2010年8月31日火曜日

「走ることについて語るときに僕の語ること」村上春樹




人気作家の、プライベートをのぞいてみたい。
でも全部知ってしまったらもしかして予想外にガッカリするかも。

知りたい。

知りたくない。

そんな葛藤を抱える春樹フリークにはうってつけの本。
走ることについて。と、小説を書くということについて
ほら、ここに春樹が語っていますよ。

冒頭、「まえがき」の中で彼がなかなか良いことを書いている。


"Pain is inevitable, Suffering is optional."
「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」

たとえば走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、
「きつい」というのは避けようのない事実だが、
「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられていることである。
この言葉は、マラソンという競技のいちばん大事な部分を簡潔に要約していると思う。


そしてこの本の最後を、なかなか憎いセリフで結んでいる。


もし僕の墓碑銘なんてものがあるとして、その文句を自分で選ぶことができるのなら
このように刻んでもらいたいと思う。

 村上春樹
 作家(そしてランナー)
 1949-20**
 少なくとも最後まで歩かなかった

今のところ、それが僕の望んでいることだ。



「苦しみはオプショナル」


さすが村上春樹。センスいい。
さらりというあたり、相当ストイック。

2010年8月30日月曜日

「彗星物語」宮本輝

宮本輝にしては珍しいタッチだな、「寺内貫太郎一家」物語かと思った。
長い割りに気楽に読める小説。

ある家族に、ハンガリー人の留学生ボヤージュがホームステイにやってくる。
1匹の犬と大家族の大騒ぎな物語。
そこに、共産主義と本当の自由、人間としての生き方を織り交ぜる。
うまい。うまいぞ、宮本輝。

3年間の留学を終え、ボヤージュが母国に帰る頃になると
涙で文字が読めなくなる・・・。
もう、あと数ページでこの物語は終わろうとしている。
感動のうちに。惜しむようにページをめくる。

だが、ある行を読んで、一瞬で興ざめしてしまった。
母国へと旅立っていったボヤージュが旅先から日本の家族に手紙を書いてきた。
その、手紙に引用されていたのはまぎれもなく、日蓮の言葉ではないか。
なぜここに日蓮の言葉を入れるのだ。
このホームコメディタッチなあたたかい小説にまったく似合わない。
感動の涙もピタリととまった。
わたしは宮本輝のこういうところが嫌いだ。

小説の最期に、偉人の言葉をポンと持ってくるなぞ創作の放棄ではないか、とさえ思う。
押し付けがましさにうんざりする。
あまりに憎悪の念が深いので、自分こそ大丈夫か?と疑ってしまう。
これを素直に読む人もあるいはいるのかもしれない。
いるのかもしれない。いるのかもしれない。いるのかもしれない。

だめだ、何遍唱えてもそう思えない。

わたし、大丈夫だろうか?

2010年8月29日日曜日

「室生犀星詩集」

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土いどの乞食(かたゐ)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

この詩を口ずさみながら寝転んで白い天井を眺めていたら
突然「ふるさと」から電話がかかってきた。

「10月にそっちに行く用事ができたから、そのときは前もって連絡するわ」と母。

ふるさとは遠いところにあって思うもの
そして悲しく歌うもの
もし落ちぶれて異郷の乞食になったとしても
帰るところではあるまいよ


心配してくれるな、母よ。
たとえ歯が痛くても、仕事を失っても、男に騙されても
決して親に泣き言はいわない娘になりましたよ。
だから安心して、楽しみだけに残りの人生を使ってください。

「蛍川」「泥の河」宮本輝

「蛍川」―これは美しい小説。
宮本輝、天才か。

それにしても、宮本輝の小説ではあっけなく死ぬ人が必ずいる。
用水路に落ちた中学生が死体で浮いていたり、おじいさんが荷車の荷の下敷きになったり。
登場人物がひとり、あっけなく死ぬ。

そこにぽっかりと穴があく。ひとり分の空間ができる。
みんなその喪失感を抱きながら生きていく。
あっけなく死ぬことでこの喪失感に埋めようもない永遠性がもたらせる。


一度死んでしまったら、二度と生き返らないからね。

「ことばになりたい」一倉宏



一倉宏さんのコピーが好きだ、といったら
友人が貸してくれました。

一番好いなと思ったのは
国語の先生がしてくれた「桜」の話
というタイトルの詩。
卒業生への贈る言葉です。

引用します。

国語の授業のあるときに
日本の古典文学で ただ「花」とあることばは
「桜」のことを指していると
お話したのを憶えていますか
「花」といえば「桜」は暗黙の了解でした

それほど日本人は「桜の花を愛してきた」といえます
しかし「愛する」ということばを
ただの「大好きな気持ち」とは考えないでください

きょうは その話をしたかったのです

日本の昔のひとがつくった詩 歌を読むと
「桜」という花を 単純に「好きだ」ということはなく
むしろ「悔しい」とか「悲しい」「切ない」
という気持ちで 表現しています
「桜の花」は美しいけれど あまりに短い時間で散ってゆく
そのことに「胸を痛める」歌ばかりなのです

先生は これが「愛する」ということばの
ほんとうの意味ではないかと思います


先生、ありがとう。

しいて言えばクレジットカードを使い出したあたりから

昨日出会った女の子はメガネをかけたほっそりとした色白の高校生だった。

「学校の教科でなにが好き?」
「世界史です」

わたしも大好きだった。

「世界史のどの時代が好き?」
「どの時代っていうか・・・まだそんなに習ってないんだけどイギリスが好きなんです」

イギリス。産業革命。
工場の油のにおいと機械の轟音が頭をよぎる。

「わたし、イギリスが好きだから将来イギリス人と結婚したいんです。
 でも英語が苦手で。だから今から英語をなんとかしないといけないんです」

そうか、結婚か。産業革命の話はやめておこう。

「そうだね、旦那さんと会話できなきゃ結婚生活はうまくいかないだろうね」
「ですよねー。英語勉強しなきゃなぁ・・・」

そう言って彼女は憂鬱そうに食べかけのクッキーを口に運んだ。

結婚も将来の夢のひとつ、か。
わたしにもそういう時代があったな。
いつから現実のもの(実現可能かどうかは別として)になったのか。

道を歩いていたらある場所で放置自転車監視員みたいな制服を着た男から唐突に宣言される。
「はい、貴女はもう現実世界に入ってしまってますからね。ここまでの通行料を徴収します」
「えっ、これ有料道路だったの?どこから?境界線なんて見当たらなかったけど」
「ずいぶん前に跨いでしまいましたよ、大股でね。だいたい貴女は歩くのが早いから」
「そうだったんだ、いつ跨いだか思い出せないや・・・」
「人は気がつかないうちに大人になってる。しいて言えばクレジットカードを使い出したあたりから」


