあります。




アンドルー:ホレ、果し状だ。読んでくれ。思いっ切り、辛味とスゴ味、きかしといたからな。

トービー  :よし、よこせ。(読む)「バカヤロー。テメェが何者だろうと、テメェはコノヤローだ」

フェビアン:いいねえ、勇ましいねえ。

トービー :「驚くなかれ、呆れるなかれ、ボクがなぜお前をそう呼ぶか、その理由を、ボクは断じて白状するつもりはないゾ」

フェビアン:いい調子だ。白状しなきゃ、法律に触れる心配ないもんねえ。

トービー :「お前はオリヴィア姫のところへ来て、ボクが見てる目と鼻の前で、彼女はお前を親切にする。しかしお前は大嘘つきだ。それこそは、ボクがお前に決闘を申し込む理由ではないなり」


フェビアン:いやあ、まさしく、簡にして要を得て―ない。


トービー :「ボクはお前がおうちに帰るところを待ち伏せするぞ。もしお前が幸いにしてボクを殺せば―」

フェビアン:ホウ、ホウ。


トービー :「お前はゴロツキとして、かつ悪者としてボクを殺すぞ」


フェビアン:相変わらず法律の網には引っ掛からない。おみごとですな。


トービー :「では、御機嫌よう。神様が、ボクら二人のどっちかの魂の上にお恵みをください。ひょっとかすると神様は、ボクの魂の上にお恵みをくださるかもしれんが、ボクは天国に行くつもりなんかサラサラないぞ。だから、よくよく気をつけるんだぞ、クソクラエー。お前の出方しだいで、お前の友だち、でなかったら、お前の目の敵になってやるからな。アンドルー・エイギュチークより」




このやりとりはなかなか笑える。
最後の「お前の出方しだいで、お前の友だち、でなかったら、お前の目の敵になってやるからな」が
かわいい。わたし的に萌えた。



そしてこのセリフ。
シェイクスピアは忘恩こそ人間のもっとも恥ずべき行為として考えていたのですね。

私、なんにも、知りません。そんなこと。
あなたの声も知らなければ、顔にもなんの見覚えもない。
受けた恩を忘れるほど、私の忌み嫌うものはほかにない。
嘘をつく、ホラを吹く、酔ってクダを巻く ― そのほか何であろうと、
人間の弱い血にまとわりつくいかな悪徳、いかに強力な罪であろうと、
恩を忘れるほどおぞましいものはどこにもない。
私は、そう考えております。

2010年10月30日土曜日

「馬」小島信夫

ある日、自分の家の庭に勝手にもう一つ家が建ち始める。
主人公の「僕」が驚いて妻に問い詰めると「あなたが住む、あなたの家を建ててるのよ」と。
自分の家のことなのに何も知らない上、詳しい説明もない。
さらにその新しい家にはなぜか馬が住むことになる。

「僕」は、わけがわからないままカッとなって大工の棟梁に殴りかかるも失敗して梯子から落ち、
そのはずみで感電して精神病院に入院させられる。
病棟から建築中の家を眺めていたら、暗がりの家の中に妻と、男の影が見える。
よく見えないが大工の棟梁らしい。
そのことを翌朝妻に詰問すると「何言ってるの、あなたが来たんじゃない」と。
自分の見た男の影が自分?
もうわけがわからない。

退院して家に帰ってみると、すでに新築の二階建てのわが家の一番豪華な部屋に馬が暮らしている。
馬は競走馬で、気品があり男らしく野性的で、人間の「僕」よりも妻に大事にされている。
さらに真夜中に馬が「奥さん、奥さん、開けて下さい」としゃべっているのを聞いてしまう。
やがて妻は馬と起居しだし、馬のために大きなセーターまで編みだす始末。
さすがの僕もこのままではヤバイと思って
馬にまたがって「お前の主人は僕だぞ!」と鞭をくれてやるが馬はまったく言うことを聞かない。
そのうち、馬に振り落とされ、クタクタになりながら家に戻ってくると
家から大工の棟梁が出てくる。
でも「僕」は疲れ果てていてもう怒る気になれない。
すると「この野郎!」と叫んで馬が大工の棟梁のあとを追っていく。

ああもうこれ以上は無理だ、自分の頭がおかしいのか?
もう一度心安らぐ場所へ戻ろうと、「僕」が精神病院へトボトボ歩いていると
妻があとを追いかけてきて
「待って。わたしはあなたのことを本当に愛しているのよ」と告白される。


以上があらすじです(笑)
意味不明かつ理不尽。
主人公の僕は小心者なのでいつも妻に言いくるめられ、状況にガンガン流されていきます。
この手の不条理小説は、昔好きだった安部公房に似ていますが
小島氏の場合は、主人公がなかなかあり得ない「弱さ」を発揮します。
とにかくあらゆることに弱い主人公。たぐい稀な「弱さ」が読んでて可笑しいのです。

そもそも最初に、勝手に「わが家」が建ち始めた時点で怒ってもいいのですが
怒らない。うまく怒れない。
妻の理屈に丸め込まれて、仕方がない、とすぐに諦めます。
我が家に、馬が住むことになるのも、仕方がない。

こういう奇妙な弱さ、なかなか書けるものじゃない。
話の一貫性がないのに小説として成立していることがすごい。
「僕は」「僕は」を繰り返す小学生のような独特の文体もまた主人公の「弱さ」を倍増させていて面白い。

ヘンテコな小説が読みたい時はこちらです。
ちなみに、小説「馬」は以下の短編集に収録されています。


2010年10月26日火曜日

昔話改め、いまのお話。

むかしむかし あるところに

お爺さんと お婆さんと 桃太郎と サルと キジと イヌと 鬼が いました。



(行間に筆舌に尽くしがたい苦闘はあるものの)



みんなで仲良く暮らそうと思いました。



おしまい♪

2010年10月25日月曜日

シャネルにクレーム

先日、都内百貨店の化粧品売り場に買い物をしに出かけました。

雑誌にサンプルとしてついていた新発売のシャネルのファンデーションが気に入ったので
購入目的での来店でした。
店舗前まで行くと、(日本語の流暢な)外国人の女性スタッフから「いらっしゃいませ」と声をかけられ
「新しく発売になったファンデーションを探しているのですが」と申し出ると
「こちらです」と案内されました。

そうそう、これこれ。と手にとって見たものの、色はどれだったかしら・・・と思い
「雑誌にサンプルで付いていたものはどちらですか?色がちょうど自分にあっていたので。」
と聞くと、そのスタッフは「雑誌ですか?それはわかりません」と即答。

わたしが困惑気味に「え・・・」と言うと、すぐに
「雑誌についているサンプルに関してはわたくしどもは一切存じておりません。」
そして早口で「申し訳ございません。」と付け加えたのです。
なんだか納得ができず「うーん、雑誌といってもつい最近の女性誌なんですが・・・」と言ってみましたが
「いいえ、お客様。どの雑誌にどのサンプルがついているかわたくしどもは把握しておりません」
ときっぱり答えやがった。

あ・な・た・が、知らないだけじゃないの?と心の中でつぶやきつつ
ほかの店員さんに聞けばわかるんじゃないかとあたりを見回してみたが全員接客中。
挙句の果てに「何番のファンデーションだったか、憶えていらっしゃらないのですか?」と聞かれる。
「いえ・・・番号まで憶えていませんが・・・」
「それではお客様、調べることができません。申し訳ございません」ですって。
まるでわたしのせい?みたいな嫌なムードになって会話終了。

「そうですか、では番号が思い出せたらまた来ます、どうも」といって帰りました。

二度と行くかー!


その足で同じ売り場の別のブランドのファンデーションを買って帰りました。
不信感がMAXだったので家に帰ってからシャネルにメールしました。

「御社の戦略で、女性誌にサンプルをつけているのにもかかわらず、
 そのサンプルを試した人が客として店舗に足を運ぶことを想定していないのですか?」と。
「雑誌についているサンプルは存じておりません、と断言する態度に不審感をおぼえ、
 調べようという姿勢もみられず失望、なおかつ肌に合う色を提案しようという接客もなく不快」と。

カスタマーセンターからは、謝罪のメールとともにサンプルの色番号も書いて回答が来ました。

「サンプル貼付の広告に関しては当然通達致しておりましたのですが不行き届きにて大変失礼致しました。
ご指摘の通り、情報が不明であった場合は他スタッフ、或いは担当部署に確認するよう、
常日頃より指導致して参ったつもりでございましたが至りませず繰り返し深くお詫び申し上げます。」
ですって。

わたしは仕事上、国内で発売されている大手出版社の女性誌はすべて、
文字通り1ページずつめくって隅から隅まで見ているのです。
そして、シャネルはこの時期、20代以上をターゲットにしたほぼすべての(名のある)女性誌に
新発売のファンデーションの広告を一斉に打っていました。
しかし、サンプルをつけた雑誌は1誌のみ。
同月発売の女性誌でほかにサンプルがついていたのは「ソニア・リキエル」と
ポーラのスキンケアライン「B・A」ブランドのみでした。
わたしがここまで把握しているのは職業柄ですが、本職の美容部員が何も知らないっておかしいでしょ。
シャネルは新商品発売前に数ある女性誌の中で、1誌に的を絞ってサンプルをつけているのですから、
知らない店員のほうが無知すぎる。
万一、知らなくても、調べりゃすぐわかることでしょうよ。

まったくね。

「マクベス」シェイクスピア

「萬歳、マクベスどの! 萬歳、グラーミスの御領主!」
(坪内逍遙訳)

「よう戻られた、マクベス殿! お祝い申し上げますぞ、グラミスの領主様!」
(福田恆存訳)

「めでたいよのう、マクベス! グラームズの領主どのよのう!」
(木下順二訳)



魔女一 「ヘエエエイ、マクベース!グラーミスのご領主様。」
魔女二 「ヘエエエイ、マクベース!コーダーのご領主様。」
魔女三 「ヘエエエエイ、マクベース!やがては王様に、おなりになる方。」



なんちゅーカッコ良さ!安西徹雄訳。
魔女っぽさ倍増。


やられた。ああ、完全に持ってかれた。
ヘエエエイ、マクベース!ってもう頭から離れない(笑)

翻訳がカッコよすぎる!
絶対これ、読むべきです。

2010年10月23日土曜日

「リア王」シェークスピア

シェークスピアの面白さは半端ない。
時代を経てもなお色褪せない。
気分が乗らないときはシェークスピアに限る。
眠れない夜はいっそ寝ないでシェークスピアだ。
何度読んでも好きになる。
ほんと、天才。

一番の魅力は、その格調高い言葉の数々だろう。
新訳は非常に読みやすかった。

リア王は悲劇の物語。
ブリテンの王とその3人の娘のお話。
テーマは忘恩、裏切り、親不孝。

結局全員死んでしまう。

悲劇があらゆる虚飾をむしりとって本質だけを浮き彫りにしていく。


知恵も美徳も、邪悪な者の目には、ただ邪悪としか見えぬもの。
汚れた者の口には、汚れた味しか美味とは感じぬ。
なんということをしでかしたのだ、お前ら二人は。
娘ではない、虎だ。
父親を、それも、あれほどにも情け深い老人を―――
鎖に繋がれ、いきり立っている熊ですら、うなだれてその手を舐めたであろうものを、
お前らは、まことに無残、冷酷にも、狂気にまで追いやってしまったとは!
いやしくも人間のすることか。
もしも天が、ただちに精霊を地上に降し、人間の目にありありと見える報復の天使を放って、
かかる悪逆の罪を仮借なく罰したまわなければ、見ているがいい、
人間は、必ずや深海の怪物そのまま、おのが同類をむさぼり食らう惨状を呈するに違いない。



忘恩こそ、犬畜生にも劣る人間のもっとも醜い恥辱。


2010年10月21日木曜日

「武器よさらば」ヘミングウェイ

しばらく本を読んでもページが進まなかった。
考えることが多すぎて、考えても仕方ないことまで考えたりして。
お昼休みもぼーっとしたりして。
さて、おぼつかないながら集中力を取り戻し始めました。




第一次世界大戦のことはほとんど何も知りませんね。
日本人だからでしょうか。
この小説の舞台はイタリアですが、イタリア人が戦うというのもわたしにはいまいちピンときません。
小説の中では、撤退しながらスパゲッティ食べたりしてわりとのんびりしています。



「負ける話はやめましょう。もういやになるほどききました。この夏の傷手は、決してむだではなかったはずです」


おれは何も答えなかった。
おれには苦手な言葉というのがある。
たとえば、神聖とか、栄光とか、犠牲とか、むだとか。
そういう言葉を耳にしたことはある。
ときには、ざんざん降りの雨のなかで、怒鳴り声しかきこえないようなときにきこえたりする。
また、そういう言葉を読んだりすることもある。
たとえば、何枚も上に上に重ね貼りしてある古びた広告ビラなんかでだ。
しかし、いままでに一度も神聖なものなんか見たこともないし、栄光あるといわれているものは
ちっとも栄光などなかったし、犠牲なんて、論じるほどの価値もなかった。
そんなきくにたえない言葉ばかりが増えていくと、きいていられるのは地名くらいということになってしまう。
あとは数字とか、日付とか、地名といっしょになった数字や日付くらいしか、口にして意味のあるものはなくなってしまう。
栄光とか名誉とか、勇気とか神々しいとか、そういった抽象的な言葉は卑猥だ。
それは、村の名前とか道路の番号とか、川の名前とか、部隊の番号とか日付といった具体的な言葉の横に置いてみればすぐにわかる。


「神聖」や「栄光」や「犠牲」や「むだ」という言葉。
戦争が意味のないものだという主人公の気持ちをあらわしているように思います。

2010年10月19日火曜日

何もしてくれなかった人

わたしが右といえば、ダメだと言い
前に進もうとすると、止まれと言った。

「キミのためだ」と言いながら、いままでわたしの邪魔ばっかりしてきたその人は
わたしが東京へ出るとき、何もしてくれなかった。

住む家も、仕事も、何もないわたしに

ほんとうに「何も」してくれなかった。


ふつうなら、きっと怒ることかもしれなけど
実はわたしは、そのことにとてもとても感謝している。

何もしてくれなかった。

そう、あなたはわたしの邪魔をしなかった。

あのとき、唯一。


あのときだけ、唯一、すんなりと前へ進めた。

あなたには全部行き止まりにされたけど、

最後の最後で、

ありがとう。

久しぶりに兄に電話した。

「おまえの言い分は分かるけれども、今回のことはおまえが全部ひっかぶれ」
と父に言われた兄。

「パパにこう言われたんでしょう?あのね、親の言うこと、聞かなくていいよ」

「えっ・・・」という言葉が返ってきた。

「お兄ちゃんにはお兄ちゃんの言いたいことがあるんでしょう?」

兄はしばらく黙っていた。

「あのね、言いたいことがあるなら言ったほうがいいと思う。今までずっと我慢してきたんでしょう?」

「・・・うん、まあ・・・ね。」

「自分の言いたいことが言えないのは、つらいよね」

「・・・」

兄はぽつりぽつりと、自分の思いを話し出した。
努力してきたこと。うまくいかなかったこと。
誰にも言っていない、正直な気持ち。

こんなにたくさん考えている人だったのか。

兄は周りの人のことを考えていた。
やさしい人。
周りの人を思いやるやさしさと、そういった環境に流されてしまう弱さ。
ぴったり裏と表。

強くなれ。
妹は、もっと乱暴な方法で、周りをぐちゃぐちゃに引っ掻き回して
大惨事にして、親に勘当されて、それでようやく仲直りしたんだぞ。
たくさん悲しみ、たくさん悲しませ、たくさん謝ったよ。

「親を悲しませたくない。でももう悲しませてしまっている」

そう言う兄に、「きっと、大丈夫だよ」と言った。


大丈夫、これから取り返せるよ。

2010年10月15日金曜日

必死のパッチ!

残業していたら隣の席の男性社員(東京出身)が聞いてきた。
「ねえねえ、『必死のパッチ』ってなんだかわかる?」

ええ?なんて言いました?
唐突過ぎて聞き逃してしまった。

「必死のパッチ、だよ。メールにそう書いてあるんだけど」

「パッチ?必死のパッチ??えー、なんでしょうね?」
パッチって何?ペットの名前?
と頭をひねるわたし(茨城出身)。

その会話を聞いて、向かいに座っている女性社員(奈良出身)が笑いながら会話に参加。
「えー?必死のパッチ知らないの?」

「知らない」
「知りません」

心底驚いた、という表情でわたしたちを見る彼女。

「必死パッチいうたら必死のパッチやわー。そういう言い方あるねん」
と関西弁で答える。

「だからパッチってなんなの?」と男性社員は聞いている。

「パッチに意味なんかないわぁ。必死のパッチって昔から使う言葉やねん、なぁ?」
そう言って隣に座る女性社員(広島出身)に聞く。

「言うねー。関西の人なら知ってるはずやで」

だからパッチってなんなの(笑)

「言いやすいからそう言うんちゃうかなぁ?『必死』って言葉のあとには『パッチ』やねん」

「そうやそうや」
「ともかく『必死のパッチ』言うたら必死な感じやしな」


関西出身の二人はうんうんと頷きあっている。

だからパッチってなんなのー!(笑)
業を煮やしたわたしはネットで検索。
語源はいくつかあるらしいことが分かった。

「語呂がいいみたいですね。『当たり前田のクラッカー』は聞いたことありますけど。
このサイトには『余裕のよっちゃん』みたいな感じって書いてありますよ」
とわたしが言うと



「そうそう!『余裕のよっちゃん、たらこのたっちゃん』みたいなもんやで」
と彼女は大きな声で自信満々に答えた。



一瞬、しーんと静まったあとに残業中の人がまばらなフロアからどよめきが起こった。



「なにそれ!?」」
「それ知らなーい」
「聞いたことないね」
「なな、なんて言ったの今?た、田中のたっちゃん?
「違う人になってるー!(笑)ちがうよ、た・ら・こ。『たらこのたっちゃん』だってさ」
「奈良だけじゃない?それ」



彼女は真っ赤な顔して
「えー?言わへんの?『余裕のよっちゃん、たらこのたっちゃん』て?そんなん珍しい?」
と焦りつつ必死になって答えていた。




その姿がすでに「必死のパッチ」?(笑)

どんな人がタイプ?

