2010年10月31日日曜日

「十二夜」シェイクスピア

喜劇です。

海で船が難破して双子の兄妹がそれぞれ離れ離れに。
別々の人に助けられにお互いに死んだと思い込んでいる。

妹は男装してセザーリオと名乗り、恋焦がれていたオーシーノ伯爵に仕える。
オーシーノ伯爵は、ある美しい女性オリヴィアに恋していて、
恋心を伝えるためにセザーリオを使いに出す。
セザーリオを見たオリヴィアは本当は女性であるセザーリオに恋をしてしまう。
これで三角関係が成立。

しかし顔がそっくりの双子の兄が登場して話はもっと複雑に・・・!!

文句なく面白いです。
ハッピーエンドですが、ひと味辛味を効かせているあたり、シェイクスピアらしい。


笑えるのが、ちょっと頭の悪いお坊ちゃんのアンドルー(オリヴィアに求婚中)が、
悪い仲間にせかされてセザーリオに決闘を申し込む果たし状を書いてくるシーンがあります。




アンドルー:ホレ、果し状だ。読んでくれ。思いっ切り、辛味とスゴ味、きかしといたからな。

トービー  :よし、よこせ。(読む)「バカヤロー。テメェが何者だろうと、テメェはコノヤローだ」

フェビアン:いいねえ、勇ましいねえ。

トービー :「驚くなかれ、呆れるなかれ、ボクがなぜお前をそう呼ぶか、その理由を、ボクは断じて白状するつもりはないゾ」

フェビアン:いい調子だ。白状しなきゃ、法律に触れる心配ないもんねえ。

トービー :「お前はオリヴィア姫のところへ来て、ボクが見てる目と鼻の前で、彼女はお前を親切にする。しかしお前は大嘘つきだ。それこそは、ボクがお前に決闘を申し込む理由ではないなり」


フェビアン:いやあ、まさしく、簡にして要を得て―ない。


トービー :「ボクはお前がおうちに帰るところを待ち伏せするぞ。もしお前が幸いにしてボクを殺せば―」

フェビアン:ホウ、ホウ。


トービー :「お前はゴロツキとして、かつ悪者としてボクを殺すぞ」


フェビアン:相変わらず法律の網には引っ掛からない。おみごとですな。


トービー :「では、御機嫌よう。神様が、ボクら二人のどっちかの魂の上にお恵みをください。ひょっとかすると神様は、ボクの魂の上にお恵みをくださるかもしれんが、ボクは天国に行くつもりなんかサラサラないぞ。だから、よくよく気をつけるんだぞ、クソクラエー。お前の出方しだいで、お前の友だち、でなかったら、お前の目の敵になってやるからな。アンドルー・エイギュチークより」




このやりとりはなかなか笑える。
最後の「お前の出方しだいで、お前の友だち、でなかったら、お前の目の敵になってやるからな」が
かわいい。わたし的に萌えた。



そしてこのセリフ。
シェイクスピアは忘恩こそ人間のもっとも恥ずべき行為として考えていたのですね。

私、なんにも、知りません。そんなこと。
あなたの声も知らなければ、顔にもなんの見覚えもない。
受けた恩を忘れるほど、私の忌み嫌うものはほかにない。
嘘をつく、ホラを吹く、酔ってクダを巻く ― そのほか何であろうと、
人間の弱い血にまとわりつくいかな悪徳、いかに強力な罪であろうと、
恩を忘れるほどおぞましいものはどこにもない。
私は、そう考えております。

2010年10月30日土曜日

「馬」小島信夫

ある日、自分の家の庭に勝手にもう一つ家が建ち始める。
主人公の「僕」が驚いて妻に問い詰めると「あなたが住む、あなたの家を建ててるのよ」と。
自分の家のことなのに何も知らない上、詳しい説明もない。
さらにその新しい家にはなぜか馬が住むことになる。