なんだか騙されたような気分。
「ともかく通行料、分割で払います」

2010年8月28日土曜日

「流転の海」宮本輝

大事なこと、伝えたいことは、主人公のセリフではなく
小説の中で実際に「起こる」べきだ。それが小説であるならば。

宮本輝の「流転の海」は主人公の松坂熊吾の一人語りが多すぎる。
非常に説教くさい印象。

伝えたいことが明確になりすぎていて、小説としての遊びが足りない。
小説でも歌でも同じことで、真実をストレートに表現するのも悪くないが
結果、説教くささが残る。
ほんの少し嫌悪感を抱く。
賛同するが賛同したくない気分。



力量不足?急いで書いたのか?
もっとじっくり物語を展開してもいいのでは。
惜しいな、プロットはおもしろいのに。

偉そうにズバリ書いちゃった…。
目が肥えてきたか。
それともただのひねくれ者のナナメ読みか。
とりあえず、続きが読みたいので第2部となる「地の星」を注文。

誰かにお説教したいけどネタがない、
という親父にオススメの一書。

最悪な朝のひとつ。

大泣きしながら目が覚めた。

最悪な朝のひとつ。

何かの間違いでどこか別の世界に生まれてしまったような、
それも相当酷い世界に放り込まれたに違いないという絶望的な気分を味わう。

そのまましばらく泣き続けた。
均衡を保っていた身体から大量の水分が涙となって流れ落ちた。
どうやら身体は数か月分くらいの涙をいっぺんに流そうと躍起になっている。
この機会を逃してなるものか。泣くのは今だ!と言わんばかりに。
最近わたしは忙しすぎて泣くことがなかった。

人は複雑なことで涙を流せない。
たったひとつかふたつの、ごく単純なことで泣くのだ。
おしめが濡れているとか、おっぱいが飲みたいとか、あるいはその両方とか。
大人になっても人が泣く理由の単純さは変わらない。

わたしが泣きながら目覚めたのはとても簡単な理由だ。


夢の中のわたしは、母親に愛されてなかった。
兄だけが愛されていた。



わたしはおそらく相当根深く、母の愛情を疑っているのかもしれない。
自分は母に愛されていないのではないかという恐怖。
それを疑いようのないものとして決定付けるかのように
平然と母の愛に育まれる兄。

寂しい。そして、憎たらしい。



このテーマで何度似たような夢を見ただろう。
そのたびにわたしは爽やかな一日の始まりを犠牲にして
早朝からしくしく泣かなくてはならない。



誤解のないように言うが、わたしは誰からも虐待を受けたことはないし、
特別に兄だけが可愛がられる家庭でもなかった。
むしろ至極平凡でまっとうな両親によって営まれる、ありきたりの家庭生活だった。

だけどわたしの心の奥にはいつも、同じ場所に同じ分量の寂しさのかたまりがあった。
ちょうど何万年も昔から溶けない南極の氷みたいに。

これから先あと何万年も溶けないぞという強い意志をそなえている。
その寂しい氷のかたまりがコンスタントに冷気を出すので
わたしはいつもそこを意識せずにはいられない。

いったい一人の人間が、
二人の子供を同時に平等に愛することができるだろうか?
一方は男の子で、一方は女の子。
先に生まれた者と、後から生まれた者。
顔も、性格も違う年子の兄妹に、母はどうやって愛情を注いでいったのだろう。

若い母が娘をどのような存在として見ていたのか。
ひょっとしたら、わが娘を心から可愛いと思えなかったんじゃないだろうか。
赤ん坊のわたしが泣くたびに母は無性にイライラしたんじゃないだろうか。

わたしはずっとそのことを考えてきた。

あるとき母はうつむきながら言った。
「あんたを、愛情不足に育てたと思ってる」

もう二度と聞けない、あれが最初で最後の母の告白だったか。

やっぱりそうなのだ。
母は兄のほうに強く愛情を感じた(ている)のだろう。
甘いものを食べたあと、たまに塩辛いものが欲しくなるように
ごく自然に息子を可愛いがり、無意識のうちに娘に冷たい態度をとったとしても
それはそれほど大袈裟なことじゃない。

そう、それは悪いことではない。むしろ母親として自然なことだ。それを責めるべきではない。
要は、わたしにはないものを兄は持っていたのだ。
妹よりも愛される何かを持っていたのだろう。
あるいは兄には妹より多くの母親の愛情が必要だったのかもしれない。


そういう理由で、わたしも兄にないものを持っている。
溶けない南極の氷のかたまり。
わたしにとって重荷でもあり、美徳でもある。
厄介な永遠の謎だ。

恨んだりしているわけではない。
悲しみの8割くらいはすでに受容して、その扱い方もわかっている。
そう、今朝みたいに、たまに一人で泣けばいいのだ。
あとは笑って過ごせる。
そのぶん、わたしは兄よりクールなのだから。

2010年8月27日金曜日

意識してきれいな字を書く

たまに「きれいな字ですね」と言われる。
クレジットカードのサインや簡単なアンケートなどを書いていると
書いている途中で相手から言われることが多い。

「ああ、それはきっと逆さまで見ているからじゃないですかね?」と言うと
相手は即座に(あるいは、そうかもしれない)という表情を打ち消して
「いやいや、そんなことないですよ」とまじめに答えてくれる。

はっきり自覚しているけれども、わたしの字は決してきれいなほうじゃない。
少なくとも習字のお手本になるような字ではない。
それだのに、きれいな字ですね、と言われることがポツリポツリとあるから不思議なのだ。
でも言われて悪い気はしない。というか、結構うれしかったりする。
だって相当量のお世辞が入っているにせよ、仮に本当に汚い字をみて
「きれいな字ですね」とは誰だって簡単に言えないだろうから。
まあ、ある程度は読める字なのだと思うことにしている。