今日は職場の派遣の女の子と一緒にカフェランチに出かけた。
同い年。彼氏ナシ。見た目はスレンダーでかわいい。
靴が大好きな彼女。
いつもピカピカで攻撃的な9センチのヒールを履いている。
そして、早く結婚したい、という。


「どんな人がタイプ?」と聞いてみる。

「職業に弱いんだー。」
新しいブランド靴のかかとの減り具合を確かめながら答える彼女。

「職業?お医者さんとか?」

「うーんとね、美術とかデザインとか、センスがあるヤツに弱い」

「あーなるほど。クリエイティブな感じがいいのね?」笑いながら聞いてみた。

「そうそう!クリエイティブ!こないだWebクリエイターと知り合いになったんだ。
友達が連れてきた人で、顔はいまいちなんだけどフリーランスなの。それで俄然食いついちゃった」

「なんか分かるかも。わたしも昔、カメラマンと付き合ってた。才能あると魅力的だよね」

「そうなの!ほかの人ができないことをやってる人はすごいなーって」

「で?その人とはどうなったの?」

「連絡先交換したんだけど、既婚者なんだよねぇ」
残念そうに笑う。
男の人は結婚してても、かわいい女の子と連絡先交換しちゃうんだなー。
そいつの首を絞めてやりたい。

「ダメじゃん。それはあきらめないと。」

そうだよねぇ、と相槌が返ってくる。

「ねぇ、そっちはどんな人がタイプなの?」
ストローでグラスをくるくるかき回しながら質問してくる。

「そうだな、一生懸命仕事をしている人かな。どんな職業でもいいけど、一生懸命度が重要」

「あー分かる。真剣に仕事してる男の人ってかっこよく見えるよねー」

「その人がどれだけその仕事に全力投球しているかって、見てて分かるじゃない?」
うんうん、と彼女。

「大抵の人はちょっとずつ手を抜いてる気がする。
仕事の結果には表れないかもしれないけど、本気度のオーラが弱いような。
稀に本気出してる人がいるのを見つけると、おおー、すごい。
その仕事にそこまでがんばれるんだって感心する。それがポイントかな。」

彼女はなるほどねー、とうなずいてくれる。

「いまそういう人いないの?」
と聞いてきた彼女にわたしは即答した。

「いないね。滅多にいるもんじゃない。そういう人は探さなくても光ってるから。」

確かにね、そうつぶやくと彼女は大げさにため息をついた。
見つけたら報告するよ。
いるといいね、と励ましてくれた。

私たちはカフェを出た。
カツカツ音を立てて歩く彼女の横を歩きながら、彼女は素直でいい子だな、と思った。

2010年10月11日月曜日

少しは考えろや

「どなた様宛にFAXすればよろしいでしょうか?」
と聞かれて

「では、わたくしアンドウ宛にお願いします」
と答えると

「アンドウ様の漢字は『安い』に『藤(フジ)』でしょうか?

と聞かれることが本当に多いんですが。

人の名前聞くのに、「安い」って言葉を使う神経が信じられない。


「安心の『安(アン)』に『藤(フジ)』です。」



おぼえとけー!

2010年10月10日日曜日

金木犀のおかえり

最終の新幹線で長野から帰ってきた。
わたしの住む街、東京。

自宅マンションまでの道を、ひとり反省しながら歩く。
人を励ましに行って、励ますことの難しさを知る。
深い悩みを聞いて、私も一緒に悩む。
あなたは、偉いね。一人で、とてもよく頑張っている。
それしか言葉にならなかった。

そんなの誰にでも言えることだろう。
わざわざ長野まで行って、それしか言えなかったけれど
それで伝わることを祈る。

なんてちっぽけな自分なんだろう。
力のない自分なんだろう。

大雨の中、ふわっと風が吹いて
金木犀の甘い香りがした。
「おかえり。おつかれさま。」
わたしに、そう言ってくれたようだ。

またあの子に会いに行こう。

2010年10月5日火曜日

動機

よく一人で空を見た。
寒い冬の朝のベランダ。冷たいサンダル。肺が痛くなるほど白い息。
よく一人で星を見た。
寂しさのかたまりのような硬い光だった。
よく一人で風に吹かれた。
ひとりぼっち、というささやきが聞こえた。

半年間、言いたいことを結局何も言わなかった。
言えなかった。
ただ、ひたすらすべてに耐えた。
打算的でありながら、非常に忍耐強くもあった。
とにかくさびしかった。
よく一人でに涙が落ちた。
一日の中に、永遠の寂しさが凝縮していた。

自由のない生活。
喜びのない生活。
希望のない生活。

入ってきた場所にもう出口はなかった。
出口のない生活。

自力で飛び出してくるしかない最終手段。
少し思慮深くなったわたしは、後足で誰かを蹴ったりしないように気をつけた。

そして、いまここにいる。

あの時、言わなかった言葉たちは消えてなくならなかった。
力づくで、ぐっと飲み込んだ半年分の自己主張は、わたしを無口にしたけれど
ある時、ふと気づく。
語られなかった言葉たちを語る場所をつくろう。
葬り去られたあの悔しさ、あの悲しさ、あのつらさ。
誰にも打ち明けられない正直な気持ち、誠実さ、真剣さ。

わたしは「つらい」という体験をした。
「悲しい」も「寂しい」も「助けてくれ」もセットで味わった。

半年後に、わたしはすべてを希望に変えた。
ものすごい馬鹿力を出して、自分を変えた。環境を変えた。
今まで言えなかった何もかもを
「い・や・だー!」の3文字に変換して叫ぶ。
半年分の忍耐は、猛烈な突破力になった。

それで、いまこうして笑っている。

よし、何か書こうという気になった。
言葉にならない喜び、語りつくせない希望、声にならない寂しさ。
そういう言葉たちをさがしている。

葬り去られたすべてを
抱きしめるように書きたい。

2010年10月4日月曜日

よき読者です

小説?
んなもん、書いてみりゃいいんだよ。
書きゃ分かるんだよ。

と、スランプで何も書けない女流作家が言い、

だいたい、自分の小説を書くのに他人の小説を読んで勉強するって軟弱だなぁ。
人の書いたもの真似しようったってろくなもんじゃない。
僕がもし小説を書くとしたら、誰のものも読まずにさっさと書くけどね。
小説を書く勉強?んなもんしなきゃ書けないとしたら才能ないんだよ。

と、失業中のバーテンダーが言いました。

ふん、ほっといてくれ。
別にいくら本を読んだっていいじゃないか。
世の中にこんなにすばらしい小説が山ほどあふれているというのに
こっちはその上まだなにか付け加えようとしてるんだ。
余計なものかもしれないし、どっかで見たことあるようなものかもしれない。
それでもまだなにか言い足りないことがある、わたしのなかには。
それを文字にして伝えたいから、こうやって勉強してるんですよーだ。


美しい文章、書きたいじゃないか!
心に突き刺さる言葉、創りたいじゃないか!
なにがわたしを感動させ、なにがわたしの心に突き刺さるのか。
もっともっと詳しく知りたいじゃないか。
感動を持ってしか感動は伝えられないと思うから。
さあ、感動しよう。
いまなら心を開いて小説の中の物語に溶け込めるんだ。
そんなチャンス、逃すわけにはいかないでしょう?

いろんな人が本の中からわたしに語りかけてくる。
いましか聞けないその言葉を聞いてみたい。
静かに、じっくりと、物語を聞くんだ。

自ら語りだす前に。

2010年9月23日木曜日

本物の馬鹿

「獄中記」(佐藤優著)を読んでいて、馬鹿の由来についての発見。

中国の始皇帝が死んだあと、秦の第二代皇帝・胡亥(こがい)は日ごろから側近政治に頼っていた。
その側近として実力者であった趙高(ちょうこう)は権力の簒奪を考えて
自分の力がどれくらいあるかを知るために、ある実験をした。

趙高はある日、鹿に鞍をつけて、皇帝にこう言う。
「皇帝、この『馬』にお乗りになってください」と。
皇帝はこれを見て「何を言う、これは馬ではない。鹿だ」と答えた。
そこで趙高は
「では皇帝、宮中の大臣たちを呼んで、これが鹿であるか馬であるかを尋ねてみてください」と言う。
言われたとおりに皇帝は大臣や貴族を呼んでこの質問をしたところ、
なんと全員が「これは馬です」と答えた。
その答えを聞いて、皇帝は鹿と馬の区別について真剣に悩むようになった。
これを見ていた趙高は「俺に逆らう者はいない」と確信したという。

全員が「これは馬ではない、鹿だ」と分かっているにもかかわらず
皇帝に向かって「これは馬です」と嘘をついた。
それは実力者(影の権力者)である趙高を恐れたからであった。

ここで面白いのは、
馬か鹿か区別がつけられない(=知性が低い)のが「馬鹿」という言葉の意味ではなく、
鹿を見て「馬です」と答える(=不誠実、保身)者について本来「馬鹿」というのだそうだ。
知性や能力の問題をいうのではなく、誠意や良心の問題であるということだ。

つまり権力におもねる不誠実な人間こそが本物の馬鹿者だと呼べるのだ。
そう考えると、わたしの周りには馬鹿者が少ないと思う。
誠実な、良心的な人に囲まれて暮らしている。
または自分が馬鹿な人間にならないように。

※語源はいくつかあるようです。

2010年9月22日水曜日

「獄中記」佐藤優

「獄中記」は、対露政策を担ってきた凄腕の外交官であった佐藤優氏が
鈴木宗男議員との絡みで2002年5月14日に逮捕された日付から始まる、
勾留512日に及ぶ膨大かつ詳細な個人的記録だ。

恥ずかしながらTVを見ないわたしはこのあたりの事情と推移をよく知らないのだが
小泉政権が誕生して日本の外交政策は一気に(悪しき政策へと)方向転換したらしい。
佐藤氏が国益のために行ってきたそれまでの外交官としての任務が、
ある日を境に「犯罪」として仕立て上げられたようだ。

鈴木宗男と絡んでいたなら悪人だろう、と思ったら大間違いである。
彼は外交のエキスパートであり、まさしくエリート中のエリートだ。
ここで言うエリートとは、単に恵まれた環境下で高度な教育を受けて
高条件の役職に就く人間をいうのではない。

彼はこう書いている。

「日本ではエリートというと、何か嫌な響きがありますが、
ヨーロッパ、ロシアではごく普通の、価値中立的な言葉です。(中略) 
国家を含むあらゆる共同体はエリートなしには成り立ち得ない」

「現下、日本のエリートは、自らがエリートである、
つまり国家、社会に対して特別の責任を負っているという自覚を欠いて、
その権力を行使しているところに危険があります」


"国家に対して特別の責任を負っている"のがエリートである、と述べている。
この、彼の見方はとても正しいと思う。

大なり小なり組織には、そのすべての責任を担う、強烈な志を持った人間がいなくてはならない。
親であれば子に責任を持つ。
一家の大黒柱たる父親は家族を養うために行動に責任を感じるものだ。
真のエリートはそういった小さな個人的責任の範疇を大きく飛び越えて
より多くの人々、国家または世界について特別の責任を担おうとする。
「エリート意識」とは本来、そのような意味、
すなわち国家の大黒柱としての自負と強い責任感において使われる言葉であろう。

ほかにも示唆に富む言葉がいくつかあった。
取調べが進む中で、彼と同じく逮捕されたほかの外交官らについてこう述べている。

「私がどうしても理解できないのは、
なぜ、まともな大人が熟慮した上でとった自己の行為について、
簡単に謝ったり、反省するのかということです。
100年ほど前、夏目漱石が『吾輩は猫である』の中で、
猫に『日本人はなぜすぐ謝るのか。それはほんとうは悪いと思っておらず、
謝れば許してもらえると甘えているからだ』と言わせています。」


難しいのは、彼の犯した犯罪が果たして本当に犯罪なのか、ということです。
「私は、人を殺したのでもなければ、他人の物を盗んだのでもありません。
国益のために仕事をしてきたことが『犯罪』とされているわけです」

政権交代、パラダイムの大転換とともに、何が国益で、何が反国益となるのか。
佐藤氏の場合、対露関係における北方領土政策の大転換があったわけです。
氏はその大転換の狭間で不幸にも「犯罪人」とされたのでしょう。

そしてそれはわたしたちが選び取った政権によって行われた、
という事実を忘れてはならない。
たった一つの選挙によって、これほどたやすく善悪の価値が転換してしまうということに
わたしたち国民はもっと注意しなければならない。

戦時中、思想統制によって思想犯がたくさん生み出された。
思想の自由が保障された現代にあっても、
政策の転換、国益(=価値)の転換によって同じようなことが起こっているのだ。

国民はもっと政治を監視しなければならない、と改めて強く思った一書だった。


2010年9月21日火曜日

攻撃的、圧倒的無個性、理不尽さ、感染病的な恐怖

少し前、友人がブログにベランダのくちなしの鉢植えに
「オオスカシバ」(の幼虫)がいると書いた。

幼虫というからには虫なのだが深く考えもせず
名前からして、綺麗な鳥かしら?と検索してみた。
「オオスカシバ」と入力して画像検索をポチっとクリック。


ギョエー!
なんじゃこの緑の世紀末的怪物はー!
虫嫌いのわたしにはおぞましい画像の数々。
身の毛がよだつ、画像検索。
正直、見たくなかったー!
不注意にも、なぜこんな検索してしまったのか真摯に己に問うべきかもしれない。

虫好きな人には分かるまい。
この戦慄、恐怖。
パソコンの画面が緑の虫に感染してしまったかのようにまったく直視できない。
先日とうとう夢にまで出てきてしまった。

虫を見ると、なにか攻撃的、圧倒的無個性、理不尽さ、感染病的な恐怖を感じる。
なんといっても数が多いというだけでおぞましい。
我々人類は虫に包囲され生きているといっても過言ではない!(たぶん)。
虫好きの人にはまことに申し訳ないが、
現代的潔癖症社会で生きるわたしには虫の存在自体が脅威だ。

ゴキブリもハエも蚊も蛾、「嫌い」というレベルを遥かに凌駕して、もはや「敵」だ。
奴らとは、戦うしかない。

私的、適切な親子関係構築のために

1、スープの冷める距離を保つ。
冷めたスープを黙って飲む。一つの親孝行の形として。

2、過去のことは口にしない。
認識の相違はあらかじめ明らか。燃えカスに燃料を投じてはならない。


3、多くを要求しないが要求には柔軟に応じる姿勢をみせる。
節度ある子としての役割。一つの親孝行の形として。

4、必要最低限の情報として安心材料だけ交換する。
余計な心配はかけず、余計な心配に苛まれない。

5、堂々と我が道を往く。
狭義的には別々の人生。広い意味で同じ人生を生きる。


自分というものを親から防衛しなくてはならない。
そして親を自分の毒牙にかけないように注意しなくてはならない。
ハリネズミが針を出したまま抱き合ったら互いにズタズタになるのだ。


当分このまま現状維持したい。
近寄りもしないし変に近寄らせもしたくない。
それぞれの生活を満足に送れば十分ではないか。
親に対しての感情が非常に冷めてしまったが、
一時の地獄の釜のようにぐらぐら煮え立った状態よりかなり良好だと思っている。
いまは精神的安定を保ちたい。
わたしにもわたしの生活というものがあるんだし。
盆も正月も特別実家に帰らなければならない意義も感じないし
顔を見せないから自分を親不孝だとも思わない。

何をするにせよ、親の幸福を願ってわたしはわたしの人生を送る。

2010年9月20日月曜日

うつ病の人はもっと褒められていい

だって一番大きな敵と戦っているんだ。

すごいことだ。
己の闇という敵を相手にまわしているのだ。

闇のトンネルの中をたった一人で歩き続けなければならない。
誰の声も届かなくなるほどの完全な闇。



それは無気力という名の井戸を掘る人なのだ。
掘れば掘るほど生きる意味を失っていく。
苦しすぎる戦いだ。
その井戸を掘る人がたった一つ信ずるべきことは
「掘り続ければ必ず水が出る」
ということだ。

その水は自分を潤し、やがて多くの人をも潤していく。
井戸を掘る人は偉い人だ。
尊い人だ。
あるとき姿が見えなくなった友人も、いま必死に井戸を掘っている。

「グレート・ギャッツビー」スコット・フィッツジェラルド/村上春樹訳

村上春樹の一番のお気に入りの本。
この小説に出会わなければ、僕は小説家になっていなかった、とまで言わせる
至上最高の作品(もちろん彼にとって)。
それが「グレート・ギャッツビー」なわけだが、わたしには深く感じ入るところは何もなかった。
このところ注意力が散漫なせいか、「非常に美しい」と賞賛されるその風景描写も
わたしの眼前には味気ない灰色の景色としか映らなかった。

所詮、他人の好きな本だ。
わたしはまた別の人間なのだ。

人に薦められた本には得てしてこういうことがよくある。
わたしが大学生の頃、とても感銘を受けた新書の本「歴史とは何か」(E・H・カー著)を
「なにか良い本を紹介してくれ」と尋ねた友人に気前よく貸したところ、結局その本は戻ってこなかった。
数ヶ月経って「あの本はどうしたの?」と聞いたとき
バツの悪そうな表情で「・・・まだ全部読んでないんだ」と答えた友人の声色で
彼にはまったく面白くなかったのだろうということが分かった。
はやく返してね、といった言葉だけがわたしと友人の間に痛々しい焼印のように押されたまま
本そのものは忘却の彼方に飛んでいってしまった。
さようなら、わたしの愛読書。
(その後、あきらめてもう一冊買ったのは言うまでもない)

要するに、自分の好きな本は自力で見つけるのが一番なのだ。
そのために、(少しずつ見当をつけながら)手当たりしだい大量の本を読むのが手っ取り早い。
この「手当たりしだい」というのはわりと重要なことだ。
選り好みは避けられないけれども、ある程度好きな範囲を絞ったあとは
そこに含まれる膨大な数の本の中から、目をつぶって何人かの作家を手づかみで取り出す。
夏目漱石でもシェイクスピアでもホイットマンでもいい。
とにかく有無を言わずに読んでみることだ。
そしてできれば同じ作家の複数の作品を読むほうがいい。
読む順序は問わないが、気になるなら巻末の著者年表を参考にして
作品の書かれた順番くらい頭に入れるといい。
1、2作読めばそれが自分にとって影響力がどれくらいあるか分かる。
気に入らなければ別の作家に手を伸ばしていけばいい。

肝要なことはとにかく読書をやめないことだ。
可能な限り読み続ける。
いつかガツンと後頭部を殴られるほどの衝撃を受ける作品に出会える。

対照的な言葉だが「一書の人をおそれよ」というのがある。
これは一冊だけしか本を読まない人ということではないと思う。
一冊の書物からありとあらゆる示唆を感じ取れる人は人生のすべてにおいて長じている、
という意味だ。
ふだんまったく本読まない人にも一書の人はいる。
手当たりしだい本を読むわたしはまだまだその域に達していないのだ。


間違えられた、わたしの名前

「部長、このメールの私の名前、漢字が違っています」
わたしはできるだけ朗らかに告げた。
一斉に流された署内のあるメールに、チームの全員の名前が署名されていた。
そのわたしの名前の漢字が一字だけ違っていたのだ。

よくあることだ。
わたしの名前の漢字は、あまり名前に使われない、という意味で珍しい。
過去に様々に間違えられてきた。
新聞の集金の受領書なんて10年間ずっと間違ったままだ。
「違います」というのが面倒なだけだ。

だから今回も言うかどうか一瞬迷った。
しかし、この手のメールは毎回同じ署名が使われることになるし
いつか勘の鋭い誰かが気づくかもしれない。
そのときに当の本人が間違いを指摘せず黙っていた、となると余計面倒な気がした。
だから、なるべく何気ない雰囲気を装って、さらりと言ってみるか、と思ったのである。
「部長、名前の一字が違うんですが、まあ、よくあることなんですけどね」と。

しかしこれがとんでもない方向へと向かってしまった。

部長はさっと顔色を変えると、深刻に「ええっ!?なんだって!」と大きな声を出し
わたしのデスクまでつかつかと歩いてきてパソコンの画面を覗き込んだ。
そのリアクションの大きさに驚いて、わたしは慌てて言葉を足した。
「そんなにたいしたことじゃないんですが・・・」
少しおどけて笑顔も作って見せた。