「僕」は、わけがわからないままカッとなって大工の棟梁に殴りかかるも失敗して梯子から落ち、
そのはずみで感電して精神病院に入院させられる。
病棟から建築中の家を眺めていたら、暗がりの家の中に妻と、男の影が見える。
よく見えないが大工の棟梁らしい。
そのことを翌朝妻に詰問すると「何言ってるの、あなたが来たんじゃない」と。
自分の見た男の影が自分?
もうわけがわからない。

退院して家に帰ってみると、すでに新築の二階建てのわが家の一番豪華な部屋に馬が暮らしている。
馬は競走馬で、気品があり男らしく野性的で、人間の「僕」よりも妻に大事にされている。
さらに真夜中に馬が「奥さん、奥さん、開けて下さい」としゃべっているのを聞いてしまう。
やがて妻は馬と起居しだし、馬のために大きなセーターまで編みだす始末。
さすがの僕もこのままではヤバイと思って
馬にまたがって「お前の主人は僕だぞ!」と鞭をくれてやるが馬はまったく言うことを聞かない。
そのうち、馬に振り落とされ、クタクタになりながら家に戻ってくると
家から大工の棟梁が出てくる。
でも「僕」は疲れ果てていてもう怒る気になれない。
すると「この野郎!」と叫んで馬が大工の棟梁のあとを追っていく。

ああもうこれ以上は無理だ、自分の頭がおかしいのか?
もう一度心安らぐ場所へ戻ろうと、「僕」が精神病院へトボトボ歩いていると
妻があとを追いかけてきて
「待って。わたしはあなたのことを本当に愛しているのよ」と告白される。


以上があらすじです(笑)
意味不明かつ理不尽。
主人公の僕は小心者なのでいつも妻に言いくるめられ、状況にガンガン流されていきます。
この手の不条理小説は、昔好きだった安部公房に似ていますが
小島氏の場合は、主人公がなかなかあり得ない「弱さ」を発揮します。
とにかくあらゆることに弱い主人公。たぐい稀な「弱さ」が読んでて可笑しいのです。

そもそも最初に、勝手に「わが家」が建ち始めた時点で怒ってもいいのですが
怒らない。うまく怒れない。
妻の理屈に丸め込まれて、仕方がない、とすぐに諦めます。
我が家に、馬が住むことになるのも、仕方がない。

こういう奇妙な弱さ、なかなか書けるものじゃない。
話の一貫性がないのに小説として成立していることがすごい。
「僕は」「僕は」を繰り返す小学生のような独特の文体もまた主人公の「弱さ」を倍増させていて面白い。

ヘンテコな小説が読みたい時はこちらです。
ちなみに、小説「馬」は以下の短編集に収録されています。


2010年10月26日火曜日

昔話改め、いまのお話。

むかしむかし あるところに

お爺さんと お婆さんと 桃太郎と サルと キジと イヌと 鬼が いました。



(行間に筆舌に尽くしがたい苦闘はあるものの)



みんなで仲良く暮らそうと思いました。



おしまい♪

2010年10月25日月曜日

シャネルにクレーム

先日、都内百貨店の化粧品売り場に買い物をしに出かけました。

雑誌にサンプルとしてついていた新発売のシャネルのファンデーションが気に入ったので
購入目的での来店でした。
店舗前まで行くと、(日本語の流暢な)外国人の女性スタッフから「いらっしゃいませ」と声をかけられ
「新しく発売になったファンデーションを探しているのですが」と申し出ると
「こちらです」と案内されました。

そうそう、これこれ。と手にとって見たものの、色はどれだったかしら・・・と思い
「雑誌にサンプルで付いていたものはどちらですか?色がちょうど自分にあっていたので。」
と聞くと、そのスタッフは「雑誌ですか?それはわかりません」と即答。