字をどんな風に書いてきたか、わたしは良く覚えている。
まだ「字を書くという行為」を覚えたての頃、わたしの字は震えるいびつな四角形だった。
「の」や「し」といった単純な丸い形状さえ、大きく変形してカクカクしていた。
字がうまいとかヘタとかの段階ではなく、書くことに悦びを見出していた時代だった。

小学校にあがって、女の子たちの間では急に丸文字が流行りだした。
とにかく何でもまあるく書くのがカワイイと思われた。
マンモスうれピー、というコトバが一大旋風を巻き起こしていたのもこの頃だ。
(・・・懐かしいような、つい最近どこかで聞いたような。。)
とにかくわたしも意識して丸く書くようになった。
そうして自分の書いた丸文字をうっとり眺めたりしていた(かもしれない)。

次にわたしの字に変化が生じたのは、小学校高学年にはいってからだ。
きっかけは友人のノートだった。
彼女の字はどれも規則的にちょっと斜めに傾いていて
それがなんとも言えない大人びた雰囲気をかもし出していたのだ。
俗に言う「癖字」だが、わたしはそんなノートに憧れた。
すぐさま背伸びをするようにわざと字を傾けて書くようになったわたしだったが
友人のノートのようにはうまくいかなかった。
どうにも見栄えが悪い。
原因は自分でもすぐに分析できた。
わたしの字は無意識のうちに、「傾く方向」をコロコロと変えてしまうのだ。
右に傾いていた字は、なぜか次の行では左に傾いている。
なかには文章の途中で突然まっすぐに起立している字もある。
理由はよくわからない。
規則正しく斜めに書きつづけるのはわたしには結構むずかしいものだった。
この頃は、授業を聞くよりもきれいなノートを作ることが大事だったから
授業中にも関わらず、せっかく書いたノートを破って最初から書き直すことが何度もあった。

中学生の時、筆圧を弱くしようと試みた。
ちょっと色の薄い字のほうがなんとなく賢そうに見えると思ったからだ。
なるべく力をいれずにシャープペンシルを持ってサラサラと書く練習をした。
これが全然サラサラなんか書けない。
それどころかフニャフニャした軟体動物みたいな気色悪い字が生まれてくる。
米粒ほどの異様に小さい字にも惹かれた。早速これも試した。
しかしどちらもすぐにやめてしまった。
ダメだ。性に合わない。字と性格は一致するのだ。
消しゴムでは簡単に消えないほど強く書くことしかできない。
大きく幅をきかせて偉そうに居座っている。
それがわたしという人間の字だ。

高校生になると、にわかに略字に偏執した。
略字が妙にカッコいいと思ったのだが、
書道の知識のないわたしには、字の正しい略し方がわからなくて挫折した。
この頃になってどうやらわたしの字はいちおう安定してきた。
そこには誰の真似でもなく、自然に出る字の形状があった。
乱暴な字だが嫌いではなかった。元来、わたしは短気で大雑把なのだ。
まあ、それを個性と呼んでもいいのかもしれない。

大学生になってからはあまり多くの字を書かなくなった。
そうさ、キーボードで打たれる字は誰にも平等にきれいなのさ。
つまり完全なる没個性の時代が来て久しいのだ。
気楽でいい。人前で字を書く恥ずかしさを感じなくてすむ。

そこから10年近く経ってようやく気がつく。
生活の中で字を書くチャンスは自分の名前を書くときぐらいにしかない、と。
もう一生、長い文章を書くことはないかもしれない。
名前ぐらいしか紙に書くものがないのだ。
そう思い当たったとき
よし、それじゃあ、名前を書くときは一筆一筆、真剣に書こうと決めた。

わたしは死ぬまでにあと何遍書くのだろう。
自分の名前である、この5文字を。
名前に恥じない字を書きたいものだ。
そして名前に恥じない生き方をしたいと思う。

だからいつも意識してなるべくきれいな字を書く。
潔い、こざっぱりとした、気持ちの良い字で、自分に与えられた貴重な5文字を表現したい。
それが今のところ、自分というものを表す、すべてだからだ。

2010年8月23日月曜日

ドモリ

多いときは一日に50回以上に電話を取る。
そのたくさんの電話の中のひとつ。掛けてきたのは男の人だった。

「ゆゆ・・・ゆうパック・・・ゆうパック・・・ゆうびんきょくの・・・者です」

・・・?はい。と答えてみる。

「おおお荷物、お荷物、お荷物のお荷物の、かかかくに・・確認かくに確認で確認で・・」

・・・・・・??はい。と答える。

「ししし・・新橋の・・しんば新橋新橋の・・じゅうしょ・・新橋住所・・・新橋のじゅじゅじゅ・・」

ものすごいドモリだ。と思った。高速で回しているDJのようだ。
根気よく、ええ、はい。と答える。

「○○会社様からのおおおおお荷物お荷物おに・・おにも・・つ・・を・・・」

はい。

「はっ・・・はっ・・はいたつ・・・配達はいたつはいた・・配達・・・」

なかなか要領を得ない。
内容を理解しようとする私も受話器を強くにぎりしめていた。
だんだん眉間にしわがよってくる。

「いい・・いつ・・いつも・・いつもはいつもは・・じゅじゅ・・住所がいつもは住所が住所が・・」

そうやって5分ほど辛抱強く聞いた。
彼が言いたかったのは、こうだった。
わたしの勤める会社はビルが二つに分かれている。
隣のビルにメール室1があり、わたしのいるビルにメール室2がある。
広報の○○さん宛の荷物だが、どちらに配達したら良いのか?ということだった。
誤配達を防ぐためか確認のために電話してきたようだ。

「○○宛の荷物をメール室2のほうへ配達してもいいかということですか?」

わたしが聞き返すと、彼のドモリは酷くなった。
焦らせてしまったようだ。

「じゅうしょ住・・住所が住所が住所がじゅじゅ住所が・・しし新橋しんば・・新橋のしんば新橋・・」

わたしは彼が同じことを言い終わるまで受話器を握り締めながら全部聞いていた。


正直、ショックだった。
いままで聞いたドモリの中では最上級の酷さだったからだ。
途中から聞いているのがたまらなく、つらくなった。

ああ、こんなにもドモってしまったら、どうやって人と会話していくんだろう。
激しくいじめられただろうに。
親は悩んだだろう。本人も悩んだだろう。
バカにされただろう。笑われただろう。
人と話すのが怖くなっただろう。
それなのに彼は電話で説明して配達の確認をとらなくてはならない。
そしてわたしが聞き返したことで余計に焦ってしまって
彼の言葉が絶望的にこんがらがっていく。
言葉の糸がぐちゃぐちゃに絡まってもう自分じゃどうしようもない、
という感じが伝わってきた。
本当に申し訳ないことをした。と思った。