すると部長は怒ったような、真剣な表情で「大事なことだ」と言い、さらに怒気を含んだ声で
「ねえちょっと、○○君!キミが作成した全員の署名、彼女の名前が間違っていたぞ!」
怒鳴られた○○さんがビクビクしながら忍び足でわたしのところまでやってきた。

「この文面は、『彼が』作成したんだよ」と強調してわたしに言い、
「ねえ、キミ!人の名前を間違えるなんてとんでもなく失礼じゃないか!」と怒鳴った。
「す・・・すみません・・・」と恐縮して謝る○○さん。

なんとういうか、大変な事態になってしまった。
わたしの一言で、他人が叱られるとは思いもよらなかった。
そこでこの事態の収拾を図ろうと、いっそう明るい声でわたしも応えた。
「いや、あの、ほんと、ぜーんぜんいいんですよ、よくあることなんで!」
するとすかさず部長が「良くない!」と強い言葉で完全否定した。

それから、どういう漢字を書くのか、真剣に尋ねられ、
これこれこういう字です、よくこういう言葉で使われます、と説明した。
部長は「あー、あの漢字だね、分かった。直しておくから」と言った後、
「申し訳ない!」と直角にお辞儀をした。

これにはびっくりを通り越して唖然としてしまった。
なにか他人の大事なものを壊してしまったときのような、非常事態での究極の謝罪といってもよかった。
名前の漢字を一文字間違えることが、それほどの謝罪に値するとは、
当の本人であるわたしだってそのときまで露とも思わなかった。

そして、そう、人の名前を間違えてしまったときは、これ一大事と大げさになるくらい
まさにこれくらい謝るべきことかもしれない、と思い至って感心してしまった。

人によって名前に対する愛着度は違うだろうが、わたしのようによく間違えられるような名前なら、
その間違えられた漢字ですら、もう自分の名前の一部のような気がしてくる。
要するにもう慣れきってしまっているのだ。
そして間違いを指摘するとき、むしろこちらが悪いことをしてるみたいに
遠慮がちに申し出る癖がついてしまった。
間違えた相手が軽く「ごめんね」と言って済むように、あらかじめこちらが気を遣っている。
そんなわけでふた言めには「たいしたことないですから」と言うのだ。


部長のオーバーリアクションは、後から振り返ってみると
とても誠実なものだったといえる。
わたしの名前はある大事な人から名付けられた、とても大切な名前なのだ。
そんなことは普段とくに説明もしないけれど、この名前に恥じない生きかたをしたいと、
ひっそりと固く誓っているのだ。

部長の90度の謝罪にはこんな言葉が詰まっているように思えた。
あなたの大切な名前を間違えてしまうなんて、これほどの落ち度はありません。
どうかお許しください。

思い返して、じんわりと嬉しくなった。
名前の大事さが分かる人がいるんだな。

2010年9月18日土曜日

生きて、死んで、また生きて。

ある人を忘れられない。
美しい名前を持ち、美しい目と細い身体を持った、ひとつの魂。

わたしたちは互いに戦士だった。
しかもハッピーエンドを信じる戦士であった。

人間は生きたり死んだりする。
わたしは生き、ある日、死ぬだろう。
それは善悪ではない。
ただ、状態を状況に応じて変化させるだけだ。

そして彼女は死んだ。
それはやはり善悪ではない。
ただ、状態を状況に応じて変化させただけだ。

窓を開けるとカーテンが風に揺らめくように、わたしたちは必然的に生きる。
ある日、静かに窓を閉めて風がやむと、カーテンは死ぬ。
戦士は次の戦地へ行くまでの間、風のない丘で深い眠りにつく。
夢を見ているかもしれない。

生きて、死んで、また生きて。

いつかこの戦いには終わりが訪れる。
パーフェクトなハッピーエンドだ。
そのとき、わたしは彼女のたくさんの名前を全部思い出すだろう。
やっと言えるかもしれない。
あの時も、あの時も、あの時も、
ずっとあなただった、ありがとう、と。

2010年9月15日水曜日

生きる。

生きているのが苦しいという場合、それを「生き地獄」という。

地獄ってなんだ?
誰か見たことある?
天国だって、見たことないのにさ。
死んだ後の記憶のある人に聞いてみたい。
どんな世界か話してくれるかしら?
でも、気をつけろ。
嘘をついてるかもしれない。

地獄は概念だ。
実際に地獄という場所も世界もない。太陽系に存在しない。

人間は生きていてとことん絶望する場合がある。
それが地獄だ。
失恋して生きてるのが嫌になったとき。
病気で苦しいとき。
借金に負われて逃げられないとき。
いじめられたとき。
最悪の喧嘩をしたとき。
ひとりぼっちのとき。
大事な人を失ったとき。

苦しくて苦しくてどうしようもない。
そんなとき、生命の状態がまさしく地獄となる。

なぜ、そんな目に遭うのか?

それはわからない。
過去(世)によっぽど酷い行いをしたのかもしれない。
むしろそうとしか考えられない。
因果応報だ。
原因があって結果が生ずる。
悪い結果があるなら、自分が悪い原因を作っていたのだ。

誰かのせいにするところから変な宗教が始まる。
ここは要注意だ。
誰のせいでもない。それは、自分自身の問題だ。
火のないところに煙は立たないのだ。
憶えていなくても、原因は必ず存在している。
今の自分が生まれる前の、前世の話かもしれないだけだ。
前世だろうが来世だろうが、自分は自分だ。別の誰かになるわけじゃない。
良くも悪くも「自分」をずっと生きているのだ。

じゃあ、どうすればいい?

作ってしまった過去は変わらない。もう変えようがない。
何をしたかも憶えていない。
だからといって、先祖を供養するだの、水子の霊がどうしただの、守護霊が弱いだの、
風水的に黄色がいいだの、大殺界だのって
まるで見当はずれだ。
欲の皮の厚い奴らの、金儲け主義に、だまされるな。


答えはひとつ。
弱い自分に負けないことだ。
地獄にいる自分を励ますことだ。
死んだからって、地獄から開放されるわけじゃない。
地獄の生命の状態は、自分がそれを変えない限り、どこまでも続くのだ。

自分の掘った落とし穴に自分ではまったのだ。
自力で這い上がってその穴を自分で埋めるしかない。
間違っても、その穴に誰かを道連れにしようとしたり、他人も落ちろと念じてはいけない。

悪環境に勝つことだ。

決して負けないこと。そして最後に勝つこと。
あなたは勝てる。絶対に勝てる。負けるわけがない。
腹の底から「勝つ」と決めるんだ。
弱気になるな。感傷はいらない。勝った姿を思い描いて。さあ、前を向け。
勇気が出る。
知恵がわく。
道は必ず開ける。
人生は強気で行くんだ。
それが「生きる」ということだ。

これだ。

これが言いたかった。
これを世界中に言わなければならない。

2010年9月14日火曜日

「種の起源」ダーウィン

フルマラソンを走るために身体に必要な筋力がある。
持久力、精神力がいる。

同じように、本は、全身で読むものだ。
持久力と精神力が必要だ。

漢字が読めれば本が読めるってわけじゃない。

理解できないものは、人にとって苦しみなのだ。
続けてページをめくることがすごくむずかしくなる。

絵も音楽も、同じだと思う。
トレーニングをしていないとほとんど鑑賞できない。

何の筋力も使わずに観たり聴いたり読んだりできるものもある。
それは、自力では階段を上れない人用のエレベータのようなもの。
力は使わないけれど、力にもならない。

エレベータ本ばかり読んでいると
いつまでも、ちゃんとした本が読めない。
普段から鍛えてないからだ。

そういう意味で、三島由紀夫やトルストイを読める人は限られている。

小説ばかり読んでいると、論文を読むのがつらい。
逆もまた然り。

わたしにとって、「種の起源」がまさにそれ。
読むのがつらい。途中でやめたくなる。
使ったことのない筋肉で、読み続けなければならない。
これはダーウィンの論文であり、ダーウィンの独り言であり、ダーウィンの魂なのだ。
今日は一日、頑固なダーウィン爺さんと格闘している。
こっちの理解に構わず、勝手にどんどん話を進めていく。
まったく会話が成立しない。
知らない鳥の名前をたくさん出してくる。
ダーウィンは何もわかっちゃいない。
この本は、21世紀に、理科の素養の怪しい30歳の女が読むことを想定して書かれていない。

でも一生懸命書いてある。
どうにか説明しようとしている。

だから喘ぎながらも本は捨てない。
なんとか最後まで、
ダーウィン爺さんが何を言おうとしているのか、聞いてみるつもりだ。

そしてこれが最後まで読めたら、もっと科学の本にも挑戦してみよう。

「借り暮らしのアリエッティ」

日曜日に近所の女の子と映画を観にいった。
スカラ座は、2回目か、それとも3回目かな?
東京に3年も住んでいるのに銀座はほとんど歩いたことがない、
という女の子を連れて行ったのでいちいち感動してくれた。

銀座駅を出て、映画の前にこっちだよ、と地下の階段へ降りていく。
駅前の金券ショップだ。
スカラ座の・・・アリエッティ、あった。前売り券で1290円だ。
窓口で買えば1800円だから、510円得した。
「ね、節約できたでしょ?」
「すごい。知らなかった」
「へへん」

得意げ。

「じゃ、めちゃくちゃうまいアイスティーを飲みに行こう。ちょっと高いけど。」
「高いって・・・いくらくらいですか・・・?」
「うーん、1000円くらいかな。」
「良かった、ケタがひとつ違うのかと思った」
「そんなに高い紅茶なら、むしろ、ぜひどういうものか飲んでみたいよ」

そんな会話をしながら、マリアージュ・フレールに行く。
1000円のケーキも食べたから、合計2000円。
お金遣わせちゃって悪かったな。

「紅茶たくさん飲んだのでトイレに行きたいです」
「映画館と反対方向だけど、三越かどこかのトイレに入る?」
「まだ大丈夫です」
「じゃ、ゴージャスな気分のトイレに行こうぜ」
といって、日比谷まで歩く。そのまま帝国ホテルのトイレへ。

モチロン無料だ。万歳。


そしてスカラ座へ。
日曜日の夕方なのに、映画館はガラガラだった。
アリエッティはあまり人気ないのかしら。もう終わりかけだしね。
残念ながら内容もちょっと物足りなかった。

「なんだか、うーん・・・これで終わりなの?って感じでしたねぇ」
「3部作なんだよ」
「へっ?そうなんですか?」
「そう思えばいいよ、3部作。続きを楽しみに待ってる。これで不満はない」
「ははは。確かにそうかも。」

そのまま私たちはまっすぐおうちへ帰ってきました。
おわり。

2010年9月13日月曜日

「ダンス・ダンス・ダンス」村上春樹

村上春樹は「僕のガールフレンド」と書く。
「僕の彼女」とか「恋人」とかではない。
「ガールフレンド」というのがいかにも彼らしい特別な響きをあらわしていて
好いな、と思う。

彼の表現は本当に多彩で、魅力的だ。
面白い比喩。


音楽が消えるとあたりは眠り込んでしまいそうなくらい静かだった。
ときどき芝刈り機のうううううんんんんという唸りが聞こえた。
誰かが誰かを大声で呼んだ。風鈴がからからと小さな音で鳴った。鳥も啼いた。
でも静けさは圧倒的だった。
何か音がしてもそれはあっという間に痕跡ひとつ残さず静けさの中に吸い込まれてしまった。
家の回りに何千人もの透明な沈黙男がいて、透明な無音掃除機でかたっぱしから
音を吸い取っているような気がした。
ちょっと音がするとみんなでそこに飛んでいって音を消してしまうのだ。






「すごく元気そうに見えるよ。日焼けがたまらなく魅力的だ。
まるでカフェ・オ・レの精みたいに見える。
背中にかっこいい羽をつけて、スプーンを肩に担ぐと似合いそうだよ。
カフェ・オ・レの精。君がカフェ・オ・レの味方になったら、
モカとブラジルとコロンビアとキリマンジャロがたばになってかかってきても絶対にかなわない。
世界中の人間がこぞってカフェ・オ・レを飲む。
世界中がカフェ・オ・レの精に魅了される。君の日焼けはそれくら魅力的だ」






映画は当然過ぎるほど当然な筋を辿って凡庸に進展していった。
台詞も凡庸なら、音楽も凡庸だった。
タイム・カプセルに入れて「凡庸」というラベルを貼って土に埋めてしまいたいくらいのものだった。



いいね。すごくいい。
ふふりと笑ってしまう。
表現力豊かだ。

2010年9月11日土曜日

命と引き換えに○○を救えるとしたら

ねえ、馬鹿げてるって思われるかもしれないけど、
もし自分の命と引き換えに何かを救えるとしたらどうだろう?

何を救う?
もっといえば、何と引き換えなら、自分の命を差し出せる?

たとえば、一輪の野花を救える。
たとえば、一羽の小鳥を救える。
たとえば、一人の親友を救える。

たとえば、一つの惑星を救える。

「羊をめぐる冒険」(村上春樹著)では、世界は羊による支配から救われた。
一人の人間の死によって。

命と引き換えにしなければ救えないものがあるのかもしれない。

もしかしたら、自殺する人には2種類いるのかもしれない。
自分に負けた人と自分に勝った人。
仏教では、自死は地獄に堕ちると説かれているらしいが、これは方便かもしれない。
安易な自殺を否定するための、有刺鉄線みたいなもので。
邪悪なモノを完膚なきまでに葬り去るために自ら命を絶つという死も
本当はあるのではないだろうか。
それによって、確実に救える尊いものがあるとしたら。

人の細胞は毎日確実に生まれ変わっていく。
わたしも毎日確実に死んでいる。そして生まれている。
歌を歌う人が、その声を出すことによって、その人の一部の細胞が死滅しているかもしれない。
一方で、その声を聴くことによって、聴く人に新しい細胞が生まれているかもしれない。
生と死はつながっている。
別々の肉体でさえ、音楽によって互いの細胞の生死がつながれている。



死を、肯定的に扱えるのは、本物の宗教と本物の芸術だけかもしれない。
そこには道がある。
「死んだら終わりだ」という発想から抜け出すための、
生命の躍動の道。

2010年9月3日金曜日

在庫表

さんざん職場の文句を言って辞めていった前任者の女の子は
史上稀にみる最悪な在庫表をわたしに残していった。

5月に引き継いだわたしは実に3ヶ月もの間、
そのめちゃくちゃな在庫表に頭も身体も振り回されてきたのだ。


いい加減な仕事しかできないヤツは、人間関係もいい加減なのだ。

生き方もいい加減になるのだ。
いい加減な在庫表から、その子の人間としての欠陥を
わたしは嫌というほど洗いざらい読み取った。
嘘とタテマエばかりの在庫表。

それを知っているのは、今もわたしだけだ。

退職の日が迫っていたある日、
彼女とわたしは引継ぎのために時間をあてがわれていた。
倉庫においてあった製品在庫の説明をし終えると彼女は
「そうだ、ちょっと乾電池もらっていくよ。もう辞めちゃうから今のうちに」
そう言って、製品用の新品の単3電池20個あまりをわしづかみにすると
すばやくバッグに入れた。
わたしの見ている前で、堂々と、悪びれる様子も見せなかった。
まるで洗濯物でも取り込むみたいに平然と取っていったのだ。


他にもやってるな。
新品の乾電池だけじゃあるまい。
そう感じさせるほど彼女の動きは自然だった。

嫌なものを見せられた。

乾電池を盗んで、職場を去っていく。


彼女の生命に黒いシミがついた。
いまは見えなくても、歳を取ったら顔に出てくるぞ。
シミだらけの醜い顔になるのだ。

彼女の美しい横顔をみつめながらそう思った。

2010年8月31日火曜日

「走ることについて語るときに僕の語ること」村上春樹




人気作家の、プライベートをのぞいてみたい。
でも全部知ってしまったらもしかして予想外にガッカリするかも。

知りたい。

知りたくない。

そんな葛藤を抱える春樹フリークにはうってつけの本。
走ることについて。と、小説を書くということについて
ほら、ここに春樹が語っていますよ。

冒頭、「まえがき」の中で彼がなかなか良いことを書いている。


"Pain is inevitable, Suffering is optional."
「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」

たとえば走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、
「きつい」というのは避けようのない事実だが、
「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられていることである。
この言葉は、マラソンという競技のいちばん大事な部分を簡潔に要約していると思う。


そしてこの本の最後を、なかなか憎いセリフで結んでいる。


もし僕の墓碑銘なんてものがあるとして、その文句を自分で選ぶことができるのなら
このように刻んでもらいたいと思う。

 村上春樹
 作家(そしてランナー)
 1949-20**
 少なくとも最後まで歩かなかった

今のところ、それが僕の望んでいることだ。



「苦しみはオプショナル」


さすが村上春樹。センスいい。
さらりというあたり、相当ストイック。

2010年8月30日月曜日

「彗星物語」宮本輝

宮本輝にしては珍しいタッチだな、「寺内貫太郎一家」物語かと思った。
長い割りに気楽に読める小説。

ある家族に、ハンガリー人の留学生ボヤージュがホームステイにやってくる。
1匹の犬と大家族の大騒ぎな物語。
そこに、共産主義と本当の自由、人間としての生き方を織り交ぜる。
うまい。うまいぞ、宮本輝。

3年間の留学を終え、ボヤージュが母国に帰る頃になると
涙で文字が読めなくなる・・・。
もう、あと数ページでこの物語は終わろうとしている。
感動のうちに。惜しむようにページをめくる。

だが、ある行を読んで、一瞬で興ざめしてしまった。
母国へと旅立っていったボヤージュが旅先から日本の家族に手紙を書いてきた。
その、手紙に引用されていたのはまぎれもなく、日蓮の言葉ではないか。
なぜここに日蓮の言葉を入れるのだ。
このホームコメディタッチなあたたかい小説にまったく似合わない。
感動の涙もピタリととまった。
わたしは宮本輝のこういうところが嫌いだ。

小説の最期に、偉人の言葉をポンと持ってくるなぞ創作の放棄ではないか、とさえ思う。
押し付けがましさにうんざりする。
あまりに憎悪の念が深いので、自分こそ大丈夫か?と疑ってしまう。
これを素直に読む人もあるいはいるのかもしれない。
いるのかもしれない。いるのかもしれない。いるのかもしれない。

だめだ、何遍唱えてもそう思えない。

わたし、大丈夫だろうか?