わたしが困惑気味に「え・・・」と言うと、すぐに
「雑誌についているサンプルに関してはわたくしどもは一切存じておりません。」
そして早口で「申し訳ございません。」と付け加えたのです。
なんだか納得ができず「うーん、雑誌といってもつい最近の女性誌なんですが・・・」と言ってみましたが
「いいえ、お客様。どの雑誌にどのサンプルがついているかわたくしどもは把握しておりません」
ときっぱり答えやがった。

あ・な・た・が、知らないだけじゃないの?と心の中でつぶやきつつ
ほかの店員さんに聞けばわかるんじゃないかとあたりを見回してみたが全員接客中。
挙句の果てに「何番のファンデーションだったか、憶えていらっしゃらないのですか?」と聞かれる。
「いえ・・・番号まで憶えていませんが・・・」
「それではお客様、調べることができません。申し訳ございません」ですって。
まるでわたしのせい?みたいな嫌なムードになって会話終了。

「そうですか、では番号が思い出せたらまた来ます、どうも」といって帰りました。

二度と行くかー!


その足で同じ売り場の別のブランドのファンデーションを買って帰りました。
不信感がMAXだったので家に帰ってからシャネルにメールしました。

「御社の戦略で、女性誌にサンプルをつけているのにもかかわらず、
 そのサンプルを試した人が客として店舗に足を運ぶことを想定していないのですか?」と。
「雑誌についているサンプルは存じておりません、と断言する態度に不審感をおぼえ、
 調べようという姿勢もみられず失望、なおかつ肌に合う色を提案しようという接客もなく不快」と。

カスタマーセンターからは、謝罪のメールとともにサンプルの色番号も書いて回答が来ました。

「サンプル貼付の広告に関しては当然通達致しておりましたのですが不行き届きにて大変失礼致しました。
ご指摘の通り、情報が不明であった場合は他スタッフ、或いは担当部署に確認するよう、
常日頃より指導致して参ったつもりでございましたが至りませず繰り返し深くお詫び申し上げます。」
ですって。

わたしは仕事上、国内で発売されている大手出版社の女性誌はすべて、
文字通り1ページずつめくって隅から隅まで見ているのです。
そして、シャネルはこの時期、20代以上をターゲットにしたほぼすべての(名のある)女性誌に
新発売のファンデーションの広告を一斉に打っていました。
しかし、サンプルをつけた雑誌は1誌のみ。
同月発売の女性誌でほかにサンプルがついていたのは「ソニア・リキエル」と
ポーラのスキンケアライン「B・A」ブランドのみでした。
わたしがここまで把握しているのは職業柄ですが、本職の美容部員が何も知らないっておかしいでしょ。
シャネルは新商品発売前に数ある女性誌の中で、1誌に的を絞ってサンプルをつけているのですから、
知らない店員のほうが無知すぎる。
万一、知らなくても、調べりゃすぐわかることでしょうよ。

まったくね。

「マクベス」シェイクスピア

「萬歳、マクベスどの! 萬歳、グラーミスの御領主!」
(坪内逍遙訳)

「よう戻られた、マクベス殿! お祝い申し上げますぞ、グラミスの領主様!」
(福田恆存訳)

「めでたいよのう、マクベス! グラームズの領主どのよのう!」
(木下順二訳)



魔女一 「ヘエエエイ、マクベース!グラーミスのご領主様。」
魔女二 「ヘエエエイ、マクベース!コーダーのご領主様。」
魔女三 「ヘエエエエイ、マクベース!やがては王様に、おなりになる方。」



なんちゅーカッコ良さ!安西徹雄訳。
魔女っぽさ倍増。


やられた。ああ、完全に持ってかれた。
ヘエエエイ、マクベース!ってもう頭から離れない(笑)

翻訳がカッコよすぎる!
絶対これ、読むべきです。

2010年10月23日土曜日

「リア王」シェークスピア

シェークスピアの面白さは半端ない。
時代を経てもなお色褪せない。
気分が乗らないときはシェークスピアに限る。
眠れない夜はいっそ寝ないでシェークスピアだ。
何度読んでも好きになる。
ほんと、天才。