受話器を置いてからもなお、胸に何かがつかえていた。
わたしはこんな絶望は知らなかった。
これほど話すのが困難なら、生きるのがつらいだろう。
得体の知れないものに胸をグリっとえぐられたような感覚だった。

こういう人に、いい友達がいてくれるといい。
安心して話せる世界、親身に耳を傾けてくれる世界があるといい。
何もできないわたしは、彼が孤独でないことを祈った。

2010年8月22日日曜日

結婚について

友人と近所の公園に子供祭りに出かけた。
タダでもらった焼きそば、焼き鳥、焼きとうもろこし。
こういうご近所さんたちとの交流はとてもいい。
夏も終わりが近い。

帰りに友人宅でアイスをもらい涼ましてもらう。
結婚についてどう思うかとたずねられる。
もう結婚はあきらめた。と答える。
最近になって、男の人と話したりするのが億劫になってきている。
もうなんかの勘違いとかぐちゃぐちゃするのはまっぴら。
恋愛やら男女の交流やらに疲れ切っているわたしである。
非核三原則じゃないけど、惑わない、近づかせない、近づかない。
もっと自由な道を行きたいのです。
わたしは男の人がそばにいるとダメになるのです。
友人はふうちゃんには相手の男の人も台風じゃなきゃダメかもね、
なんて言って笑っていました。
そのとおりかもしれない。
わたしの表現する愛情は強力でなまじっかへっぴり腰の男相手では被害甚大なのだと思う。

最近わたしは口数が減った。
言うべき言葉が見つからないときが多い。
どうでもいいことはあまり言いたくないのです。
真剣に生きていきたい。
そう考えるだけで涙がでてくる。
とにかく真剣に生きたい。
冗談だか本気だかわからないような生き方はしたくないのです。
伴侶となる人も真剣に生きている人じゃなきゃ一緒に生きる意味がないのです。
だからいろいろの男を試してたった一人の結婚相手を探すなんて不可能だと思う。
そんな時間を浪費するくらいならたった一人でいるほうが1億倍もマシなのです。

早く秋が来てほしい。
もう少し物事をいろいろと落ち着かせたい。
今の生活をじっくりと定着させて抱えている問題の輪郭をくっきりとさせたい。

歯科矯正

銀座の歯医者へ行った。
1年前に2本抜歯して、そこはずっとぽっかり空いたままだった。
インプラントにしようかと思ったが2本で100万円近い金額。
通っていた歯科の先生が矯正してみたらと勧めてくれた。

矯正でも120万はかかる。
しかし歯並びがきれいになって、ぽっかり空いた場所も埋まってよい。
インプラントで100万払うなら全部の歯を矯正してしまったほうがメリットが多い。

それにしても高くつく。
もちろん歯科ローンをくんだ。
3年で払う。
その120万という数字と月々の分割額をながめていたら
ふつふつと嬉しさがこみ上げてきた。
なんで大金を払うのにこんなに嬉しいんだ。

ちょうど1年前に仕事をやめて家も追い出された私には
もう自力で働いて生きていくことなんて到底不可能に思えていた。
社会から追放されて、白い目で見られて、陰のほうでじめじめ生きていくほかない。
本気でそう信じていた。
もう会社勤めなんてする自信ない。
わたしは人にすがって生きていくしかないんだ。
本気で惨めな自分を卑下していた。

それがどうだ、今なら120万も払ってみせるぞ!
ローンが3年だってかまうものか。働いて稼いだお金で生きていけるんだ。
高い給料じゃないし相変わらず貧乏には変わりないけれど
ちょっと工夫すれば好きなものも買えるし友達とご飯にだっていける。
よみがえったんだ。
無駄遣いをつつしまなくちゃならないけれど
それでも自力で生きていく道にまた舞い戻ってきた。
もう絶対自分の道をはずさないぞ。

いろいろと助けてくれた人たちに恩返しがしたい。
銀座の街を意識してゆっくり歩きながら、私はそんなことを考えていた。

2010年8月21日土曜日

不運

昨日、2時間の残業を片付けて会社を出た。
外は蒸し暑かった。
あいにく電車はすぐ来なかった。
5分の待ち時間の間に首筋から汗がにじんできた。
この汗も電車に乗ればひんやり気持ち良いだろうと想像した。
電車は空いていた。
乗り込む瞬間の冷気を思う存分体に浴びた。
ドアの近くの座席だけぽっかり空いていた。
ラッキーと思って座った。
ああ、涼しいなあと思いながら読みかけの文庫本を開いた。
それにしても涼しいなぁ、とくにお尻がひんやりして気持ちいいと思った。
次第にお尻が涼しすぎると感じてきた。
まさかと思って座席とお尻の間に指を差し込んでみた。
その瞬間わたしはギャーと飛びのいた。
立ったまま人目を気にして遠慮がちに自分のお尻に手を当ててみた。
お尻は濡れていた。
座席もよく見ると少し色が濃くなっていて濡れているようだった。

理解不能のまま他の座席を見つけて座った。
もう一度お尻を指先で触ってみた。
触った指を嗅いでみた。
うっ!くっ・・・臭い!なに?何の液体なの?!とパニックになった。
次ぎの駅について一番初めに乗り込んできた男性が先ほどの席に座った。
15秒くらいして彼も座席とお尻の間に手を差し込み、同じく飛びのいた。
そして隣の車両に移ってしまった。

降車駅で降りたあと乗り換えのために歩いていると
お尻が濡れていて非常に気持ち悪かった。
誰があんなところでおしっこをしたのかとムカついた。
濡れているお尻の感触がベタベタして嫌な気持ちになった。
お尻が濡れていて、しかもおしっこ臭いとすると
むしろ知らない人が見たら、わたしがおしっこを漏らしたみたいに思われるんじゃないかと恐れた。
憤ってみるが誰に向けて怒ったらいいのかわからなかった。