2010年8月29日日曜日

「室生犀星詩集」

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土いどの乞食(かたゐ)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

この詩を口ずさみながら寝転んで白い天井を眺めていたら
突然「ふるさと」から電話がかかってきた。

「10月にそっちに行く用事ができたから、そのときは前もって連絡するわ」と母。

ふるさとは遠いところにあって思うもの
そして悲しく歌うもの
もし落ちぶれて異郷の乞食になったとしても
帰るところではあるまいよ


心配してくれるな、母よ。
たとえ歯が痛くても、仕事を失っても、男に騙されても
決して親に泣き言はいわない娘になりましたよ。
だから安心して、楽しみだけに残りの人生を使ってください。

「蛍川」「泥の河」宮本輝

「蛍川」―これは美しい小説。
宮本輝、天才か。

それにしても、宮本輝の小説ではあっけなく死ぬ人が必ずいる。
用水路に落ちた中学生が死体で浮いていたり、おじいさんが荷車の荷の下敷きになったり。
登場人物がひとり、あっけなく死ぬ。

そこにぽっかりと穴があく。ひとり分の空間ができる。
みんなその喪失感を抱きながら生きていく。
あっけなく死ぬことでこの喪失感に埋めようもない永遠性がもたらせる。


一度死んでしまったら、二度と生き返らないからね。

「ことばになりたい」一倉宏



一倉宏さんのコピーが好きだ、といったら
友人が貸してくれました。

一番好いなと思ったのは
国語の先生がしてくれた「桜」の話
というタイトルの詩。
卒業生への贈る言葉です。

引用します。

国語の授業のあるときに
日本の古典文学で ただ「花」とあることばは
「桜」のことを指していると
お話したのを憶えていますか
「花」といえば「桜」は暗黙の了解でした

それほど日本人は「桜の花を愛してきた」といえます
しかし「愛する」ということばを
ただの「大好きな気持ち」とは考えないでください

きょうは その話をしたかったのです

日本の昔のひとがつくった詩 歌を読むと
「桜」という花を 単純に「好きだ」ということはなく
むしろ「悔しい」とか「悲しい」「切ない」
という気持ちで 表現しています
「桜の花」は美しいけれど あまりに短い時間で散ってゆく
そのことに「胸を痛める」歌ばかりなのです

先生は これが「愛する」ということばの
ほんとうの意味ではないかと思います


先生、ありがとう。

しいて言えばクレジットカードを使い出したあたりから

昨日出会った女の子はメガネをかけたほっそりとした色白の高校生だった。

「学校の教科でなにが好き?」
「世界史です」

わたしも大好きだった。

「世界史のどの時代が好き?」
「どの時代っていうか・・・まだそんなに習ってないんだけどイギリスが好きなんです」

イギリス。産業革命。
工場の油のにおいと機械の轟音が頭をよぎる。

「わたし、イギリスが好きだから将来イギリス人と結婚したいんです。
 でも英語が苦手で。だから今から英語をなんとかしないといけないんです」

そうか、結婚か。産業革命の話はやめておこう。

「そうだね、旦那さんと会話できなきゃ結婚生活はうまくいかないだろうね」
「ですよねー。英語勉強しなきゃなぁ・・・」

そう言って彼女は憂鬱そうに食べかけのクッキーを口に運んだ。

結婚も将来の夢のひとつ、か。
わたしにもそういう時代があったな。
いつから現実のもの(実現可能かどうかは別として)になったのか。

道を歩いていたらある場所で放置自転車監視員みたいな制服を着た男から唐突に宣言される。
「はい、貴女はもう現実世界に入ってしまってますからね。ここまでの通行料を徴収します」
「えっ、これ有料道路だったの?どこから?境界線なんて見当たらなかったけど」
「ずいぶん前に跨いでしまいましたよ、大股でね。だいたい貴女は歩くのが早いから」
「そうだったんだ、いつ跨いだか思い出せないや・・・」
「人は気がつかないうちに大人になってる。しいて言えばクレジットカードを使い出したあたりから」


なんだか騙されたような気分。
「ともかく通行料、分割で払います」

2010年8月28日土曜日

「流転の海」宮本輝

大事なこと、伝えたいことは、主人公のセリフではなく
小説の中で実際に「起こる」べきだ。それが小説であるならば。

宮本輝の「流転の海」は主人公の松坂熊吾の一人語りが多すぎる。
非常に説教くさい印象。

伝えたいことが明確になりすぎていて、小説としての遊びが足りない。
小説でも歌でも同じことで、真実をストレートに表現するのも悪くないが
結果、説教くささが残る。
ほんの少し嫌悪感を抱く。
賛同するが賛同したくない気分。



力量不足?急いで書いたのか?
もっとじっくり物語を展開してもいいのでは。
惜しいな、プロットはおもしろいのに。

偉そうにズバリ書いちゃった…。
目が肥えてきたか。
それともただのひねくれ者のナナメ読みか。
とりあえず、続きが読みたいので第2部となる「地の星」を注文。

誰かにお説教したいけどネタがない、
という親父にオススメの一書。

最悪な朝のひとつ。

大泣きしながら目が覚めた。

最悪な朝のひとつ。

何かの間違いでどこか別の世界に生まれてしまったような、
それも相当酷い世界に放り込まれたに違いないという絶望的な気分を味わう。

そのまましばらく泣き続けた。
均衡を保っていた身体から大量の水分が涙となって流れ落ちた。
どうやら身体は数か月分くらいの涙をいっぺんに流そうと躍起になっている。
この機会を逃してなるものか。泣くのは今だ!と言わんばかりに。
最近わたしは忙しすぎて泣くことがなかった。

人は複雑なことで涙を流せない。
たったひとつかふたつの、ごく単純なことで泣くのだ。
おしめが濡れているとか、おっぱいが飲みたいとか、あるいはその両方とか。
大人になっても人が泣く理由の単純さは変わらない。

わたしが泣きながら目覚めたのはとても簡単な理由だ。


夢の中のわたしは、母親に愛されてなかった。
兄だけが愛されていた。



わたしはおそらく相当根深く、母の愛情を疑っているのかもしれない。
自分は母に愛されていないのではないかという恐怖。
それを疑いようのないものとして決定付けるかのように
平然と母の愛に育まれる兄。

寂しい。そして、憎たらしい。



このテーマで何度似たような夢を見ただろう。
そのたびにわたしは爽やかな一日の始まりを犠牲にして
早朝からしくしく泣かなくてはならない。



誤解のないように言うが、わたしは誰からも虐待を受けたことはないし、
特別に兄だけが可愛がられる家庭でもなかった。
むしろ至極平凡でまっとうな両親によって営まれる、ありきたりの家庭生活だった。

だけどわたしの心の奥にはいつも、同じ場所に同じ分量の寂しさのかたまりがあった。
ちょうど何万年も昔から溶けない南極の氷みたいに。

これから先あと何万年も溶けないぞという強い意志をそなえている。
その寂しい氷のかたまりがコンスタントに冷気を出すので
わたしはいつもそこを意識せずにはいられない。

いったい一人の人間が、
二人の子供を同時に平等に愛することができるだろうか?
一方は男の子で、一方は女の子。
先に生まれた者と、後から生まれた者。
顔も、性格も違う年子の兄妹に、母はどうやって愛情を注いでいったのだろう。

若い母が娘をどのような存在として見ていたのか。
ひょっとしたら、わが娘を心から可愛いと思えなかったんじゃないだろうか。
赤ん坊のわたしが泣くたびに母は無性にイライラしたんじゃないだろうか。

わたしはずっとそのことを考えてきた。

あるとき母はうつむきながら言った。
「あんたを、愛情不足に育てたと思ってる」

もう二度と聞けない、あれが最初で最後の母の告白だったか。

やっぱりそうなのだ。
母は兄のほうに強く愛情を感じた(ている)のだろう。
甘いものを食べたあと、たまに塩辛いものが欲しくなるように
ごく自然に息子を可愛いがり、無意識のうちに娘に冷たい態度をとったとしても
それはそれほど大袈裟なことじゃない。

そう、それは悪いことではない。むしろ母親として自然なことだ。それを責めるべきではない。
要は、わたしにはないものを兄は持っていたのだ。
妹よりも愛される何かを持っていたのだろう。
あるいは兄には妹より多くの母親の愛情が必要だったのかもしれない。


そういう理由で、わたしも兄にないものを持っている。
溶けない南極の氷のかたまり。
わたしにとって重荷でもあり、美徳でもある。
厄介な永遠の謎だ。

恨んだりしているわけではない。
悲しみの8割くらいはすでに受容して、その扱い方もわかっている。
そう、今朝みたいに、たまに一人で泣けばいいのだ。
あとは笑って過ごせる。
そのぶん、わたしは兄よりクールなのだから。

2010年8月27日金曜日

意識してきれいな字を書く

たまに「きれいな字ですね」と言われる。
クレジットカードのサインや簡単なアンケートなどを書いていると
書いている途中で相手から言われることが多い。

「ああ、それはきっと逆さまで見ているからじゃないですかね?」と言うと
相手は即座に(あるいは、そうかもしれない)という表情を打ち消して
「いやいや、そんなことないですよ」とまじめに答えてくれる。

はっきり自覚しているけれども、わたしの字は決してきれいなほうじゃない。
少なくとも習字のお手本になるような字ではない。
それだのに、きれいな字ですね、と言われることがポツリポツリとあるから不思議なのだ。
でも言われて悪い気はしない。というか、結構うれしかったりする。
だって相当量のお世辞が入っているにせよ、仮に本当に汚い字をみて
「きれいな字ですね」とは誰だって簡単に言えないだろうから。
まあ、ある程度は読める字なのだと思うことにしている。


字をどんな風に書いてきたか、わたしは良く覚えている。
まだ「字を書くという行為」を覚えたての頃、わたしの字は震えるいびつな四角形だった。
「の」や「し」といった単純な丸い形状さえ、大きく変形してカクカクしていた。
字がうまいとかヘタとかの段階ではなく、書くことに悦びを見出していた時代だった。

小学校にあがって、女の子たちの間では急に丸文字が流行りだした。
とにかく何でもまあるく書くのがカワイイと思われた。
マンモスうれピー、というコトバが一大旋風を巻き起こしていたのもこの頃だ。
(・・・懐かしいような、つい最近どこかで聞いたような。。)
とにかくわたしも意識して丸く書くようになった。
そうして自分の書いた丸文字をうっとり眺めたりしていた(かもしれない)。

次にわたしの字に変化が生じたのは、小学校高学年にはいってからだ。
きっかけは友人のノートだった。
彼女の字はどれも規則的にちょっと斜めに傾いていて
それがなんとも言えない大人びた雰囲気をかもし出していたのだ。
俗に言う「癖字」だが、わたしはそんなノートに憧れた。
すぐさま背伸びをするようにわざと字を傾けて書くようになったわたしだったが
友人のノートのようにはうまくいかなかった。
どうにも見栄えが悪い。
原因は自分でもすぐに分析できた。
わたしの字は無意識のうちに、「傾く方向」をコロコロと変えてしまうのだ。
右に傾いていた字は、なぜか次の行では左に傾いている。
なかには文章の途中で突然まっすぐに起立している字もある。
理由はよくわからない。
規則正しく斜めに書きつづけるのはわたしには結構むずかしいものだった。
この頃は、授業を聞くよりもきれいなノートを作ることが大事だったから
授業中にも関わらず、せっかく書いたノートを破って最初から書き直すことが何度もあった。

中学生の時、筆圧を弱くしようと試みた。
ちょっと色の薄い字のほうがなんとなく賢そうに見えると思ったからだ。
なるべく力をいれずにシャープペンシルを持ってサラサラと書く練習をした。
これが全然サラサラなんか書けない。
それどころかフニャフニャした軟体動物みたいな気色悪い字が生まれてくる。
米粒ほどの異様に小さい字にも惹かれた。早速これも試した。
しかしどちらもすぐにやめてしまった。
ダメだ。性に合わない。字と性格は一致するのだ。
消しゴムでは簡単に消えないほど強く書くことしかできない。
大きく幅をきかせて偉そうに居座っている。
それがわたしという人間の字だ。

高校生になると、にわかに略字に偏執した。
略字が妙にカッコいいと思ったのだが、
書道の知識のないわたしには、字の正しい略し方がわからなくて挫折した。
この頃になってどうやらわたしの字はいちおう安定してきた。
そこには誰の真似でもなく、自然に出る字の形状があった。
乱暴な字だが嫌いではなかった。元来、わたしは短気で大雑把なのだ。
まあ、それを個性と呼んでもいいのかもしれない。

大学生になってからはあまり多くの字を書かなくなった。
そうさ、キーボードで打たれる字は誰にも平等にきれいなのさ。
つまり完全なる没個性の時代が来て久しいのだ。
気楽でいい。人前で字を書く恥ずかしさを感じなくてすむ。

そこから10年近く経ってようやく気がつく。
生活の中で字を書くチャンスは自分の名前を書くときぐらいにしかない、と。
もう一生、長い文章を書くことはないかもしれない。
名前ぐらいしか紙に書くものがないのだ。
そう思い当たったとき
よし、それじゃあ、名前を書くときは一筆一筆、真剣に書こうと決めた。

わたしは死ぬまでにあと何遍書くのだろう。
自分の名前である、この5文字を。
名前に恥じない字を書きたいものだ。
そして名前に恥じない生き方をしたいと思う。

だからいつも意識してなるべくきれいな字を書く。
潔い、こざっぱりとした、気持ちの良い字で、自分に与えられた貴重な5文字を表現したい。
それが今のところ、自分というものを表す、すべてだからだ。

2010年8月23日月曜日

ドモリ

多いときは一日に50回以上に電話を取る。
そのたくさんの電話の中のひとつ。掛けてきたのは男の人だった。

「ゆゆ・・・ゆうパック・・・ゆうパック・・・ゆうびんきょくの・・・者です」

・・・?はい。と答えてみる。

「おおお荷物、お荷物、お荷物のお荷物の、かかかくに・・確認かくに確認で確認で・・」

・・・・・・??はい。と答える。

「ししし・・新橋の・・しんば新橋新橋の・・じゅうしょ・・新橋住所・・・新橋のじゅじゅじゅ・・」

ものすごいドモリだ。と思った。高速で回しているDJのようだ。
根気よく、ええ、はい。と答える。

「○○会社様からのおおおおお荷物お荷物おに・・おにも・・つ・・を・・・」

はい。

「はっ・・・はっ・・はいたつ・・・配達はいたつはいた・・配達・・・」

なかなか要領を得ない。
内容を理解しようとする私も受話器を強くにぎりしめていた。
だんだん眉間にしわがよってくる。

「いい・・いつ・・いつも・・いつもはいつもは・・じゅじゅ・・住所がいつもは住所が住所が・・」

そうやって5分ほど辛抱強く聞いた。
彼が言いたかったのは、こうだった。
わたしの勤める会社はビルが二つに分かれている。
隣のビルにメール室1があり、わたしのいるビルにメール室2がある。
広報の○○さん宛の荷物だが、どちらに配達したら良いのか?ということだった。
誤配達を防ぐためか確認のために電話してきたようだ。

「○○宛の荷物をメール室2のほうへ配達してもいいかということですか?」

わたしが聞き返すと、彼のドモリは酷くなった。
焦らせてしまったようだ。

「じゅうしょ住・・住所が住所が住所がじゅじゅ住所が・・しし新橋しんば・・新橋のしんば新橋・・」

わたしは彼が同じことを言い終わるまで受話器を握り締めながら全部聞いていた。


正直、ショックだった。
いままで聞いたドモリの中では最上級の酷さだったからだ。
途中から聞いているのがたまらなく、つらくなった。

ああ、こんなにもドモってしまったら、どうやって人と会話していくんだろう。
激しくいじめられただろうに。
親は悩んだだろう。本人も悩んだだろう。
バカにされただろう。笑われただろう。
人と話すのが怖くなっただろう。
それなのに彼は電話で説明して配達の確認をとらなくてはならない。
そしてわたしが聞き返したことで余計に焦ってしまって
彼の言葉が絶望的にこんがらがっていく。
言葉の糸がぐちゃぐちゃに絡まってもう自分じゃどうしようもない、
という感じが伝わってきた。
本当に申し訳ないことをした。と思った。

受話器を置いてからもなお、胸に何かがつかえていた。
わたしはこんな絶望は知らなかった。
これほど話すのが困難なら、生きるのがつらいだろう。
得体の知れないものに胸をグリっとえぐられたような感覚だった。

こういう人に、いい友達がいてくれるといい。
安心して話せる世界、親身に耳を傾けてくれる世界があるといい。
何もできないわたしは、彼が孤独でないことを祈った。

2010年8月22日日曜日

結婚について

友人と近所の公園に子供祭りに出かけた。
タダでもらった焼きそば、焼き鳥、焼きとうもろこし。
こういうご近所さんたちとの交流はとてもいい。
夏も終わりが近い。

帰りに友人宅でアイスをもらい涼ましてもらう。
結婚についてどう思うかとたずねられる。
もう結婚はあきらめた。と答える。
最近になって、男の人と話したりするのが億劫になってきている。
もうなんかの勘違いとかぐちゃぐちゃするのはまっぴら。
恋愛やら男女の交流やらに疲れ切っているわたしである。
非核三原則じゃないけど、惑わない、近づかせない、近づかない。
もっと自由な道を行きたいのです。
わたしは男の人がそばにいるとダメになるのです。
友人はふうちゃんには相手の男の人も台風じゃなきゃダメかもね、
なんて言って笑っていました。
そのとおりかもしれない。
わたしの表現する愛情は強力でなまじっかへっぴり腰の男相手では被害甚大なのだと思う。

最近わたしは口数が減った。
言うべき言葉が見つからないときが多い。
どうでもいいことはあまり言いたくないのです。
真剣に生きていきたい。
そう考えるだけで涙がでてくる。
とにかく真剣に生きたい。
冗談だか本気だかわからないような生き方はしたくないのです。
伴侶となる人も真剣に生きている人じゃなきゃ一緒に生きる意味がないのです。
だからいろいろの男を試してたった一人の結婚相手を探すなんて不可能だと思う。
そんな時間を浪費するくらいならたった一人でいるほうが1億倍もマシなのです。

早く秋が来てほしい。
もう少し物事をいろいろと落ち着かせたい。
今の生活をじっくりと定着させて抱えている問題の輪郭をくっきりとさせたい。

歯科矯正

銀座の歯医者へ行った。
1年前に2本抜歯して、そこはずっとぽっかり空いたままだった。
インプラントにしようかと思ったが2本で100万円近い金額。
通っていた歯科の先生が矯正してみたらと勧めてくれた。

矯正でも120万はかかる。
しかし歯並びがきれいになって、ぽっかり空いた場所も埋まってよい。
インプラントで100万払うなら全部の歯を矯正してしまったほうがメリットが多い。

それにしても高くつく。
もちろん歯科ローンをくんだ。
3年で払う。
その120万という数字と月々の分割額をながめていたら
ふつふつと嬉しさがこみ上げてきた。
なんで大金を払うのにこんなに嬉しいんだ。

ちょうど1年前に仕事をやめて家も追い出された私には
もう自力で働いて生きていくことなんて到底不可能に思えていた。
社会から追放されて、白い目で見られて、陰のほうでじめじめ生きていくほかない。
本気でそう信じていた。
もう会社勤めなんてする自信ない。
わたしは人にすがって生きていくしかないんだ。
本気で惨めな自分を卑下していた。

それがどうだ、今なら120万も払ってみせるぞ!
ローンが3年だってかまうものか。働いて稼いだお金で生きていけるんだ。
高い給料じゃないし相変わらず貧乏には変わりないけれど
ちょっと工夫すれば好きなものも買えるし友達とご飯にだっていける。
よみがえったんだ。
無駄遣いをつつしまなくちゃならないけれど
それでも自力で生きていく道にまた舞い戻ってきた。
もう絶対自分の道をはずさないぞ。