一番の魅力は、その格調高い言葉の数々だろう。
新訳は非常に読みやすかった。

リア王は悲劇の物語。
ブリテンの王とその3人の娘のお話。
テーマは忘恩、裏切り、親不孝。

結局全員死んでしまう。

悲劇があらゆる虚飾をむしりとって本質だけを浮き彫りにしていく。


知恵も美徳も、邪悪な者の目には、ただ邪悪としか見えぬもの。
汚れた者の口には、汚れた味しか美味とは感じぬ。
なんということをしでかしたのだ、お前ら二人は。
娘ではない、虎だ。
父親を、それも、あれほどにも情け深い老人を―――
鎖に繋がれ、いきり立っている熊ですら、うなだれてその手を舐めたであろうものを、
お前らは、まことに無残、冷酷にも、狂気にまで追いやってしまったとは!
いやしくも人間のすることか。
もしも天が、ただちに精霊を地上に降し、人間の目にありありと見える報復の天使を放って、
かかる悪逆の罪を仮借なく罰したまわなければ、見ているがいい、
人間は、必ずや深海の怪物そのまま、おのが同類をむさぼり食らう惨状を呈するに違いない。



忘恩こそ、犬畜生にも劣る人間のもっとも醜い恥辱。


2010年10月21日木曜日

「武器よさらば」ヘミングウェイ

しばらく本を読んでもページが進まなかった。
考えることが多すぎて、考えても仕方ないことまで考えたりして。
お昼休みもぼーっとしたりして。
さて、おぼつかないながら集中力を取り戻し始めました。




第一次世界大戦のことはほとんど何も知りませんね。
日本人だからでしょうか。
この小説の舞台はイタリアですが、イタリア人が戦うというのもわたしにはいまいちピンときません。
小説の中では、撤退しながらスパゲッティ食べたりしてわりとのんびりしています。



「負ける話はやめましょう。もういやになるほどききました。この夏の傷手は、決してむだではなかったはずです」


おれは何も答えなかった。
おれには苦手な言葉というのがある。
たとえば、神聖とか、栄光とか、犠牲とか、むだとか。
そういう言葉を耳にしたことはある。
ときには、ざんざん降りの雨のなかで、怒鳴り声しかきこえないようなときにきこえたりする。
また、そういう言葉を読んだりすることもある。
たとえば、何枚も上に上に重ね貼りしてある古びた広告ビラなんかでだ。
しかし、いままでに一度も神聖なものなんか見たこともないし、栄光あるといわれているものは
ちっとも栄光などなかったし、犠牲なんて、論じるほどの価値もなかった。
そんなきくにたえない言葉ばかりが増えていくと、きいていられるのは地名くらいということになってしまう。
あとは数字とか、日付とか、地名といっしょになった数字や日付くらいしか、口にして意味のあるものはなくなってしまう。
栄光とか名誉とか、勇気とか神々しいとか、そういった抽象的な言葉は卑猥だ。
それは、村の名前とか道路の番号とか、川の名前とか、部隊の番号とか日付といった具体的な言葉の横に置いてみればすぐにわかる。