無気力になりながら帰ってきた。
被害者を増やさないための回避方法を考えていたが見つからなかった。
誰かが座ろうとするたびに「ここは濡れていて座れませんよ」と
いちいち注意することもできないと思った。

犯人は誰なのかも考えた。
子供、大人、奇人、変人、悪人、廃人。
だがわからなかった。

うんこを踏んだときは運がついたね、なんて冗談も言えるけど
おしっこのときはどうしたらいいのだ。
運じゃない、つまり不運。
もしくは悲(非)運。運に非ず。


我ながら馬鹿馬鹿しいと反省した。

2010年8月20日金曜日

「真理先生」武者小路実篤



短い小説だが、善人しか登場しない。気楽に読めて、清々しい気分を味わった。

これは本当のことを書いたものなので
タイトルも「真理」となっている。
愛や自由や正義、そして生きることと死ぬこと
人生をいかに生きるか、
幾多の小説もこれらのテーマを基に書かれているが
わたしははじめて知った。

―まったく悪人が登場しなくても、愛や自由や正義は書けるのだと。

武者小路実篤はすごいひとだ。

2010年8月19日木曜日

夏の100冊文庫キャンペーン

夏休みの100冊にはどんな本があるかしらと思って
集英社文庫と新潮文庫のリーフレットを手にとってみたけれど
いやー驚いた。
なに、この、ふしぎな選び方は。

ためしに新潮文庫100選で数えてみるとそのジャンル別の内訳は
「名作」・・・・・33冊(「坊ちゃん」「羅生門」「友情」などなど)
「現代文学」・・・44冊(「東京タワー」「海辺のカフカ」「博士の愛した数式」などなど)
「海外文学」・・・16冊(「十五少年漂流記」「変身」「罪と罰」などなど)
「エッセイ・ノンフィクション」・・・13冊(「深夜特急」「こころの処方箋」などなど)

あれ?100冊以上ある。だがリーフレットの隅に
「新潮文庫の100冊はキャンペーンの総称です」と小さく書いてあるので
細かいことはまあ気にしないことにする。

あのね、ちょっとおかしくないですか。海外文学16冊って。
9割が日本作品かよ。海外文学のどこがいけないっていうんですかあなた。
名著がたくさんあるじゃないかー!
シェイクスピアやユゴーやトルストイはなぜ選ばれないのだ。
ゲーテは小説じゃなくてなぜ「ゲーテ格言集」が選ばれるのだ。
わけわからん。どうなってるの。
あとね、現代文学多すぎじゃないですか?44冊て。
過去の名作よりも多いのですか。ああそうですか。
ちょっと前から最近にかけて映画化された作品ばかりじゃないですか。

これなら売れそう、みたいな真似はなんだかなぁ。
夏の100冊って出版社のもっと良心的な試みかと思っていたのにすっかりだまされたなぁ。


ぶーぶー言っても仕方がないので100選の棚から2作、他から2作を手にとり家路へ。
早く読みたい、早く読みたいとウキウキしながら帰りにコンビニの前で
「ふうちゃーん!」と呼びとめられる。
振り向くと最近親しくなった友達が向こうからやってきた。
「今帰り?これから近所の友達呼んで女の子だけでうちでご飯食べるんだけど来ない?」と彼女。
「え!ほんと!」と嬉しそうな顔で返答しつつ、
頭の中ではこれから真っ先に始めようと思っていた至福の読書と天秤をかけていた。

「うーん、どうしよっかなぁ。ご飯買ってきちゃったし・・・。
 ・・・どうしよう、うーん、じゃあご飯は家で食べるからあとで顔だけ出すよ!」
といって一旦家に帰るなり、いま買ってきたばかりの本の中から一番薄いのを取り出して
とりあえず集中して1時間で読み終えた。

はぁーおなかいっぱい。完全な活字中毒症だ。
なんたって三度のメシより読書だ。もちろんそこにメシもあれば言うことない。
そうして満足してから友人宅へ出かけた。
行ってみるとみんなお酒を飲んでいて楽しそうな話をしながら迎えてくれた。
わたしもビールをすすめられたけど、家に帰ったらまた本を読もうと決めていたので
酔っ払って帰るのはどうしても嫌で、おなかの具合が悪いからといってお茶をもらった。

行く前は、本の話でも少しはできるかしらと淡く期待していたが
赤裸々なガールズトークが炸裂していて本のことなんて一言だって口にできなかった。
かわりにさんざん笑い転げて帰ってきた。

さあ、読書の時間だ!

2010年8月18日水曜日

読後感想文―「路傍の石」山本有三



次野先生の言葉

「愛川、おまえは自分の名まえを考えたことがあるか。」
「・・・・・」
「ああ、自分の名まえはどういう意味を持っているのか、おまえはわかっていないのじゃないのかい。」
「・・・・・」
「おまえは作文にでも、習字にでも、自分の名まえだから書くんだって気もちで、
たいして考えもせずに、ただ愛川吾一と書いているが、名は体をあらわすというくらい大事なもので、
吾一というのは、容易ならない名まえなんだよ。」
「・・・・・」
「吾一というのはね、われはひとりなり、われはこの世にひとりしかいないという意味だ。
世界になん億の人間がいるかもしれないが、おまえというものは、いいかい、愛川。
愛川吾一というものは、世界じゅうに、たったひとりしかいないんだ。どれだけ人間が集まっても、
同じ顔の人は、ひとりもいないのと同じように、愛川吾一というものは、この広い世界に、
たったひとりしかいないのだ。」
「・・・・・」
「(中略)―死ぬことはなあ、愛川。おじいさんか、おばあさんにまかせておけばいいのだ。
人生は死ぬことじゃない。生きることだ。これからのものは、何よりも生きなくてはいけない。
自分自身を生かさなくってはいけない。たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない人生を、
ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか。」
「・・・・・」
「わかったか、愛川。先生はおまえに見どころがあると思えばこそ、こんなに言っているのだ。
おまえは自分の名にかけて、是非とも自分を生かさなくってはならない。
おまえってものは、世界じゅうにひとりしかいないんだからな。
―いいか、このことばを忘れるんじゃないぞ。」


黒川の言葉

「確かに、いい修行をしたのだ。人間はな、人生というトイシで、ごしごしこすられなくちゃ、
光るようにはならないんだ。」
「・・・・・」
「『かんなん、なんじを玉にす。』へこたれちゃだめだ。くよくよするんじゃないぞ。」