いろいろと助けてくれた人たちに恩返しがしたい。
銀座の街を意識してゆっくり歩きながら、私はそんなことを考えていた。

2010年8月21日土曜日

不運

昨日、2時間の残業を片付けて会社を出た。
外は蒸し暑かった。
あいにく電車はすぐ来なかった。
5分の待ち時間の間に首筋から汗がにじんできた。
この汗も電車に乗ればひんやり気持ち良いだろうと想像した。
電車は空いていた。
乗り込む瞬間の冷気を思う存分体に浴びた。
ドアの近くの座席だけぽっかり空いていた。
ラッキーと思って座った。
ああ、涼しいなあと思いながら読みかけの文庫本を開いた。
それにしても涼しいなぁ、とくにお尻がひんやりして気持ちいいと思った。
次第にお尻が涼しすぎると感じてきた。
まさかと思って座席とお尻の間に指を差し込んでみた。
その瞬間わたしはギャーと飛びのいた。
立ったまま人目を気にして遠慮がちに自分のお尻に手を当ててみた。
お尻は濡れていた。
座席もよく見ると少し色が濃くなっていて濡れているようだった。

理解不能のまま他の座席を見つけて座った。
もう一度お尻を指先で触ってみた。
触った指を嗅いでみた。
うっ!くっ・・・臭い!なに?何の液体なの?!とパニックになった。
次ぎの駅について一番初めに乗り込んできた男性が先ほどの席に座った。
15秒くらいして彼も座席とお尻の間に手を差し込み、同じく飛びのいた。
そして隣の車両に移ってしまった。

降車駅で降りたあと乗り換えのために歩いていると
お尻が濡れていて非常に気持ち悪かった。
誰があんなところでおしっこをしたのかとムカついた。
濡れているお尻の感触がベタベタして嫌な気持ちになった。
お尻が濡れていて、しかもおしっこ臭いとすると
むしろ知らない人が見たら、わたしがおしっこを漏らしたみたいに思われるんじゃないかと恐れた。
憤ってみるが誰に向けて怒ったらいいのかわからなかった。

無気力になりながら帰ってきた。
被害者を増やさないための回避方法を考えていたが見つからなかった。
誰かが座ろうとするたびに「ここは濡れていて座れませんよ」と
いちいち注意することもできないと思った。

犯人は誰なのかも考えた。
子供、大人、奇人、変人、悪人、廃人。
だがわからなかった。

うんこを踏んだときは運がついたね、なんて冗談も言えるけど
おしっこのときはどうしたらいいのだ。
運じゃない、つまり不運。
もしくは悲(非)運。運に非ず。


我ながら馬鹿馬鹿しいと反省した。

2010年8月20日金曜日

「真理先生」武者小路実篤



短い小説だが、善人しか登場しない。気楽に読めて、清々しい気分を味わった。

これは本当のことを書いたものなので
タイトルも「真理」となっている。
愛や自由や正義、そして生きることと死ぬこと
人生をいかに生きるか、
幾多の小説もこれらのテーマを基に書かれているが
わたしははじめて知った。

―まったく悪人が登場しなくても、愛や自由や正義は書けるのだと。

武者小路実篤はすごいひとだ。

2010年8月19日木曜日

夏の100冊文庫キャンペーン

夏休みの100冊にはどんな本があるかしらと思って
集英社文庫と新潮文庫のリーフレットを手にとってみたけれど
いやー驚いた。
なに、この、ふしぎな選び方は。

ためしに新潮文庫100選で数えてみるとそのジャンル別の内訳は
「名作」・・・・・33冊(「坊ちゃん」「羅生門」「友情」などなど)
「現代文学」・・・44冊(「東京タワー」「海辺のカフカ」「博士の愛した数式」などなど)
「海外文学」・・・16冊(「十五少年漂流記」「変身」「罪と罰」などなど)
「エッセイ・ノンフィクション」・・・13冊(「深夜特急」「こころの処方箋」などなど)

あれ?100冊以上ある。だがリーフレットの隅に
「新潮文庫の100冊はキャンペーンの総称です」と小さく書いてあるので
細かいことはまあ気にしないことにする。

あのね、ちょっとおかしくないですか。海外文学16冊って。
9割が日本作品かよ。海外文学のどこがいけないっていうんですかあなた。
名著がたくさんあるじゃないかー!
シェイクスピアやユゴーやトルストイはなぜ選ばれないのだ。
ゲーテは小説じゃなくてなぜ「ゲーテ格言集」が選ばれるのだ。
わけわからん。どうなってるの。
あとね、現代文学多すぎじゃないですか?44冊て。
過去の名作よりも多いのですか。ああそうですか。
ちょっと前から最近にかけて映画化された作品ばかりじゃないですか。

これなら売れそう、みたいな真似はなんだかなぁ。
夏の100冊って出版社のもっと良心的な試みかと思っていたのにすっかりだまされたなぁ。


ぶーぶー言っても仕方がないので100選の棚から2作、他から2作を手にとり家路へ。
早く読みたい、早く読みたいとウキウキしながら帰りにコンビニの前で
「ふうちゃーん!」と呼びとめられる。
振り向くと最近親しくなった友達が向こうからやってきた。
「今帰り?これから近所の友達呼んで女の子だけでうちでご飯食べるんだけど来ない?」と彼女。
「え!ほんと!」と嬉しそうな顔で返答しつつ、
頭の中ではこれから真っ先に始めようと思っていた至福の読書と天秤をかけていた。

「うーん、どうしよっかなぁ。ご飯買ってきちゃったし・・・。
 ・・・どうしよう、うーん、じゃあご飯は家で食べるからあとで顔だけ出すよ!」
といって一旦家に帰るなり、いま買ってきたばかりの本の中から一番薄いのを取り出して
とりあえず集中して1時間で読み終えた。

はぁーおなかいっぱい。完全な活字中毒症だ。
なんたって三度のメシより読書だ。もちろんそこにメシもあれば言うことない。
そうして満足してから友人宅へ出かけた。
行ってみるとみんなお酒を飲んでいて楽しそうな話をしながら迎えてくれた。
わたしもビールをすすめられたけど、家に帰ったらまた本を読もうと決めていたので
酔っ払って帰るのはどうしても嫌で、おなかの具合が悪いからといってお茶をもらった。

行く前は、本の話でも少しはできるかしらと淡く期待していたが
赤裸々なガールズトークが炸裂していて本のことなんて一言だって口にできなかった。
かわりにさんざん笑い転げて帰ってきた。

さあ、読書の時間だ!

2010年8月18日水曜日

読後感想文―「路傍の石」山本有三



次野先生の言葉

「愛川、おまえは自分の名まえを考えたことがあるか。」
「・・・・・」
「ああ、自分の名まえはどういう意味を持っているのか、おまえはわかっていないのじゃないのかい。」
「・・・・・」
「おまえは作文にでも、習字にでも、自分の名まえだから書くんだって気もちで、
たいして考えもせずに、ただ愛川吾一と書いているが、名は体をあらわすというくらい大事なもので、
吾一というのは、容易ならない名まえなんだよ。」
「・・・・・」
「吾一というのはね、われはひとりなり、われはこの世にひとりしかいないという意味だ。
世界になん億の人間がいるかもしれないが、おまえというものは、いいかい、愛川。
愛川吾一というものは、世界じゅうに、たったひとりしかいないんだ。どれだけ人間が集まっても、
同じ顔の人は、ひとりもいないのと同じように、愛川吾一というものは、この広い世界に、
たったひとりしかいないのだ。」
「・・・・・」
「(中略)―死ぬことはなあ、愛川。おじいさんか、おばあさんにまかせておけばいいのだ。
人生は死ぬことじゃない。生きることだ。これからのものは、何よりも生きなくてはいけない。
自分自身を生かさなくってはいけない。たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない人生を、
ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか。」
「・・・・・」
「わかったか、愛川。先生はおまえに見どころがあると思えばこそ、こんなに言っているのだ。
おまえは自分の名にかけて、是非とも自分を生かさなくってはならない。
おまえってものは、世界じゅうにひとりしかいないんだからな。
―いいか、このことばを忘れるんじゃないぞ。」


黒川の言葉

「確かに、いい修行をしたのだ。人間はな、人生というトイシで、ごしごしこすられなくちゃ、
光るようにはならないんだ。」
「・・・・・」
「『かんなん、なんじを玉にす。』へこたれちゃだめだ。くよくよするんじゃないぞ。」




じいやの言葉

「辛抱するんだよ。つらくっても、我慢しなくっちゃいけないよ。」


「働くってのは、はたをらくにしてやることさ。」
ほかの人が言ったら、だじゃれに聞こえそうなことばが、このじいやの入れ歯の間から出てくると、
なんか、しみじみとした響きがあった。
「ああ、そうなんだよ。働くと、―はたの人をらくにしてやると、自分もきっと、らくになるんだよ。」


「おまえさんは若いんだから、うんと働かなくっちゃいけないよ。
働いてお金をどっさり、ためるんだよ。若い時、骨おしみをしちゃだめだ。
―そうだね、おまえさんが出世をしたいと思ったら、みんなが仕事をはじめる前に、
仕事をはじめるんだよ。そうして、おしまいの時は、みんながすっかり手を洗っちまうまで、
仕事をやっているんだよ。これが出世の秘伝だよ。金もちになる奥の手だよ。
どうだい、わかるかい。」




「もう泣くんじゃないよ。泣いてなんかいないで、早くそうじをやりかえなくっちゃだめだよ。
―さ、涙をふいて。涙をふいて。わしもいっしょに手つだってやるから。」
吾一はくやしくって、くやしくってたまらなかった。
自分でしたのでもないのに、自分のせいにされてしまい、そのうえ、いやというほど、
なぐられたのだから、彼はもう、そうじのやりかえなんかする気がなかった。
じいやに言われて、彼はしかたがなしに、石油カンから石油をあけてはいたが、
石油の色さえ、涙で見えないくらいだった。
「辛抱するんだよ。我慢しなくっちゃいけないよ。」
じいやはほやをそうじしながら、いつもの口調で言った。
「おまえさんが水を入れたんじゃないことはわかっている。そりゃ、
だれかがいたずらをしたのに相違ないさ。だが、それは、だれがしたの、かれがしたのなんて、
考えるのはつまらないことだよ。そんなことは、こちとらのやる仕事じゃない。
こちとらは、ただ働きさえすりゃいいんだ。あい手がまちがっていても、
口ごたえをするんじゃないよ。くやしくっても、言いわけをするんじゃないよ。
いくら言いわけを言ったって、言いわけで、ランプはともりっこありゃしない。
こちとらの仕事は、ランプそうじだ。ランプがくもらないようにすれば、それでいいんだ。
泣くんじゃない。泣くんじゃないよ。
―いいかい。何ごとも辛抱するんだよ。黙って働くんだよ。―」



小説・路傍の石は未完で終わってしまった。
愛川吾一という極貧の家に生まれた幼い少年を主人公として
厳しい境遇を耐えに耐え忍び、苦学をしながら、まだまだこれから彼の未来が待っているその瞬間に
突然ぱたりと終わってしまった。
小説の話の途中、次のページへとめくると、そこに「ペンを折る」と題する文章があった。
作家である山本有三が、これ以上書くことはできない、と断筆を表明したものだった。
昭和15年。
戦中戦後のことで、検閲が激しいなかでの執筆、そして断筆への決断だったようだ。
「ペンを折る」のなかで山本有三は「切腹にひとしい気もち」と書いていて
わたしの胸にも無性に悲しさが込み上げてきた。彼を思うと泣けて仕方がない。
この小説で彼が表現したかったものが、戦争という暗い時代によってごっそり奪われたのだ。

「ふり返ってみると、わたくしが『路傍の石』の想を構えたのは、昭和十一年のことであって、
こんどの欧州大戦はさておき、日華事変さえ予想されなかった時代のことであります。
しかし、ただ今では、ご承知のとおり、容易ならない時局に当面しております。
(中略)もちろん、あの作そのものが、国策に反するものでないことは、
わたくしは確信をもって断言いたします。
資本主義、自由主義、出世主義、社会主義、なぞがあらわれてきますが、
それを、どう扱おうとしているものであるかは、あの作を読めば、だれにでも、
すぐにわかるはずです。今日の日本は、あの作の中に書かれたような時代を通り、
あの作の中に出てくるような人たちによって、よかれ、あしかれ、きずきあげられたのであって、
日本の成長を考える時、それはけっして無意味なものではないと思うのです。」

「もし、世の中がおちついて、前の構想のままでも、自由に書ける時代がきたら、
わたくしは、ふたたび、あのあとを続けましょう。けれども、そういう時代がこなければ、
あの作は路傍に投げ捨てるよりほかはありません。」


戦争の馬鹿野郎。
もし戦争に姿形があるならば今こそ力いっぱい殴りつけたい気持ちだ。

ともあれ、これは本当に胸に迫るものがある話だった。
タイトルとなった「路傍の石」。
幼く貧しい吾一は路傍の石のようにいつも誰かに蹴飛ばされてしまう。
だけど、そんな路傍の石ころを、こんどは別の誰かがうんと励ますのだ。
次野先生や、黒川や、じいやのような人が、負けるな、生きろ、と彼を励ます。
そうやって吾一は歯を食いしばりながら前へ上へと成長していく。
「かんなん、なんじを玉にす。」

ほんとうに、そうですよね。
わたしも腹を決めてがんばろう。

2010年8月17日火曜日

自己愛

昨日は「アンナ・カレーニナ」トルストイ著を読み終わって放心状態でした。
私の大事な主人公アンナが自殺してしまって、もうなんだか脱力。

そんな終わりかたって・・・。
あああ、なぜ自殺するんだよぉぉぉ(涙)
だめなの?死ななきゃダメだったの??

読んでない人のために超テキトーにあらすじを書くと、
超美貌の持ち主の貴婦人アンナが、これまた超美男子のヴロンスキーと浮気して
(愛してない)夫と(愛する)息子を捨てて駆け落ちしてしまうんです。
真実の愛に生きようと心に決めて何もかも、すべてを捨てて駆け落ちしたのに
ヴロンスキーのアンナへの愛情が次第に冷めていき・・・
アンナはヴロンスキーがほかの女と浮気しているんじゃないかと疑い、異様に嫉妬し、
嫉妬されるたびに一層ヴロンスキーの愛がどんどん冷めていくのを自覚しながら
愛をつなぎとめることができないのなら、
「後悔することになるわよ」とヴロンスキーに言い残したまま・・・

・・・鉄道に飛び込み自殺。がーん。。。

冷静さと情熱を両方持ち合わせた魅力的なアンナが
最期はロマンチックな悲劇のヒロインになりきるしかなかった。
そんな悲劇のヒロインとなった自分をあざ笑いながら
愛のために生きる、愛を失ったから死ぬ。それだけの単純な理屈で自殺。
くぅぅ・・・阿呆な死に方しやがって(泣)

愛に生きるってなに?
愛に生きてなぜ不幸になるの。

愛といってもそれは、結局のところ自己愛でしかなかったのだ。
ヴロンスキーを愛するのも、彼が自分を愛してくれていたからだし
後半では彼の愛をつなぎとめようと彼女は必死に
「彼が好きな服」「彼が好きな髪型」「彼が好きな振る舞い」をするようになる。
自分に向けられる愛情を極端に要求するようになる。
本来なら自分はもっと多くの人から愛され賞賛されるべき存在なのに、
それでもあなた一人を選んだ、あなたの愛それだけを選んだのにムキー!と嘆く。
つまるところ彼女は自分しか愛していないのだ。

この自己愛。
こんな感じの会話。
(引用ではありませんがこんなシーンがありました・・・雰囲気で書いてます)

「あなた!他の女と浮気してるのね!昨夜もその女のところへ行ってたんだわ」
「おいおい、待てよ。昨夜は○○さんのところへ行ってたんだ、君も知っているだろう?」
(いいえ、この人は嘘をついているんだわ、そんなこといって私をだますつもりね!)
「私がこんな辛い思いをしているっていうのに、あなたは○×△□~!!!」
「じゃあどうしろって言うんだよっ!君をこんなに大切にしてるじゃないか。これ以上僕にどうしろっていうのだ」
「そんなこと言うなんて!あなたは私の辛さがわかっていない証拠だわっ!」
「おいおい、毎日こんなんじゃとても耐えられないよ!」

みたいになっていくんです。
実際ヴロンスキーはまだ浮気はしていない(たぶん)し
彼女に嘘はついていないにもかかわらず
嫉妬に狂うアンナにはすべてが歪んだ世界のようになってしまう。

なんだか遠い世界の話ではありませんよ。
私もこれに似たような気持ちを経験したことがあるし
似たような破滅的な会話をしたこともある。
しかもそれを何度か経験して自殺することなくこうして今も生きているからこそ
「うぉぉアンナ~~~!!なんでホントに死ぬんだよぉぉぉぉ」
と叫んでしまった。

美しい花は枯れてはいけない、美しい花びらを開いたまま
ぽとっ・・・と落ちて消える

的な?!?!
そーゆー思い込み(ナルシシズム)で死を選ぶんだ、嗚呼。。
気持ちはめちゃくちゃよく解るけど・・・愛がそっち方向に行ってはダメなんだ。
自滅しか選べなくなるまで自己愛に走るなんて。
彼女は結局、自分も他人も一切合財すべてを「不幸」にして死んでいった・・・。
本当に、誰一人、幸福になれなかった。

トルストイは彼女の死をあっけなく書いた。
愛を失ったからといって鉄道自殺した彼女の無残な最期に美しさなど
微塵も表現しなかった。
あれほど美しく華麗に描かれたアンナ・カレーニナだったのに。
トルストイはその彼女の死を冷徹なまでにあっけなく書いて彼女の話は幕切れとした。
そこにトルストイの明確な、生死への態度がうかがえる。
愛に狂った末の死。

嗚呼・・・。

2010年8月16日月曜日

怒り

相手が余りに無礼なことを何の遠慮もなく言ったので
私の動きがピタリと止まった。

さっきまで軽いジャブのような侮辱も笑って聞き流していたが
これも同じように半笑いで聞き流せばいいのだろうか?
ジョークと侮辱。その境界線は?
このまま怒っていいものか、それとも・・・。

いいや。
これはいくらなんでも許せん。
言葉を単なるジョークとしてとらえるにも
限度があろう。

言葉の暴力。
それは乱暴な言い回しだけが相手を傷つけるのではなくて
軽く言おうが、柔らかく言おうが、
そこに込められた意味によって判定されるのだ。
どんな使い古された言葉でも
バカ!だろーがアホ!だろーが
お前のかーちゃんでーべーそ!だろーが
許せる意味と許してはならない意味とがある。

まさにそんな類の言葉だった。

私はできる限り短い言葉で自分の怒りを最大限に表現した。
きっぱり、直球で、余計な意味を持たせないように気を引き締めながら
「それはあまりに失礼だ」と言った。

失礼。
それしか言いようがない。
人間と人間の境界線をこんなふうに踏み越えてはいけない。

後日、相手から
自分はあの時こんな素敵なことを考えながら
これこれこんな意味で言ったのであって決して侮辱するつもりはなかった、
だから許してほしい。
というメールが来た。

自分の言った最低な言葉を自分の都合の良い意味にすっかり変換していた。
その自己弁護の姿勢があまりにも卑怯で無様なのでひどく残念に思った。
せめて謝るときぐらい正直さを引っ張り出してこれないのかこいつは。

一度相手の顔面を思いっきり殴っておいて
あのときのパンチにはこんな素敵な意味がありました。
でもごめんなさいね、許してね。
と言われて、ああなーんだそうだったのか、じゃあもういいよ。
なんてなるわけない。
心の狭い私ならなおさらない。

私は許すも許さないも答えずに、
後から何をどう飾り立てようと
あの場で言われた意味はあの言葉のとおりだった。
自分の発言には責任をもったほうがいい。
私はずっと忘れないから。
と返した。

それでいい。
正当な怒りを表明した。
もうそれで自分は納得した。
あとは私自身の問題だ。
二度とそんな言葉を誰にも言わせない自分になるだけだ。

2010年8月9日月曜日

新しさと古さ

「いただいたチケットがあるから」と友人に誘われ
日本舞踊の公演に行かせてもらった。
第一部は伝統的な日本舞踊の舞を堪能し、初心者ながらその美しさに感動したのだが。

第二部に入るとなぜかアップテンポな歌謡曲が流れ、
短いテーマを元に創作された舞踊が立て続けに演じられた。
曲が変わった途端に伝統美がなんとも薄っぺらく非常に退屈なものに変わってしまった。
台無しじゃないかー!