「神聖」や「栄光」や「犠牲」や「むだ」という言葉。
戦争が意味のないものだという主人公の気持ちをあらわしているように思います。

2010年10月19日火曜日

何もしてくれなかった人

わたしが右といえば、ダメだと言い
前に進もうとすると、止まれと言った。

「キミのためだ」と言いながら、いままでわたしの邪魔ばっかりしてきたその人は
わたしが東京へ出るとき、何もしてくれなかった。

住む家も、仕事も、何もないわたしに

ほんとうに「何も」してくれなかった。


ふつうなら、きっと怒ることかもしれなけど
実はわたしは、そのことにとてもとても感謝している。

何もしてくれなかった。

そう、あなたはわたしの邪魔をしなかった。

あのとき、唯一。


あのときだけ、唯一、すんなりと前へ進めた。

あなたには全部行き止まりにされたけど、

最後の最後で、

ありがとう。

久しぶりに兄に電話した。

「おまえの言い分は分かるけれども、今回のことはおまえが全部ひっかぶれ」
と父に言われた兄。

「パパにこう言われたんでしょう?あのね、親の言うこと、聞かなくていいよ」

「えっ・・・」という言葉が返ってきた。

「お兄ちゃんにはお兄ちゃんの言いたいことがあるんでしょう?」

兄はしばらく黙っていた。

「あのね、言いたいことがあるなら言ったほうがいいと思う。今までずっと我慢してきたんでしょう?」

「・・・うん、まあ・・・ね。」

「自分の言いたいことが言えないのは、つらいよね」

「・・・」

兄はぽつりぽつりと、自分の思いを話し出した。
努力してきたこと。うまくいかなかったこと。
誰にも言っていない、正直な気持ち。

こんなにたくさん考えている人だったのか。

兄は周りの人のことを考えていた。
やさしい人。
周りの人を思いやるやさしさと、そういった環境に流されてしまう弱さ。
ぴったり裏と表。

強くなれ。
妹は、もっと乱暴な方法で、周りをぐちゃぐちゃに引っ掻き回して
大惨事にして、親に勘当されて、それでようやく仲直りしたんだぞ。
たくさん悲しみ、たくさん悲しませ、たくさん謝ったよ。

「親を悲しませたくない。でももう悲しませてしまっている」

そう言う兄に、「きっと、大丈夫だよ」と言った。


大丈夫、これから取り返せるよ。

2010年10月15日金曜日

必死のパッチ!

残業していたら隣の席の男性社員(東京出身)が聞いてきた。
「ねえねえ、『必死のパッチ』ってなんだかわかる?」

ええ?なんて言いました?
唐突過ぎて聞き逃してしまった。

「必死のパッチ、だよ。メールにそう書いてあるんだけど」

「パッチ?必死のパッチ??えー、なんでしょうね?」
パッチって何?ペットの名前?
と頭をひねるわたし(茨城出身)。

その会話を聞いて、向かいに座っている女性社員(奈良出身)が笑いながら会話に参加。
「えー?必死のパッチ知らないの?」

「知らない」
「知りません」

心底驚いた、という表情でわたしたちを見る彼女。

「必死パッチいうたら必死のパッチやわー。そういう言い方あるねん」
と関西弁で答える。

「だからパッチってなんなの?」と男性社員は聞いている。

「パッチに意味なんかないわぁ。必死のパッチって昔から使う言葉やねん、なぁ?」
そう言って隣に座る女性社員(広島出身)に聞く。

「言うねー。関西の人なら知ってるはずやで」

だからパッチってなんなの(笑)

「言いやすいからそう言うんちゃうかなぁ?『必死』って言葉のあとには『パッチ』やねん」

「そうやそうや」
「ともかく『必死のパッチ』言うたら必死な感じやしな」


関西出身の二人はうんうんと頷きあっている。

だからパッチってなんなのー!(笑)
業を煮やしたわたしはネットで検索。
語源はいくつかあるらしいことが分かった。

「語呂がいいみたいですね。『当たり前田のクラッカー』は聞いたことありますけど。
このサイトには『余裕のよっちゃん』みたいな感じって書いてありますよ」
とわたしが言うと



「そうそう!『余裕のよっちゃん、たらこのたっちゃん』みたいなもんやで」
と彼女は大きな声で自信満々に答えた。



一瞬、しーんと静まったあとに残業中の人がまばらなフロアからどよめきが起こった。



「なにそれ!?」」
「それ知らなーい」
「聞いたことないね」
「なな、なんて言ったの今?た、田中のたっちゃん?
「違う人になってるー!(笑)ちがうよ、た・ら・こ。『たらこのたっちゃん』だってさ」
「奈良だけじゃない?それ」



彼女は真っ赤な顔して
「えー?言わへんの?『余裕のよっちゃん、たらこのたっちゃん』て?そんなん珍しい?」
と焦りつつ必死になって答えていた。




その姿がすでに「必死のパッチ」?(笑)

どんな人がタイプ?