じいやの言葉

「辛抱するんだよ。つらくっても、我慢しなくっちゃいけないよ。」


「働くってのは、はたをらくにしてやることさ。」
ほかの人が言ったら、だじゃれに聞こえそうなことばが、このじいやの入れ歯の間から出てくると、
なんか、しみじみとした響きがあった。
「ああ、そうなんだよ。働くと、―はたの人をらくにしてやると、自分もきっと、らくになるんだよ。」


「おまえさんは若いんだから、うんと働かなくっちゃいけないよ。
働いてお金をどっさり、ためるんだよ。若い時、骨おしみをしちゃだめだ。
―そうだね、おまえさんが出世をしたいと思ったら、みんなが仕事をはじめる前に、
仕事をはじめるんだよ。そうして、おしまいの時は、みんながすっかり手を洗っちまうまで、
仕事をやっているんだよ。これが出世の秘伝だよ。金もちになる奥の手だよ。
どうだい、わかるかい。」




「もう泣くんじゃないよ。泣いてなんかいないで、早くそうじをやりかえなくっちゃだめだよ。
―さ、涙をふいて。涙をふいて。わしもいっしょに手つだってやるから。」
吾一はくやしくって、くやしくってたまらなかった。
自分でしたのでもないのに、自分のせいにされてしまい、そのうえ、いやというほど、
なぐられたのだから、彼はもう、そうじのやりかえなんかする気がなかった。
じいやに言われて、彼はしかたがなしに、石油カンから石油をあけてはいたが、
石油の色さえ、涙で見えないくらいだった。
「辛抱するんだよ。我慢しなくっちゃいけないよ。」
じいやはほやをそうじしながら、いつもの口調で言った。
「おまえさんが水を入れたんじゃないことはわかっている。そりゃ、
だれかがいたずらをしたのに相違ないさ。だが、それは、だれがしたの、かれがしたのなんて、
考えるのはつまらないことだよ。そんなことは、こちとらのやる仕事じゃない。
こちとらは、ただ働きさえすりゃいいんだ。あい手がまちがっていても、
口ごたえをするんじゃないよ。くやしくっても、言いわけをするんじゃないよ。
いくら言いわけを言ったって、言いわけで、ランプはともりっこありゃしない。
こちとらの仕事は、ランプそうじだ。ランプがくもらないようにすれば、それでいいんだ。
泣くんじゃない。泣くんじゃないよ。
―いいかい。何ごとも辛抱するんだよ。黙って働くんだよ。―」



小説・路傍の石は未完で終わってしまった。
愛川吾一という極貧の家に生まれた幼い少年を主人公として
厳しい境遇を耐えに耐え忍び、苦学をしながら、まだまだこれから彼の未来が待っているその瞬間に
突然ぱたりと終わってしまった。
小説の話の途中、次のページへとめくると、そこに「ペンを折る」と題する文章があった。
作家である山本有三が、これ以上書くことはできない、と断筆を表明したものだった。
昭和15年。
戦中戦後のことで、検閲が激しいなかでの執筆、そして断筆への決断だったようだ。
「ペンを折る」のなかで山本有三は「切腹にひとしい気もち」と書いていて
わたしの胸にも無性に悲しさが込み上げてきた。彼を思うと泣けて仕方がない。
この小説で彼が表現したかったものが、戦争という暗い時代によってごっそり奪われたのだ。

「ふり返ってみると、わたくしが『路傍の石』の想を構えたのは、昭和十一年のことであって、
こんどの欧州大戦はさておき、日華事変さえ予想されなかった時代のことであります。
しかし、ただ今では、ご承知のとおり、容易ならない時局に当面しております。
(中略)もちろん、あの作そのものが、国策に反するものでないことは、
わたくしは確信をもって断言いたします。
資本主義、自由主義、出世主義、社会主義、なぞがあらわれてきますが、
それを、どう扱おうとしているものであるかは、あの作を読めば、だれにでも、
すぐにわかるはずです。今日の日本は、あの作の中に書かれたような時代を通り、
あの作の中に出てくるような人たちによって、よかれ、あしかれ、きずきあげられたのであって、
日本の成長を考える時、それはけっして無意味なものではないと思うのです。」

「もし、世の中がおちついて、前の構想のままでも、自由に書ける時代がきたら、
わたくしは、ふたたび、あのあとを続けましょう。けれども、そういう時代がこなければ、
あの作は路傍に投げ捨てるよりほかはありません。」


戦争の馬鹿野郎。
もし戦争に姿形があるならば今こそ力いっぱい殴りつけたい気持ちだ。

ともあれ、これは本当に胸に迫るものがある話だった。
タイトルとなった「路傍の石」。
幼く貧しい吾一は路傍の石のようにいつも誰かに蹴飛ばされてしまう。
だけど、そんな路傍の石ころを、こんどは別の誰かがうんと励ますのだ。
次野先生や、黒川や、じいやのような人が、負けるな、生きろ、と彼を励ます。
そうやって吾一は歯を食いしばりながら前へ上へと成長していく。
「かんなん、なんじを玉にす。」

ほんとうに、そうですよね。
わたしも腹を決めてがんばろう。

2010年8月17日火曜日

自己愛

昨日は「アンナ・カレーニナ」トルストイ著を読み終わって放心状態でした。
私の大事な主人公アンナが自殺してしまって、もうなんだか脱力。

そんな終わりかたって・・・。
あああ、なぜ自殺するんだよぉぉぉ(涙)
だめなの?死ななきゃダメだったの??