なぜ歌謡曲で舞う必要があるのか。
一体あれのどこが良いのか。誰か説明してくれーい。
解せない気持ちを抱えて帰ってきた。
見てはいけないものを見てしまったような居たたまれない気持ちだ。
芸術の存続について友人と話しながら帰ってきた。

昨年ドイツに行ったとき、古い劇場でオペラを観た。
幕間に演出家が出てきてなにやら演説を始めた。
ドイツ語を英語に翻訳してもらって演出家が何をしゃべっているのか理解した。

「○○市は今年の議会の決定に従い、
この伝統ある劇場と芸術についての支援を一切取りやめてしまいました。
すばらしい音楽家、すばらしいオペラ歌手、女優、俳優、すばらしい演出家、技術者、
そのすべてがここで生活できなくなり、ほかの都市へと移り住むことを余儀なくされました。
人数の減ったわれわれの一団は、公演する演目を減らさざるを得なくなり、
今日のこの演目も最低限の人数で行っております。
これ以上人数が減れば何も公演できなくなるでしょう。
そして今後わが市ではオペラ公演を開催するために、
他の都市からオペラ劇団を招聘しなければならなくなります。
サーカスのように、季節に一度やってくるその団体を待ち望まなければなりません。
いまこの市の市民の皆様、また近隣の市の皆様は、
伝統的な芸術を親しむ機会を議会によって奪われたのです。
このようなオペラを存続させるのに必要な経費は○○ユーロ、
それを削減することはこの地から芸術を抹消する愚行なのです。
どうか、心ある皆様は今日のオペラを楽しむ気持ちでそのまま芸術を愛し、
この劇場を愛し、存続させるための力にして、政府に手紙を書いてください。
寄付をしてくださいとはいいません。
一言で良いので善良な気持ちから市への抗議をしてくださいますようお願い申し上げます。」

このような話だった。
私はとても感銘を受けた。
「この劇場」の存続と「この地域の芸術」の衰退について
真正面から切実に訴えかけられたからだ。
具体的でわかりやすく、芸術に対する感情移入が容易だった。

次の日、演出家の記事が地域の新聞の一面に大きく載っていた。
そこに住む人々全員の問題として突きつけられていた。
ヨーロッパの人々はこうやって芸術を守ろうとしている。
訴えかけた演出家も、そこにいた聴衆も、新聞を読む人々も一律に
芸術の存続について「我々は考えなければならない」という責任感を持っているようだった。
私は日本と比べていた。

昔、写真家が嘆いた。
「写真展をやっても写真は売れない。日本人はみな、写真はタダだと思っている」
写真は絵画より地位が低い。
絵も売れない日本で、写真なんてもっと売れないという。


「芸術の力」「文化の力」を信じなければ何も残せない。
そこに価値をみとめる力があるかどうかはこちら側の問題だ。
音楽、絵画、舞踊、そこには言葉では伝えきれない有形無形の美があって
美は人間にとって大きな力を与える存在なのだ。
歌謡曲で舞う日本舞踊は新しい芸術・文化として受け入れられるのだろうか?
私の感想は・・・難しいと思った。
新しさよりもっと本来の美しさを追求していってほしい。

2010年8月3日火曜日

はたくはたらく

仕事がひどく退屈になってきた。
ごくごく限られた狭い範囲の単純な内容を
あまり頭も使わずにこなしている。
恐ろしく仕事量は多いのに、中身は薄い。

それで、いかに仕事時間を退屈せずに過ごすか、
について苦慮するようになった。
ふと、1時間でできることを2時間でやってみる。
あれ、それじゃ、サボってるだけじゃん。

それで、1時間でする内容を集中して30分で終わらせる。
次の仕事も、その次も、明日やる分も、来週でも良いものをも。
そして書類の束が次々片付いて、もう、1枚の書類もなくなった。
ただしまだお昼を少し過ぎたところだ。
定時まで数時間ある。なのにやることがひとつもない。

あまった時間をもてあます。
さて困った。
確かに今朝、今日か明日にでもやらなければならないことはたくさんあったはずなのに
すでに終わってしまった。
人知れず、ひっそりと、一人きりで「ああ今日一日が長い」と感じる。
もう、入力するべき書類も、片付けなきゃならない雑務も、見当たらない。
かといって、新しい創造的な仕事はわたしにはひとつとしてない。

たとえば、新しい企画を考えるとか、アポを取るとか、原稿を書くとか。
そういう仕事はない。

かかってきた電話を即座にとる。与えられた仕事のひとつだ。
しかし相手は基本的に私に用事があるわけではなく、私は電話交換手のような役目。

この派遣はつまらない。

なぜ?
期待していたほどのスキルは身に付かないとすぐに分かった。
むしろなぜこの仕事にコレだけの高い時給が払われているのか疑問だ。
私に与えられた仕事は大量にあるけれど、能力的に人並みあれば卒なくこなせる。

早く終わらせたからといって褒められるわけではない。
まさか上司に「もうやることがなくなりました」とは言えない。
そんなこと言われたらきっと上司だって困る。
それこそ空気読めよ、となる。
与えられた仕事を与えられた時間内に「まんべんなく」やってくれたらいいのだ。
「派遣なんだからそこまで頑張らなくていいよ」という台詞は
すべての人の共通理解だと知る。

こういう雰囲気で職場は成り立っているのだ。
1日の仕事とそれにかかる時間はほぼ想定されていて、
想定内で終わらせればいいのだ。
誰も予想外に早くやることを望んでいない。
契約によって仕事内容が細かく規定されているわたしに、
別の仕事は用意できない。
それどころか「激務でしょうけれど」と言われる始末。
さも大変そうに、さも時間が足りなさそうに仕事をしなければ
なんか妙な空気になってしまう。


気が付けば、パソコンの画面を見つめながら
「働く」ことについてぼんやり考えていた。

働くは「傍を楽にする」というんだ。

その反対は・・・はたく?

傍を苦しめる、叩く(はたく)・・・。
おお、確かに。
「あんたのは『働く』じゃない、『はたく』だ!」
という人が周りにいる。

あの人は「はた楽」。あの人は「はた苦」だな。
なーんて見回してみたり。

働く、働く・・・

ああ、働きたい!
働いて働いて
「ああ、今日も一日よく働いた!」と言いたい。
満足して一日を終えたい。

2010年7月26日月曜日

なんだかわたし

活字中毒。読書狂い。
本と本の狭間で生きてるんです今。
いったい何を探してるのか、自分でもよく分からないけど
狂ったように本に没頭中です。

朝起きて1ページ、顔洗って1ページ、
シャワーあびてドライヤーかけながらページをめくり
朝ごはん食べつつ読み進め、電車に乗ったら数行追いかけ
会社に着くまでの1秒でも無駄にしたくない。
なんだってんだ。
なんでこんなに活字に飢えてるんだ~。
死ぬの?もうすぐ?
どうなの??

ドストエフスキー、カラマーゾフの兄弟。罪と罰。
あっとゆーま!
学生時代、あんなに苦労して
結局最後まで読めなかったのに。
ああ、なんてバカなんだろう、あの時全部読んでいたら・・・
ああでも、なんて幸せなんだろう。いまごろこうして読めるなんて。

次はぜったいトルストイ。全部。
その次はもう一度シェイクスピア全部読みたい。
それより読んだことない名作、そう、名著を読まなきゃ!
あああ、時間がもったいない。

この夏はきっとあっという間に過ぎてしまいそう。

それにしても・・・
誰か感想を言い合える友達がいたらなぁ。
大学生のとき、親友と朝まで飽きずに交わした会話のように
本や思想の世界を共有できる友達がほしいなぁ。

もっと、みんな、本を読んだらいいのに!

2010年7月15日木曜日

ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」

2010-

読破した。

ああ!!!
なんて素晴らしい小説なんだろう!
なんて素晴らしいラストなんだろう!

もうこれは、本当に感動で言葉が出ない。
この1週間ほど我を忘れるように無我夢中で読んだ。
そして最後は本当に心が震えた。

人間をこれほど深く捉えた小説はないのではないだろうか。
貧しさ、善良さ、恥辱、誇り、正直さ、悪辣さ、罪の意識、そして許すこと。
神と人間。
キリスト教は多くの矛盾をはらみながら、こうして人間を芸術的にまで高めてきたんだ。
確かに人を導いてきたんだ。

暗く、貧しく、凍えるロシアの大地で
心に闇を抱えて生きてきたロシアの人々にとってキリスト教(ロシア正教)は
暗闇の中の1本のろうそくの明かりのように暖かくやさしい光だったのだろう。

まさにキリスト教はろうそく1本の明かりなんだ。

2010年5月19日水曜日

僕が僕であるために

2010-




死ぬほど寂しそうな顔をして歌う彼の表情を見ていて
涙が出てきた。
こんなに全部をさらけだしてしまったら
きっとすごく痛いだろうに。
そう思ったら、自分の心まで痛くなった。

おこがましいかもしれないけれど
もし生きて出会っていたら、
何とかしてその孤独を救ってあげたかった。
そんなふうに思いながらこの歌を聴いた。

正しいことが何なのか、いつか分かる日がくる。
そう信じて歌う彼の純粋さが深く鋭く胸を打つ。

今のわたしは
寂しい歌を聴いても、寂しくならない。
昔よく聴いていた尾崎豊の曲を聴いて
自分が変わったことに気づく。
感傷は、もう必要ない。

現実の世界で戦う。
明るく、明るく、どこまでも明るく生きる。

2010年5月16日日曜日

あればいいなと思う機能は?

2010-69

仕事をしていたら突然、先輩から呼ばれて
社内の別の部署へ行くように言われた。
先輩の後を付いて会議室に入ると、紙を渡される。


そこにいた女性が話し出した。

「ここに、秋に発売する○○という製品があります。
お渡しした用紙のQ1から順番に質問に答えていってください。」

そのQ1とは、
「いらないと思う色はどれか?」
だった。


なるほど!
新商品前の社内アンケートか!
やっと自分の置かれている状況を理解すると
さっそく質問に答え始めた。

会議室には同じように社内の20~30代女性が
質問のたくさん書いてあるアンケート用紙とにらめっこしていた。
近くの椅子に座った人が言った。
「ブルーはないなぁ・・・」
するとその隣の人が驚いて言う。
「ええっ?私、ブルーが一番ですよ」
私もなぜかその会話に自然に参加してしまい
「私もブルーはいい色だと思いました」
と言うと、その場にいた何人かが会話に参加して
ブルー派と否ブルー派に意見が分かれた。

最後の質問で、欲しい機能があれば書いてください、とある。
欲しい機能?欲しい機能ねぇ。。。
機能満載だし、これ以上何を望めばいいんだろう?
何を書こうか思案していると
さっき会話をした人がポツリとつぶやくように言った。


「・・・・褒められたい。」




え?
褒める機能ですか?と聞き返すと、
「そう。何でもいいから褒められたい」
と答えた。
少し遠い目をしながら・・・(笑)


ほほー。
家電製品が褒めてくれる・・・か。

たとえばご飯が炊けたら炊飯終了の合図とともに
「上手に炊けましたね」と表示がでる炊飯器とか
洗濯を始めるときに「今日もお洗濯ごくろうさま、いつもエライですね」
と音声が流れる洗濯機とか
以前より痩せていると「すごい!この調子でがんばれ」と言われて
逆に太っていても「その調子、その調子!いいよ、頑張ってるよ」
と褒めてくれる体重計とか。

他にもいろいろできそう。
褒められたい人が多い世の中かもしれない。
それはなかなか良い機能にも思えた。

次のブームは「褒め家電」かもしれない・・・!!
と、予言してみる(笑)
コレを読んでひらめいた人がいたら
ぜひナイスな「褒め家電」を作ってください。
そして私にタダでくださーい♪

ところで「愚人に褒められるは第一の恥」が信条のふうさんですが、
家電に褒められるのはどうなんだろう?(笑)

2010年5月12日水曜日

初出社

2010-68

新しい会社への初出社。
スーツを着込んで電車に乗り、会社の最寄り駅で降りた。

わたしの新しい仕事は広報。
初日はひたすら雑誌のチェックをした。
会社の商品が掲載されているか確認し、
それをスキャンして保存する。
とにかく何十冊も雑誌のページをめくった。
ファッション誌、生活情報誌、経済誌、テレビ番組情報誌などさまざま。

その量が多い上に、やっているそばから「これもお願いしまーす」と
新しい雑誌が増えていくのでこれは相当なスピードでチェックしないと
他の仕事ができなくなっちゃうな…と思いながら
ペースアップしてなんとかそこにあるものは終わった。

はー!おわたー!と一息ついて
隣の席で仕事を引き継いでくれている派遣の子(来週で辞める)に
「終わりました」と声をかけると
「ええっ!もう終わっちゃったの~?」と驚いたあと
彼女は顔を近づけて、わたしにしか聞こえない小さな声で言った。

「そんなに頑張らなくていいよ、派遣なんだから」

あれ?デジャヴ?
そういえば少し前にアルバイト先でも似たようなことを言われた。
「そこまでする必要ないよ、所詮俺らはアルバイトなんだからさ」

正直びっくりする、こういう言葉って。

仕事をしに行ってるのに、その仕事をなるべく減らそうとする。
楽して稼ぎたいってことなのかな?
同じ時給なら、仕事しないでお金をもらうほうが嬉しいってこと?
それってあまりに短絡的じゃないか。


自らの「仕事」に喜びを見つけられないとしたら、
それは「仕事」ではなく「作業」だ。



そして「何のため」に働いているのか。

ある偉人はこんなことを言っている。
「労苦と使命の中にのみ
人生の価値(たから)は生まれる」

「何のため」という使命感や目的観がなければ
何をしていてもどこにも辿りつかない。何も達成できない。



わたしは具体的に人の役に立つ自分になることを目標に
広報のスキルをより多く身につけ、新たな人脈を作ることを目的として
ここで働き出したので仕事が増えるのはむしろ歓迎できる。


さまざま考えながらの初出社となった。

2010年5月10日月曜日

仏壇

2010-67

夕方、母からメールがきた。

「電子レンジ、物置にあった。
捨てちゃったと思ってたんだけど忘れてたみたい。
ごめんね。もう買っちゃった?まだなら送ろうか」

送って送って~!
と即座に返信。
電子レンジはずっと必要と思っていたけれど購入は後回しにしてきた。
心に決めたことがあったからだ。

2月の大雪の日にスーツケースひとつで東京に舞い戻ってきた。
当然部屋にはなにひとつない。
しかし、一番最初に買うと決めていた「あるもの」を買うまでは
決して何も買うまい。
どんなに不便でもどんなに必要でも。

そのあるものとは、仏壇だ。

読んでいる人は驚くかもしれない。
もしくは身内の不幸を心配してくださるかもしれない。
それ以上に、大丈夫?と心配されるかもしれない。

ここで必要以上に、自分の宗教について書くつもりはないが
世間一般では黙殺されている「信仰心」というものを
わたしが強く心に持っているということだけ書いておく。
つまりわたしは外国人と話していて
「自分はブディストだ」と自信を持って言える日本人のひとりだ。

仏壇購入への決意には、それ相応のさまざまなストーリーがある。
そして、今のわたしでなければ買えない。

仏壇は線香やろうそくを買うのとは違う。
それ相応の決意がなければ買えるものではない、
ということは無宗教の人でもある程度想像がつくでしょう。
わたしは仏壇購入を心で強く願った。
形にこだわっているのではなく、信念を形にして自分の目の前にドーンと据え置きたかったのだ。

仏壇はまさに自分の宗教的信念の体現となるものだ。

ここはとにかく「順番」が大事なのだ。
最初に買うと決めたものから順番に買う。

強き信念の前では、不便さはある意味問題ではない。

ガンジーは占領下のインドでイギリス政府が統治を強めるために
塩の専売を開始すると即座に「塩の大行進」を始めた。
インド独立を認めないイギリス政府からは何も買わない。
それがたとえ生命維持に不可欠な塩であっても。
塩?それなら海まで行って自らの手で作ればいいのだ!という話。

わたしの信念とガンジーのそれとが同じとは言い難いが、
とにかく不便がなんだ。
自分で決めたルールは死守しなければならない。

就職が決まったら仏壇を買うと心に決め
採用通知がきた次の日に購入に踏み切った。
カードでしか買えない金額だったが
それは働いて少しずつ返せばいいだけの話だ。

そしてわたしの計画では、次はようやく電子レンジだった。
こと電子レンジに関して言えば、
安価で簡単な機能のもので良いと考えていた。
最低限あっためることができればいい。

でもそれは次の給料が入ってからの話だと算段していた。
どれだけ安くても、収入が安定するまでは安易にお金を使えない。
だから今後1ヶ月ほどは電子レンジのない生活を続けるつもりでいた。

その電子レンジを買わなくて済む、という母からのメール。
なんとも不思議な気持ちになった。
なぜこのタイミング。

必要なものが向こうから歩いてやってくるような感じもするし、
仏壇買うまで物置で知らん顔していて、タイミングよく出てきたとも思える。
普通の人なら「ラッキーだね」で済ますレベルかもしれない。
もしくは「運が悪いね、もっと早く見つかっていれば不便な生活をしなくて済んだのに」と言うかもしれない。

こんな風に言われるとき、
人生には幸運と不運のどちらかしかないように聞こえる。

しかしわたしはそこに何らかの
意味なり示唆なりを見つけたいと常々考えている。

仏壇買ったら電子レンジがもらえた、となると
値段がぜんぜん釣り合わないじゃないかと笑われるだろう。

必要なものが必要なタイミングで現れるということを
「ラッキー」以外の言葉で表現すると
「何かの恩恵にあずかった」とも言える。
キリスト教徒なら真っ先に神に感謝すると思う。

わたしは、というと…
「順番に間違いがなかったんだ」と、安堵した。
自分のルールに少し自信をもった。

そして、やはり願えば叶う、と確信した。
人生は願ったとおりになっていくんだ。

2010年5月9日日曜日

ロシア文学の素晴らしさ

2010-66

ドストエフスキー「貧しき人々」読了。
これは彼の処女作だ。

ロシア文学の素晴らしさ!
今更ながら唐突に気づかされた。
大学生時代のわたしにはまったく理解できなかったのだ。
貧しい、ということが。

19世紀末のロシアは本当に貧しい。
極寒の地で、作物はなく、港も凍る。
なのに裸足で歩かなくてはならないほど
人々はあまりに貧しいのだ。

「貧しき人々」の主人公とその周囲の人々もまた極貧だった。
この小説の主人公たちは極貧からスタートし、
さらに一層貧しく困窮していく。
どんどん貧しくなっていく。
ボロボロの衣服を着ていることに後ろ指差されても構わず、
愛する人のために惜しげもなく自らのお金を使っていた主人公が
物語が進むにつれて本当にどうしようもなく貧しくなっていくのだ。
貧困の脅威。