読んでない人のために超テキトーにあらすじを書くと、
超美貌の持ち主の貴婦人アンナが、これまた超美男子のヴロンスキーと浮気して
(愛してない)夫と(愛する)息子を捨てて駆け落ちしてしまうんです。
真実の愛に生きようと心に決めて何もかも、すべてを捨てて駆け落ちしたのに
ヴロンスキーのアンナへの愛情が次第に冷めていき・・・
アンナはヴロンスキーがほかの女と浮気しているんじゃないかと疑い、異様に嫉妬し、
嫉妬されるたびに一層ヴロンスキーの愛がどんどん冷めていくのを自覚しながら
愛をつなぎとめることができないのなら、
「後悔することになるわよ」とヴロンスキーに言い残したまま・・・

・・・鉄道に飛び込み自殺。がーん。。。

冷静さと情熱を両方持ち合わせた魅力的なアンナが
最期はロマンチックな悲劇のヒロインになりきるしかなかった。
そんな悲劇のヒロインとなった自分をあざ笑いながら
愛のために生きる、愛を失ったから死ぬ。それだけの単純な理屈で自殺。
くぅぅ・・・阿呆な死に方しやがって(泣)

愛に生きるってなに?
愛に生きてなぜ不幸になるの。

愛といってもそれは、結局のところ自己愛でしかなかったのだ。
ヴロンスキーを愛するのも、彼が自分を愛してくれていたからだし
後半では彼の愛をつなぎとめようと彼女は必死に
「彼が好きな服」「彼が好きな髪型」「彼が好きな振る舞い」をするようになる。
自分に向けられる愛情を極端に要求するようになる。
本来なら自分はもっと多くの人から愛され賞賛されるべき存在なのに、
それでもあなた一人を選んだ、あなたの愛それだけを選んだのにムキー!と嘆く。
つまるところ彼女は自分しか愛していないのだ。

この自己愛。
こんな感じの会話。
(引用ではありませんがこんなシーンがありました・・・雰囲気で書いてます)

「あなた!他の女と浮気してるのね!昨夜もその女のところへ行ってたんだわ」
「おいおい、待てよ。昨夜は○○さんのところへ行ってたんだ、君も知っているだろう?」
(いいえ、この人は嘘をついているんだわ、そんなこといって私をだますつもりね!)
「私がこんな辛い思いをしているっていうのに、あなたは○×△□~!!!」
「じゃあどうしろって言うんだよっ!君をこんなに大切にしてるじゃないか。これ以上僕にどうしろっていうのだ」
「そんなこと言うなんて!あなたは私の辛さがわかっていない証拠だわっ!」
「おいおい、毎日こんなんじゃとても耐えられないよ!」

みたいになっていくんです。
実際ヴロンスキーはまだ浮気はしていない(たぶん)し
彼女に嘘はついていないにもかかわらず
嫉妬に狂うアンナにはすべてが歪んだ世界のようになってしまう。

なんだか遠い世界の話ではありませんよ。
私もこれに似たような気持ちを経験したことがあるし
似たような破滅的な会話をしたこともある。
しかもそれを何度か経験して自殺することなくこうして今も生きているからこそ
「うぉぉアンナ~~~!!なんでホントに死ぬんだよぉぉぉぉ」
と叫んでしまった。

美しい花は枯れてはいけない、美しい花びらを開いたまま
ぽとっ・・・と落ちて消える

的な?!?!
そーゆー思い込み(ナルシシズム)で死を選ぶんだ、嗚呼。。
気持ちはめちゃくちゃよく解るけど・・・愛がそっち方向に行ってはダメなんだ。
自滅しか選べなくなるまで自己愛に走るなんて。
彼女は結局、自分も他人も一切合財すべてを「不幸」にして死んでいった・・・。
本当に、誰一人、幸福になれなかった。

トルストイは彼女の死をあっけなく書いた。
愛を失ったからといって鉄道自殺した彼女の無残な最期に美しさなど
微塵も表現しなかった。
あれほど美しく華麗に描かれたアンナ・カレーニナだったのに。
トルストイはその彼女の死を冷徹なまでにあっけなく書いて彼女の話は幕切れとした。
そこにトルストイの明確な、生死への態度がうかがえる。
愛に狂った末の死。

嗚呼・・・。

2010年8月16日月曜日

怒り

相手が余りに無礼なことを何の遠慮もなく言ったので
私の動きがピタリと止まった。

さっきまで軽いジャブのような侮辱も笑って聞き流していたが
これも同じように半笑いで聞き流せばいいのだろうか?
ジョークと侮辱。その境界線は?
このまま怒っていいものか、それとも・・・。

いいや。
これはいくらなんでも許せん。
言葉を単なるジョークとしてとらえるにも
限度があろう。

言葉の暴力。
それは乱暴な言い回しだけが相手を傷つけるのではなくて
軽く言おうが、柔らかく言おうが、
そこに込められた意味によって判定されるのだ。
どんな使い古された言葉でも
バカ!だろーがアホ!だろーが
お前のかーちゃんでーべーそ!だろーが
許せる意味と許してはならない意味とがある。

まさにそんな類の言葉だった。

私はできる限り短い言葉で自分の怒りを最大限に表現した。
きっぱり、直球で、余計な意味を持たせないように気を引き締めながら
「それはあまりに失礼だ」と言った。

失礼。
それしか言いようがない。
人間と人間の境界線をこんなふうに踏み越えてはいけない。

後日、相手から
自分はあの時こんな素敵なことを考えながら
これこれこんな意味で言ったのであって決して侮辱するつもりはなかった、
だから許してほしい。
というメールが来た。

自分の言った最低な言葉を自分の都合の良い意味にすっかり変換していた。
その自己弁護の姿勢があまりにも卑怯で無様なのでひどく残念に思った。
せめて謝るときぐらい正直さを引っ張り出してこれないのかこいつは。

一度相手の顔面を思いっきり殴っておいて
あのときのパンチにはこんな素敵な意味がありました。
でもごめんなさいね、許してね。
と言われて、ああなーんだそうだったのか、じゃあもういいよ。
なんてなるわけない。
心の狭い私ならなおさらない。

私は許すも許さないも答えずに、
後から何をどう飾り立てようと
あの場で言われた意味はあの言葉のとおりだった。
自分の発言には責任をもったほうがいい。
私はずっと忘れないから。
と返した。

それでいい。
正当な怒りを表明した。
もうそれで自分は納得した。
あとは私自身の問題だ。
二度とそんな言葉を誰にも言わせない自分になるだけだ。

2010年8月9日月曜日

新しさと古さ

「いただいたチケットがあるから」と友人に誘われ
日本舞踊の公演に行かせてもらった。
第一部は伝統的な日本舞踊の舞を堪能し、初心者ながらその美しさに感動したのだが。

第二部に入るとなぜかアップテンポな歌謡曲が流れ、
短いテーマを元に創作された舞踊が立て続けに演じられた。
曲が変わった途端に伝統美がなんとも薄っぺらく非常に退屈なものに変わってしまった。
台無しじゃないかー!