キリスト教(ロシア正教)である彼らは、
極限状態で神の存在とその力を疑わざるを得ない。
救いうようのない貧しさが、
悪魔のように彼らの正しき思想を捻じ曲げようとする。

人間が、その人間性を失う限界まで苦悩し葛藤するのだ。

その苦悩と葛藤の様子が
これほどまでに鮮明に表現されているからこそ
ロシア文学は素晴らしいのだと思う。

それは、貧しいということに関しての文学的表現の限界のようにも思える。
ヒューマニズムの極地。


「どうか不幸のなかにあっても高潔で毅然とした人間であってください。
貧困は悪徳にあらず、ということを覚えていらしてください。
それに、自棄を起こすことはないではありませんか。
こんなことは、何もかも一時的なことです!」

(「貧しき人々」光文社古典新訳文庫p220)



そしてこれが結論となる。



身を削られるような極貧を体験する中で、
二人の主人公が結局知り得たのは単純な真実である。
幸せをもたらすのはお金ではない。
人生に喜びを与えてくれるのは、
互いの不幸を思いやり相手の幸せを心から喜ぶことのできるような隣人をもつことなのだ。

 (訳者あとがきより)


皆さんはそんな隣人をもっていますか?
わたしの答えは、「YES」です。

2010年5月8日土曜日

お金の払い方

2010-65

何か商品なりサービスを購入したとき
普段お店でどんなお金の支払い方をしているか
意識したことはありますか。


わたしの母親は
「お金の支払い方に人間性が出る」
とよく言っていました。
というのも、母はいわゆる学研のおばさんだったからです。
まだわたしが小学生の時分ですが
毎月、学研の「科学」と「学習」というそれぞれの教材が
地域の1年生から6年生の分までどっさり届いて、
それを車に乗せて配達するのが母の仕事でした。

当然月末になると、その分の代金を集金に伺います。

「毎月、必ず月末に集金に行っているし、金額も毎月同じよ。
封筒に代金を入れてつり銭が必要ないように用意している人もいれば
『おいくらでしたっけ?』と慌てて玄関先でお財布からお金を出す人もいる。
そのお金の渡し方も『いつもどうも』と言ってくれる人もいれば
いかにも嫌そうに、しぶしぶ無言でお財布からお金を出して
『そんなにこの金が欲しいか?欲しけりゃくれてやる』みたいな表情で
投げるように渡す人もいる。
こちらとしては単に集金しているだけで
別にお金を恵んでもらっているわけじゃないのによ?
お金の支払い方には本当に人間性が出るわ。
気をつけないさいね」

こんなふうに言われた記憶がある。
それが強く印象に残って、
わたしの中に人間観察のひとつの判断基準を作った。

確かに、レジでお金を投げる人はたくさんいる。
たくさんいる、と書いたが
本当に、信じられないくらい、マジでたくさんいるのだ。
この場合、わたしが「投げる」と表現するのは
レジにある、お金を支払うトレーもしくは直接レジ台に向かって
ある程度の高さからお金を放り投げるよぅな仕草をさしていう。

それが千円札だろうが500円玉硬貨1枚だろうが328円だろうが
お構いなしだ。
お金を投げる行為は男性に多いが、女性でもやる人はやる。
たまたまその日だけ、というのではなく
お金を投げる人は常に投げる。

その人相もステキとは言い難い。
少なくとも柔和な表情はしていない。

商品の購入と代金の支払いは権利と義務から生ずるもので
無意味で退屈でバカバカしい行為だとでも言いたそうな表情だ。
高慢で尊大な態度にも映る。
無言でお金を投げる光景に、
アフレコで「ほらよ」と吹き変えてもいいくらいだ。
とにかくその表情も動作もまったく幸せそうではない。


また、紙幣を小さく畳んだ状態のままで支払う人がいる。
財布の形状に合わせて八つ折された小さな正方形のかたまりを
ポイ、と投げる。

これをおもむろにつまんで、
両手の親指と人差し指ですばやく開いて
ようやく「千円お預かり致します」と言うことになるんだが
その時わたしが手にしているのは皺だらけのクチャクチャな千円札だ。
受け取っても、もはやつり銭にはできない。
レジの一番下のほうに滑り込ませて、
つり銭として使われないように配慮するくらいだ。

財布の形状で仕方ないにしても、
畳んだ紙幣を広げてから出すのが礼儀じゃないだろうか。
つまり、どんな財布を使おうとあなたの自由。
だからお金を小さく畳むのはあなたの自由だけど、
他人に渡す際にはせめて紙幣の本来あるべき姿に戻せ、っつー話。
個人的感覚としては、紙幣を小さく折りたたむのは嫌い。
お金は、割り箸の袋やガムの包み紙とは違うんだから、と思う。

そして、レジでしわくちゃの紙幣を出す女性にひとこと言いたい。


色気ないよ。



どんなにキレイな服を着て、ばっちりメイクして、
ブランドのバッグをひっさげて、ハイヒールでカツカツ歩いても
しわくちゃなお金をポイと投げてたら詰めが甘いと言わざるを得ない。
イイ女度低いわ、それ。
お金に汚く見える。

美しい人はお金の払い方も美しいですよ。

銀座 小十

2010-64

和食の「銀座 小十(こじゅう)」に行きました。
日本で、いま一番といわれている日本料理らしいです。
日本料理の分野で日本一ということは、まさしく世界一。

店主は奥田透氏、1969年生まれ。
30代の若さで2年連続ミシュラン★★★(3つ星)をとったとか。

小十という名は、陶芸家・西岡小十氏とのゆかりから
氏の名前を店名としていただいたそうです。
お料理は小十氏の唐津焼に盛られてひっそりと美しく出さました。

さて、感想ですが。







美味すぎて記憶がない。



飲んだお酒だけ覚えてます。

・開運 特別大吟醸
・磯自慢 大吟醸
・黒龍 大吟醸
・白山 大吟醸古酒
・開運 特別大吟醸(2杯目…笑)



はー、おいしかった!
また行きたいな♪って気軽に通える値段じゃありませんね。。。



そうそう、この日はお店に
NHKのドキュメンタリーの取材が入っていました。
夏に放送する番組だとか。


お料理をいただきながら、
ご主人から「料理」について少しお話を伺いました。
曰く、
「料理を作るというのは、何か他のものを作るのとは違って誰にでもできます。
車や電気のような便利なものでもないし、文学や絵画のような芸術でもない。
とても地味なものです。
しかし料理は唯一、人の身体に直接吸収されるものなのです。
血となり肉となる、具体的に栄養となるんです。
それこそが料理の素晴らしさであり料理人の誇りだと思います。」
と、だいたいこのようなことをおっしゃいました。

わたしはさっき口にしたものが胃で分解され
栄養として身体の隅々に行き渡るのを想像して
「それはどこか音楽と似ていますね」
といいました。

音楽は空気の振動として耳と皮膚に直接触れ、
音色として人の内部に響き渡る。

「そうとも言えますね」とご主人は答えて、
さらに
「料理は人を豊かにできるのです。
だから週に1度くらいは、いや、月に1度でもかまいません。
純粋に『料理を楽しむ』時間を持つべきだと思うのです。
誰かと一緒でもいい、高価な食材である必要はない。
ただし、心からおいしいと思える楽しい時間を自ら作ることが大切です。
好きな音楽をかけて、落ち着いた部屋で、
その季節に応じた心のこもった料理を食べる時間です」


つまり「人生を味わう」ということでしょうか。
納得しました。

食生活は、その人の表情にでますね。
余裕のない食事ばかりしていると余裕のない顔になると思います。
「時短」というキーワードで、いかに手を抜くかばかり考える世の中ですが
たまには手の込んだお料理を作って味わおうと思いました。

2010年5月7日金曜日

クレーム②

2010-63

己の不運を嘆いたことはほとんどありません。
なぜって、不運とかツイてないとか感じないからだと思う。

わたしは仏教徒なので、基本的に物事は「縁起」によると考える。
すべては「縁りて起こる」。
偶然とか不運とかラッキーとかそういうものではなく、
何かの縁に触れてそれが起こってくる。
子供の頃からそう考えてきたので
不可解な出来事や理不尽な物事に直面したときに
自然と「何か意味があることだろう」と感じる。

非のないわたしへのクレーム自体はまったく理不尽だけど
なぜこれほど赤の他人に非難されるのか、をしばらく考えていたら
やはりとても意味があるように感じてきた。

接客業を長く経験してクレームも何度かいただいてきたけれど
今回は、いままでとは違う感覚で受け止めた。

とりあえず、わたしは怒られる必要があったのだろう。
理不尽に怒られたかったのかもしれない、何かの結論へ到達するために。
もしくは単純に「理不尽さ」を経験するための出来事だったのかもしれない。
もしくは「仕事と責任」について考えるための足がかりを必要としていたのか。
「怒り」について考えようとしていたのかもしれない。
または「謝罪のあり方」について考えるつもりだったのかもしれない。


「わたしの何か」が縁となって「相手から引き出した怒り」をどう考えるか。
たとえ自分が悪くなかったとしても、人を怒らせる、人から怒られる。

理不尽な怒りについて悔しい気持ちも少しはあるけれど
自分が相手から引っ張り出してきた「怒りのタネ」を大事そうに持ち帰って
鉢に植えて水をかけてどんな芽がでるのか本気で考えている。
わたしは結構たくましいかもしれない。


決して恨みに変えないように、ポジティブにとらえる。

2010年5月4日火曜日

クレーム①

2010-62

2週間ほど前に働いていたカフェで
お客様からかなり強いクレームがあった。

しかもそれは一方的にわたし個人に向けられた。

誓って書くがこのクレームの一件に関して
わたしにはまったくといっていいほど落ち度がなかった。
詳細な内容が書けないのは残念だが
それは本当に信じてもらう以外にない。
わたしは常にやるべきことをちゃんとしていたし、
それ以上の積極性でポジティブに働いている。

一緒に働いていたアルバイトの男の子が
3重に手を抜いた結果、今回のクレームが発生した。

3重の手抜きとは、
①やるべきことをやらなかった
②やらなかったことを報告しなかった
③軽いクレームを受けたときに対処せずそれを後回しにした

そして補足だが
④重大なクレームに至ったとき、自分の手抜きを隠蔽しようと嘘をついた

さて、ここから重大なクレームに至った。
お客様から真っ先に抗議を受けたのはわたしだった。
なぜならわたしはお客様と唯一会話をするレジのポジションだ。
オーダーを通し、お会計を済ませ、
最初の軽いクレームを受けたのもすべてわたしだった。

一緒に働く彼はわたしより長くそのカフェで働き、仕事を教えてくれていた。
わたしはほんの1ヶ月前に働き始めたばかりだ。
当然、その怒りを含んだ最初のクレームはわたしから彼に伝えられた。
緊張感を伴った声で、緊急性を最大限に表現したつもりだ。
彼は「あー」とだけ返事をして、次の行動に移った(ように見えた)。
それはわたしにはクレームに対処するための行動に受け取れた。
しかし実は彼は何も対処せず、結局わたしはもう一度クレームを受けることになる。


今度は、個人攻撃のような執拗なクレームだった。
名前を呼びつけにされ、「お前は俺をバカにしているのか!」と怒鳴られる。
最初のクレーム後のわたしの行動について詰問され
「どうなんだ、答えろっ」と言われるが答えようがない。
悪いのはわたしではなく、別のアルバイトだ。
しかしお客様はわたしの責任について問うていた。
わたしは店の立場に立ってただただ謝罪するしかない。
店長も呼ばれたが、わたしより2つ年下の店長はお客様の前で無言で縮こまっていた。
「大変に申し訳ございませんでした」を100回以上繰り返しても
そのお客様の怒りは収まらない。

結局、お客様は終始わたしを睨みつけ、わたしの苗字をメモして
本部に今から電話をかけるといって出て行ってしまった。

憎々しい言葉の数々の中で何度か
「あんたは悪いと思ってないだろう」
と怒りに声を震わせながら言った。


残念ながら、図星だ。


それを言われるたびに、めっそうもございません、
という困惑した顔を必死に作った。
申し訳なさをもっと表現できるように最大限努力もした。
クレームに至るまでのお客様の気持ちを想像し、
自分の心に「申し訳なさ」を増幅しようと試みた。
朝からこれほどの怒りを発散しているお客様が
もし自分だったらと考えるととても絶望的な気持ちになる。
しかしそれは同情という種類の感情であって
単純に、(軽蔑的な意味ではなく)かわいそうな人としか思えない。

「申し訳ないことをした」という気持ちをなんとか
自分の心の中に作れないものかと考えていた。
でもそれは捏造に近いかもしれない。

お客様は一方的にわたしを悪者にすることによって
自分のクレームの正当性を論理的に説明しようと試みていた。
つまり、わたしが理想的で完璧な行動をとっていれば
そもそもこのクレームはなかったんだと言った。
しかしそれは本当に一方的で自分勝手な決め付けであって、
実際にわたしがその行動を取るのは不可能だった。


わたしは悪くない。
ほんとうに、どうしようもなく悪くない。
むしろ感情としてはお客様の立場に立って行動していたはずだ。
できることなら重大なクレームに至る前に自らすばやく対処し謝罪したかった。
しかし、自分には守るべきレジのポジションがあって
わたし以外の人がその役目を代わりに負うことはない。
このカフェでは完全に分業化されたスタイルで働かされている。
皆それぞれ自分のポジションを死守しなくてはならない。
朝の混雑時、わたしはそこを絶対に動いてはならなかった。
それは店のルールだ。

クレームに対処することができる唯一のポジションの人間が
運の悪いことに、その日たまたまいい加減な男だった。
しかしそれはその時のわたしにはまだ判明していない事実だ。


こうしてわたしは一方的に罵声を浴びることとなった。
もちろん、そのすぐ後で店長とそのアルバイトはわたしに謝罪した。
お客様は誤解したまま帰っていったが、一緒に働いている人間には
誰がどう見てもわたしに非はないと分かっていた。

この出来事が不可解で、しばらく忘れられなかった。
自分がまったく悪くないのにも関わらず、
一方的にお前が悪いと攻撃され、強く謝罪を要求された。
しかしどれだけ精一杯謝っても謝っても
「悪いと思っていないだろう」とさらなる憎悪を呼び起こしてしまう。
怒りは収束するどころか膨らみ続ける。
憎々しげに睨まれ続ける。

終わりのない謝罪。


悪夢みたいだ。
昨夜はひどい夢を見たよ、
なんて友人に話しても良さそうな類の話だ。
それが現実に起こるなんて。


(つづく)

読書のたのしみ

2010-61

先日アマゾンから注文していた「1Q84 book3」が届いた。
真っ先に読みはじめたい衝動を押さえ
ひとつ読みかけの小説を根気良く読み終わってから
ようやく「1Q84」にとりかかった。


バイトの短い休憩中も、わたしは常に何かしらの本を読んでいる。
小脇に本を抱えて休憩に入ろうとしたとき
わたしより2つほど年齢の若い店長が覗き込むようにして聞いた。

「それってあれでしょ?」

わたしの抱えた本に目線を落としている。

「1Q84の3巻ですよ」

そう答えながら本の表紙を見せる仕草をした。
表紙はおなじみの大きなQのマークの装丁だ。
(わたしは本にカバーをするのが嫌い)

店長は「分厚っ!」と短く言って苦笑した。
たぶん読んでないだろうなと思いながらも一応
「もう読みましたか?」と社交辞令で聞いてみる。

「そんな分厚い本読む気にならないよ」



そこで会話は終了したのだけど、
わたしは「分厚いからいいんじゃない」と心の中で返事をしていた。

アマゾンから届いたとき、真っ先にこの本の分厚さを素直に喜んだ。
そして一気に読まないように、家では絶対に本を開かなかった。
なるべく短いバイトの休憩時間に
ほんの10分から15分程度集中してページをめくる。
それでも物語が進行して、既に半分ほどのページをめくってしまったときに
早く続きが知りたい気持ちと、残りの半分を惜しむ気持ちが錯綜して
一度本を閉じた。

読書の楽しみを知って以来、断言できる。
面白い本は、分厚いほどいい。

そして昨日、大事に読んでいたbook3を読了した。
とても面白かった。
村上春樹がますます好きになった。
続きはいつになるのかネットで調べると、
「そもそもbook4が出るのか出ないのか」についてアレコレ予想されていた。

続きは出ない、この本はbook3で完了だ。
という人がいることに驚いた。
そこにさまざまな見解が述べられていたのだけど
なんだかどれも深読みしすぎだと思った。


続きは必ず出ますよ。
だって物語は大詰めを迎えたまま終わっていないじゃない。
みんな村上春樹をもっと信頼していい。
彼はそんなにサディスティックじゃない。
小説家としては親切なほうだと思う。


ところで、まだ読んでいない方はこの機会にぜひ。

2010年5月2日日曜日

現在の行動が未来の結果

2010-60

アルバイト先のカフェで
同じく仕事を探しているフリーターの男の子がいる。
年齢はわたしよりひとつ年下。
5月9日で30歳になると聞いた。
毎朝、早朝から一緒に働いている。

わたしの就職先が決まり、何気なく
「N君の就活の進行具合はどうですか」
と聞いてみた。

「いやぁ、全然ですよ」
と彼は答える。


「どんな職種を希望しているの?」

「うーん、決まってないけど一日デスクワークしているのは嫌なんで。」

「デスクワークじゃない仕事って・・・カフェみたいなお店ってこと?」

「いや、お店じゃなくて、外回りとか。」

「外回り・・・営業?」

「そうっすねぇ。営業がまあ一番向いてるかなぁ~と。」

「ふーん、大変そうだねぇ」


という会話をしながら、
わたしはN君が営業で外回りしている姿を想像してみた。

そしたら、ダラダラと歩きながら営業している姿が思い浮かんだ。
ダラダラ営業し、顧客や上司の愚癡を言い、成績はぜんぜんあがらない。
「まあ所詮、仕事なんてつまらないものだよ」と悟ったような声で言う姿まで
なんともリアルに思い浮かぶ。

念のため、営業じゃない職種で、つまりデスクワークしている彼も想像してみた。
でもやはりダラダラとデスクワークしている姿が思い浮かんだ。
何かのシステム異常が発生して
「クソっ。またかよ、めんどくせー」とひとり言をつぶやく彼も想像できた。
後輩が仕事を聞きにくると
「あ、これは本来はこうしなきゃいけないんだけど、まあ、テキトーに。」
と教える彼の姿。
上司に何かを咎められて言い訳する彼の姿。



結局、N君に関してはたとえそれがどんな職種であったとしても
ダラダラ仕事する姿しか想像できない。
それはわたしが普段、目にするN君の姿そのものだった。

わたしはN君に関して、悪意も敵意もまったく持ち合わせていないけれど
ニュートラルな頭で想像しても、未来のN君の働く姿は常にダラダラしている。

彼は不真面目に仕事をしている訳じゃない。
やらなければならないことはきちんとこなしている。
仕事ができないほうではない。
ただ、いつだって
「隙さえあればちょっとだけ手を抜こうとしている」 状態だ。
N君は常日頃から努力を惜しむ。

それがダラダラした姿の原因だと思う。
それは顔にも動作にも態度にも端的に表れる。
何かにつけて「緩慢さ」が見て取れるのだ。
それは既に、N君の最大の特徴のようにわたしにインプットされている。

ふと、自分はどうだろう?と思う。
普段のわたしを見ている誰かは、
わたしの仕事振りをどんなふうに想像するだろうか。


そう思い巡らして、
突然いつも以上にキビキビ動き出したわたしを
N君は不可解な顔をして見ていた。

わたしは知っている。
現在の行動が未来の結果であると。
今の自分の姿が、未来の自分の姿の紛れもない一部であると。

2010年5月1日土曜日

就職が決まりました

2010-59

さてもう5月ですね。
滞っていた過去の日記はあきらめました。
365日分書く予定でいますが、過去の日付で書いていると
自分でも訳が分からなくなってきたので
ここらへんで現在日時で更新していくことにしました。

就職が決まりました。
ある大手家電メーカーの広報のお仕事です。
派遣社員となります。
探していた編集職ではなく、また正社員でもありませんが
迷いの嵐の中、ずぶ濡れになりながら見つけたひとつの灯火です。

わたしは一体何がしたいんだろう?
前職が編集だったから、編集の仕事を探しているけれど
わたしは果たして編集の仕事に向いていたんだろうか?

わたしのつぶやきに、友人が
「誰もがみんな、『本当は自分にこの仕事は向いていないんじゃないか』
『もっと他に自分にふさわしい場所があるんじゃないか』と、自分探しばかりしていて、
本職に身が入らずに、そして結局何も見つけられずに終わっていくんだよ」
と言った。

自分探しばかりしている現代の人たち。

人生に確固とした目的や目標がないのに、
一体どこに「本当の自分」が見つかるだろうか?
自分の居場所は見つけるものじゃなくて、創るもの。

自分探しなんかしても見つからない。
とにかく、力をつけるんだ。
そして自分の力で自分の居場所を創り出すんだ。

そう、それでわたしはとにかく力をつけるために
また新しい場所で働こうと決意した。
正社員とか派遣とか、
形にこだわるちっぽけな自分をこの際ドブに投げ捨てて
未知の仕事を覚えるんだ。
あらゆることを吸収するんだ。
そしてわたしは一層、力強くなる。

どこかに行くためじゃない。
誰かの役に立つために。

2010年2月28日日曜日

何ができる人?

2010-58

わたしって

わたしって・・・・・

何がしたいんだろう?

何ができるんだろう?


やりたいことを聞かれて、答えられる人は
実際には少ないかもしれない。
特に、社会に出て少しばかり会社で働いてしまった後は。

まだ学生だったときは
無謀な夢を持っていたなぁ。
でも本気で叶えるつもりだったのだろうか。

あの頃は、半分本気のつもりで
誰かに本気なの?って聞かれるのが怖いから
半分冗談めかしてごまかしていた。

なんていい加減なわたしなんだ。


ついこの前「やりたい!」って思った気持ちが
少し落ち着いて、「本当にそれでいいの?」に変わった。

誰にも聞けないわたしの進むべき道。


正社員、派遣、アルバイト。
根無し草になりたくない。
だけど仕事なら何でもいいわけじゃない。
どうしたらいいんだろう。

2010年2月27日土曜日

午前5時30分

2010-57

早朝のバイトに向かう道を東に向かって歩く。
少しきつい坂をのぼりきると
新鮮な空気の中を目覚めたばかりの太陽の
最初の光が泳ぐ。

今日もわたしは太陽とほぼ同時に働き出す。

うれしい。

時給950円で
東京のど真ん中の、まだ誰も汚してない朝の
きれいな空気を吸える権利を手に入れた。

長い坂をぐんぐん下って
ごちゃごちゃした駅前に着くともう
店の前に出された大量のゴミの臭いで
昨夜の喧騒を想像して嫌気が差してしまうから
そこまでたどり着く前に
一日分の酸素を吸っちゃおうって気持ちになる。

この気持ちはあまりにも清々しいから
誰かに伝えたくても言葉では伝えられない。
この空気はあまりにも新鮮だから
すべてを喜びに変えてくれる。

良かった。
ふとんを蹴って無理やり起きた甲斐があった。
働くってすばらしい。
わたしラッキーだな。
世界で一番ラッキーだな。

あのビルよりまだまだ低い太陽と一緒に
この角を右に向かって南に向かおう。
よし、今日も一日頑張るんだ。

こういう気持ちが次々浮かんで
ウキウキしながら早足でバイトに向かう。

どんなに疲れていても
毎朝、感謝の気持ちになる。

2010年2月26日金曜日

写真のたのしさ



















こういうの見ちゃうと、
「嗚呼…ちょっと待って。そのキラキラ、いま捕まえるから」って思う。

写真のたのしさは、
被写体を見つけたときのファインダーをのぞく前のドキドキ感と
シャッター押すときの決心。

2010年2月25日木曜日

寒いの苦手だから

2010-55


















もう雨ふらないで。



2010年2月24日水曜日

いつもいつのまにか

2010-54


いつもいつのまにか
わたしの心は擦り切れる
いつもいつのまにか
大事なことを忘れてる

どうしてこんなに
ちゃんと生きられないんだろう

やりすぎたり さぼりすぎたり

頑張りすぎた次の日に
疲れすぎて何もしないと
その次の日にはもう
やることがたまっている。

わたしってバカだ

なにか行動するよりも
思い悩む時間のほうが多い人生

人生ってそんなもの?

2010年2月23日火曜日

青天の霹靂

2010-53

好きな言葉です。

「青天の霹靂」



初めてこの言葉に出合ったのは小学生の頃。
なんて読むのか調べたらその由来が面白かった。


【意味】
「青天」とは、雲一つ無い澄んだ青空のこと。
「霹靂」とは、突然鳴り出した雷のこと。
青天の霹靂とは、予想外のことや事件が突然起こること。
「晴天の霹靂」と書くのは間違い。せいてんのへきれき。

【由来】
中国南宋の詩人、陸放翁が「九月四日鶏未鳴起作」の中で、
「青天、霹靂を飛ばす」と詠んだところからきている。
病床に伏していた陸放翁が、
好きな酒を飲み酔った勢いで突然筆を走らせた。
その勢いのある筆運びを雷にたとえたもの。




なんか、想像すると面白いでしょう。


雲ひとつない、のどかな青空の日。
普段は穏やかに床に伏しているおじいさんが
お酒を飲んだらいきなりハイテンションになって起き上がり
でっかい筆にたっぷり墨を含ませて
ダダダダダァァァァァァァァァァー!!!!!!!!!!
と書をしたためる。

黒くて太い稲妻が青空を真っ二つに切り裂いて
白と黒が反転してしまうみたいな衝撃。

なななっなにっ!どしたのっ!?みたいな(笑)


こんな言葉を好きになるくらいだから
私には「青天の霹靂」的な成分が含まれているんだと思う。

たまに似たようなことをやっている?

2010年2月22日月曜日

笑って許さない

2010-52

15時間もバイトしてる・・・そりゃ疲れるわなー
なんて書いていたけど

11時間過ぎたくらいから猛烈な吐き気に襲われてしまった。
忙しすぎて食事する時間がなかったのが悪かったと思うんだけど
居酒屋でバイトだったので、お客さんが帰った後の大量に飲み残した
ビールやら日本酒やらワインやらを流しに捨てている時に
その強烈なアルコールの臭いで

オエエエエェェェ

ときてしまった。
急いでトイレ行って吐く真似をしてみたけど
如何せん、胃が空っぽだから胃液以外何も出てこない。

それでも店は超忙しかったので仕方なく
ぬるい水を飲みながら真っ白な顔して仕事を続けた。

あるムカつく社員の男が
「ふうさん顔色悪いね」と言ってきたので
「はい、気持ちが悪くて吐き気がしていて」と答えると
すかさず
「おお?も・し・か・し・て~♪つわりじゃないのぉ~♪」
と言ってきたので
今まで、わりと何でも笑って許しちゃうノリのいい私が
この時だけは0.001秒の速さでキレた。



「違います。やめてください。それ、セクハラです」





低周波で静かに最大限の怒りを表してみた。
たぶん今世紀最大の迫力と切れ味。

ニヤニヤしていた社員の男の顔が凍り付いて
一瞬言葉をなくした後に「・・・すみません」と言った。


よかった。
あの一瞬の私が笑って許さなくて。

これを読んだら男性は
そんな冗談みたいなことでいちいちセクハラだなんて言わなくても
って思われるかもしれないけど
私はもっと根本的なことに怒りを感じた。

すぐ目の前にいて、すごく困っている人の心配ができない
この社員の男の人間性に怒りを感じたのだ。

別に体調が優れないから優しくしてくれだなんて
仕事だし、甘えるつもりもまったくなかったけれど

困っている人、辛そうな人、助けが必要な人を見かけたとき
あなたならどうするか?
人は一瞬で本当の自分をさらけ出すことになる。

必要とされる時に
本気で心配したり、優しさを発揮したりする場面を逃して
ただ傍観者で、空疎な冗談しか言えないこの男の態度を
そのまま見過ごすことができなかった。

大げさに思われるかもしれないけど
今の私にはとても大事なこと。

だから笑って許さない。

2010年2月21日日曜日

数えてみたら

2010-51

早朝6時から15時までカフェでバイトして
18時から24時まで居酒屋でバイトする。

指折って数えてみたら15時間も働いているじゃないか。

どうりで疲れるわけだ。


なっとく。なっとく。

2010年2月20日土曜日

根無し草

2010-50

ある日、ヒョロヒョロの細長い草を見つけた。
もうそろそろ形のよい葉っぱをめいっぱい広げて
見てくれ、こんなに成長したぞと言える年頃なのに
青々とせず、背筋も伸ばさず
葉っぱをダラリとさせてうなだれていた。

疲れてるような表情で、ヘロヘロとしぼんだ草。
少し世の中が恨めしそう。


一体、誰が水をあげ忘れたの。

僕は誰にも縛られたくない、自由にカッコ良く生きたいんだと
どこにも根を張らずに居たら、みんなから忘れ去られたの?


なんでこんなになるまで平気でいられたの。
失敗を恐れて何もせずに言い訳ばかりして
あなたは本当に意気地なしだなぁ。

今まで出会った人の中で、一番の意気地なし。


恐る恐る私の目を見たあなたの目に
うっすら光が見えた。
暗闇から小さな懐中電灯で
何か探している?

きっと探しているものは、これでしょう?
すぐに教えてあげたいけれど
臆病者のあなたはそれを見る前に逃げ出しちゃうね。
現にもう、片足が逃げ出してる。

一番上までいけば素晴らしい景色が見られるのに
長く続く階段を一目みただけで、あなたは一段も昇らないタイプ。


だから今、私はあなたのためにスロープみたいな道を考えるよ。
ついでに手すりもつけちゃうよ。
ほんの最初だけ。
ぐんぐん手を引っ張って
一緒に階段を駆け上ってくれる本当の仲間に出会えるまで。

2010年2月19日金曜日

悔しい気持ちを書いておく

2010-49

ある人は
「会合に参加できない人こそ最大限に配慮していくんだ」
といった。


その場にいる人はいい。
直接会えるから。
その場にいない人のことを心配する。

私も最近、自分が会合に参加できない立場になって
参加できないことが寂しくて悲しくて悔しいってことを
しみじみ知った。

組織って縛られるイメージばかりあるけれど
それが頑張っている人々の集まりなら
尊い仕事をする同志たちの会合なら
なんとしても参加したい。


さまざまな理由で都合が付かなくて
これからも同じようなことを繰り返すだろうけど
参加できなくて悔しいっていう気持ちは
とても大切な感情だから
忘れないでおこう、と思った。

同じ気持ちになる誰かのために。

2010年2月18日木曜日

面倒くさがりの頑張り屋

2010-48

私は基本、面倒くさがりのダメ子さんだと自覚している。

休日は一秒でも長く布団に入っていたいし、
面倒くさいからトイレも我慢する。
自分ひとりなら料理も面倒だ。
料理するくらいならお腹すいたままでいいや、と本気で思う。

誰にも咎められない生活ができるなら
そうやって狭くてぬくぬくした場所で
永遠にゴロゴロしていたいのだ。

元来のダメ人間っぷりには相当の自信がある。
頑張りが長続きしないくせに、ダメ状態を維持する体力はかなりあるのだ。


そんな私でもものすごく頑張るときがある。
それは自分のためじゃなくて、人のためになるとき。

だからこんなダメ子な私でも世話を焼く誰かが一緒なら
結婚生活はそれなりに充実させられそうだと、
妙に気持ちが先走ったときもあった。


誰かの役に立つことは単純に嬉しい。
喜ぶ顔や声を想像しながら、もっと喜ばそうと思う。
素直にやりがいを感じる。
こんなときはなぜか頑張り屋さんになれるのだ。


小学1年生のとき
お向かいに住む幼馴染の男の子の
「進研ゼミ」を全部解いてあげた。


「やらなくちゃお母さんに叱られる」というから。
「いいよ、私がやってあげる」といってスラスラ解いた。


このとき学校の宿題以外で初めて算数や国語の問題を解いた。
大げさに聞こえるかもしれないけれど私の人生で初めて、
勉強したことが具体的に人の役に立った瞬間だった。

このときの経験が嬉しくて
私の心に強烈な印象として残っている。

それ以来、私は学校の勉強が好きになったと自覚している。


その子はとっても喜んで、私も嬉しかったのだけれど
おうちに帰って、私はママに叱られた。


「○○ くんの進研ゼミ、代わりにやっちゃダメでしょう?」


この意味が分からなくて、泣いて怒った記憶がある。
いま思い出してもなんだか切ない。

人の役に立ったという喜びが消されてしまったから。

役に立つどころか
「○○君のお勉強の邪魔をしたんだよ」と言われて
幼い心には大きなショックだったようだ。

それでも懲りずにまた誰かの宿題をやったり
他人の問題に首を突っ込んだり
役に立ちたくてお節介ばかりした。


お節介だと思われるのもシャクで
必要以上にクールなフリしたときもあったなぁ。
でも、基本はいつも一緒。
誰かのそばで何か役立つ自分でいたい。
それが「面倒くさがりの、がんばりたくない自分」に勝つ唯一の道なのだ。
私は人のためなら頑張り屋になれるのだ。


就職の面接で毎回聞かれる質問
「あなたのライフプランは?
5年後10年後、あなたは何をしていたいの?」

私はつい、決まってこう答えてしまう。
「人の役に立つ自分になりたい」と。
そんなのは答えじゃないと呆れられても。

2010年2月17日水曜日

日本語以外お断り?!

2010-47

外資系の企業がたくさんあることで有名な駅の近くのカフェで働き始めて外国人のお客様からご注文を承ることも多い。
さらに海外の宿泊客が多いホテルも近いが、
こういったお客様には日本語はまったく通じない。

とりあえず日本語で「いらっしゃいませ」と言ってみるが
お客様は「Hello(^^)」という返し。
この時点で、英語で接客しようと思う。

もちろん日本語でオーダーをとっても通じるけれども
「こちらでお召し上がりですか?」などの確認や
「○○円頂戴いたします」といった金銭授受を簡単な英語で受け答えるのは
サービスの一環と思う。
絶対英語で接客しなければならない決まりはないが、
店長に聞いてみたら英会話のマニュアルは存在するようだ。
つまり日本語が通じないお客様には、英語で積極的にご案内するべし、ということだ。


接客中ある言葉について適当な英語表現が思いつかず、ネットで検索した。
答えを探す途中で、あるQ&Aサイトを見つけた。
以下のリンクをみてほしい。

ファーストフード店の接客で使う英会話 - 教えて!goo


質問者はファストフード店で働く女性。
質問の主旨は、外国人のお客様の来店の多い店で働いており、英語での接客表現を教えてほしいというものだ。

これに対していくつかの接客英語を教えている「まともな回答者」に混じって、
バカというかアホというか正直クソ?な回答をする者がいた。


クソ回答①
---------------------
笑顔で日本語を使いましょう。

客の方が日本語使えば良いんです。

では。
---------------------


クソ回答②
---------------------
ご質問の答えにならないかもしれませんが、なぜ英語で聞く必要がるのですか?ここは日本ですよ。また、客人が英語圏からの人と決めつけるのは、接客業に携わる人としてはタブーでしょう。日本にやってきた客側の立場から考えても、むしろ店員さんにはゆっくり・はっきりした日本語による(時には身振りを交えての)応答を求める人のほうが多いと思います。
また、対象を英語に限るとしても、ファースト・フードのバイトさんに求められている英語力は eriko393 が載せていらっしゃる表現を言う力ではなく、むしろ "Do you have [Have you got] salt?" とか "Could I have a glass of water?" あたりを聞き取る力ではないのでしょうか。わたしはこの表現がききとれずにバイトさんが固まってる場面になんどかでくわしました。
外国語ができないことは恥ずかしいことでもなんでもありませんよ。胸をはって、ゆっくり「ニホンゴデオネガイシマス」といいましょう。聞き取れない、話せないからといって固まってしまう人を見ると、わたしは自分が固まってしまいます。
---------------------


見事なまでのクソ回答っぷりに驚愕。
ここまで身勝手だとあっぱれだわ、うん。
願わくばこの両回答者が接客業に従事していませんように。


この二人にぜひとも聞いてみたいけれど、
たとえば自分がエジプトに旅行に行ってファストフード店に入り
注文しようとしたらメニューは全部アラビア語。
店員もアラビア語以外は絶対に話さないという構え。

どーするの?あなたたち。
(アラビア語ペラペラなら文句ないけど)

クソ回答②の人が書いているように、エジプトの店員が
胸を張って、ゆっくり
「アラビアゴデオネガイシマス」

とアラビア語で言ってきたらどーすんだよっ!

接客業の基本はサービスでしょう。
サービスは国籍や言語を超えるものでなければ差別じゃないか。

日本語の理解力のあるお客様には最大限のサービスが行えて、
日本語の理解できないお客様にはサービス半減。はい残念。
でも同じ金額払えっていうんでしょ?


なぜ、英語で対応したいと考える質問者の、この質問の発露が、
外国人のお客様へのサービス精神に基づいていると考えられないのだろうか。
日本のファストフード店では日本語しか使っちゃいけないルールでもあんのかい。


あまりに残念な回答を(堂々と)する人がいるのを見て
サービスにまつわるQ&Aだったからなおさらガックリきたよ。

2010年2月16日火曜日

どう乗り越えるか

2010-46

私「スープセットのスープはこちらからお選びください」


おじさん(客)「えーっと・・・じゃあ、


パンプキンプース。」



そのとき、脳内でやまびこが叫ぶ





パンプキン★プース。

プースプースプースプースプース・・・・






ああああ~~~~~~











こういうピンチのときにどう乗り越えるか。
人間笑っちゃダメなときもあるんだ。


とにかく、腹筋に力を入れて
控えめな声でこう言った。






私「パンプキンぬ~ふですね、かしこまりました♪」 





「ぬ~ふ」と誤魔化し、お客さんの気まずさを軽減する試み。 










おじさん(客)「あ、スープ・・・」















しくじった。
余計際立たせてしまった。