なぜ歌謡曲で舞う必要があるのか。
一体あれのどこが良いのか。誰か説明してくれーい。
解せない気持ちを抱えて帰ってきた。
見てはいけないものを見てしまったような居たたまれない気持ちだ。
芸術の存続について友人と話しながら帰ってきた。

昨年ドイツに行ったとき、古い劇場でオペラを観た。
幕間に演出家が出てきてなにやら演説を始めた。
ドイツ語を英語に翻訳してもらって演出家が何をしゃべっているのか理解した。

「○○市は今年の議会の決定に従い、
この伝統ある劇場と芸術についての支援を一切取りやめてしまいました。
すばらしい音楽家、すばらしいオペラ歌手、女優、俳優、すばらしい演出家、技術者、
そのすべてがここで生活できなくなり、ほかの都市へと移り住むことを余儀なくされました。
人数の減ったわれわれの一団は、公演する演目を減らさざるを得なくなり、
今日のこの演目も最低限の人数で行っております。
これ以上人数が減れば何も公演できなくなるでしょう。
そして今後わが市ではオペラ公演を開催するために、
他の都市からオペラ劇団を招聘しなければならなくなります。
サーカスのように、季節に一度やってくるその団体を待ち望まなければなりません。
いまこの市の市民の皆様、また近隣の市の皆様は、
伝統的な芸術を親しむ機会を議会によって奪われたのです。
このようなオペラを存続させるのに必要な経費は○○ユーロ、
それを削減することはこの地から芸術を抹消する愚行なのです。
どうか、心ある皆様は今日のオペラを楽しむ気持ちでそのまま芸術を愛し、
この劇場を愛し、存続させるための力にして、政府に手紙を書いてください。
寄付をしてくださいとはいいません。
一言で良いので善良な気持ちから市への抗議をしてくださいますようお願い申し上げます。」

このような話だった。
私はとても感銘を受けた。
「この劇場」の存続と「この地域の芸術」の衰退について
真正面から切実に訴えかけられたからだ。
具体的でわかりやすく、芸術に対する感情移入が容易だった。

次の日、演出家の記事が地域の新聞の一面に大きく載っていた。
そこに住む人々全員の問題として突きつけられていた。
ヨーロッパの人々はこうやって芸術を守ろうとしている。
訴えかけた演出家も、そこにいた聴衆も、新聞を読む人々も一律に
芸術の存続について「我々は考えなければならない」という責任感を持っているようだった。
私は日本と比べていた。

昔、写真家が嘆いた。
「写真展をやっても写真は売れない。日本人はみな、写真はタダだと思っている」
写真は絵画より地位が低い。
絵も売れない日本で、写真なんてもっと売れないという。


「芸術の力」「文化の力」を信じなければ何も残せない。
そこに価値をみとめる力があるかどうかはこちら側の問題だ。
音楽、絵画、舞踊、そこには言葉では伝えきれない有形無形の美があって
美は人間にとって大きな力を与える存在なのだ。
歌謡曲で舞う日本舞踊は新しい芸術・文化として受け入れられるのだろうか?
私の感想は・・・難しいと思った。
新しさよりもっと本来の美しさを追求していってほしい。

2010年8月3日火曜日

はたくはたらく

仕事がひどく退屈になってきた。
ごくごく限られた狭い範囲の単純な内容を
あまり頭も使わずにこなしている。
恐ろしく仕事量は多いのに、中身は薄い。

それで、いかに仕事時間を退屈せずに過ごすか、
について苦慮するようになった。
ふと、1時間でできることを2時間でやってみる。
あれ、それじゃ、サボってるだけじゃん。

それで、1時間でする内容を集中して30分で終わらせる。
次の仕事も、その次も、明日やる分も、来週でも良いものをも。
そして書類の束が次々片付いて、もう、1枚の書類もなくなった。
ただしまだお昼を少し過ぎたところだ。
定時まで数時間ある。なのにやることがひとつもない。

あまった時間をもてあます。
さて困った。
確かに今朝、今日か明日にでもやらなければならないことはたくさんあったはずなのに
すでに終わってしまった。
人知れず、ひっそりと、一人きりで「ああ今日一日が長い」と感じる。
もう、入力するべき書類も、片付けなきゃならない雑務も、見当たらない。
かといって、新しい創造的な仕事はわたしにはひとつとしてない。

たとえば、新しい企画を考えるとか、アポを取るとか、原稿を書くとか。
そういう仕事はない。

かかってきた電話を即座にとる。与えられた仕事のひとつだ。
しかし相手は基本的に私に用事があるわけではなく、私は電話交換手のような役目。

この派遣はつまらない。

なぜ?
期待していたほどのスキルは身に付かないとすぐに分かった。
むしろなぜこの仕事にコレだけの高い時給が払われているのか疑問だ。
私に与えられた仕事は大量にあるけれど、能力的に人並みあれば卒なくこなせる。

早く終わらせたからといって褒められるわけではない。
まさか上司に「もうやることがなくなりました」とは言えない。
そんなこと言われたらきっと上司だって困る。
それこそ空気読めよ、となる。
与えられた仕事を与えられた時間内に「まんべんなく」やってくれたらいいのだ。
「派遣なんだからそこまで頑張らなくていいよ」という台詞は
すべての人の共通理解だと知る。

こういう雰囲気で職場は成り立っているのだ。
1日の仕事とそれにかかる時間はほぼ想定されていて、
想定内で終わらせればいいのだ。
誰も予想外に早くやることを望んでいない。
契約によって仕事内容が細かく規定されているわたしに、
別の仕事は用意できない。
それどころか「激務でしょうけれど」と言われる始末。
さも大変そうに、さも時間が足りなさそうに仕事をしなければ
なんか妙な空気になってしまう。


気が付けば、パソコンの画面を見つめながら
「働く」ことについてぼんやり考えていた。

働くは「傍を楽にする」というんだ。

その反対は・・・はたく?

傍を苦しめる、叩く(はたく)・・・。
おお、確かに。
「あんたのは『働く』じゃない、『はたく』だ!」
という人が周りにいる。

あの人は「はた楽」。あの人は「はた苦」だな。
なーんて見回してみたり。

働く、働く・・・

ああ、働きたい!
働いて働いて
「ああ、今日も一日よく働いた!」と言いたい。
満足して一日を終えたい。