今日は職場の派遣の女の子と一緒にカフェランチに出かけた。
同い年。彼氏ナシ。見た目はスレンダーでかわいい。
靴が大好きな彼女。
いつもピカピカで攻撃的な9センチのヒールを履いている。
そして、早く結婚したい、という。


「どんな人がタイプ?」と聞いてみる。

「職業に弱いんだー。」
新しいブランド靴のかかとの減り具合を確かめながら答える彼女。

「職業?お医者さんとか?」

「うーんとね、美術とかデザインとか、センスがあるヤツに弱い」

「あーなるほど。クリエイティブな感じがいいのね?」笑いながら聞いてみた。

「そうそう!クリエイティブ!こないだWebクリエイターと知り合いになったんだ。
友達が連れてきた人で、顔はいまいちなんだけどフリーランスなの。それで俄然食いついちゃった」

「なんか分かるかも。わたしも昔、カメラマンと付き合ってた。才能あると魅力的だよね」

「そうなの!ほかの人ができないことをやってる人はすごいなーって」

「で?その人とはどうなったの?」

「連絡先交換したんだけど、既婚者なんだよねぇ」
残念そうに笑う。
男の人は結婚してても、かわいい女の子と連絡先交換しちゃうんだなー。
そいつの首を絞めてやりたい。

「ダメじゃん。それはあきらめないと。」

そうだよねぇ、と相槌が返ってくる。

「ねぇ、そっちはどんな人がタイプなの?」
ストローでグラスをくるくるかき回しながら質問してくる。

「そうだな、一生懸命仕事をしている人かな。どんな職業でもいいけど、一生懸命度が重要」

「あー分かる。真剣に仕事してる男の人ってかっこよく見えるよねー」

「その人がどれだけその仕事に全力投球しているかって、見てて分かるじゃない?」
うんうん、と彼女。

「大抵の人はちょっとずつ手を抜いてる気がする。
仕事の結果には表れないかもしれないけど、本気度のオーラが弱いような。
稀に本気出してる人がいるのを見つけると、おおー、すごい。
その仕事にそこまでがんばれるんだって感心する。それがポイントかな。」

彼女はなるほどねー、とうなずいてくれる。

「いまそういう人いないの?」
と聞いてきた彼女にわたしは即答した。

「いないね。滅多にいるもんじゃない。そういう人は探さなくても光ってるから。」

確かにね、そうつぶやくと彼女は大げさにため息をついた。
見つけたら報告するよ。
いるといいね、と励ましてくれた。

私たちはカフェを出た。
カツカツ音を立てて歩く彼女の横を歩きながら、彼女は素直でいい子だな、と思った。

2010年10月11日月曜日

少しは考えろや

「どなた様宛にFAXすればよろしいでしょうか?」
と聞かれて

「では、わたくしアンドウ宛にお願いします」
と答えると

「アンドウ様の漢字は『安い』に『藤(フジ)』でしょうか?

と聞かれることが本当に多いんですが。

人の名前聞くのに、「安い」って言葉を使う神経が信じられない。


「安心の『安(アン)』に『藤(フジ)』です。」



おぼえとけー!

2010年10月10日日曜日

金木犀のおかえり

最終の新幹線で長野から帰ってきた。
わたしの住む街、東京。

自宅マンションまでの道を、ひとり反省しながら歩く。
人を励ましに行って、励ますことの難しさを知る。
深い悩みを聞いて、私も一緒に悩む。
あなたは、偉いね。一人で、とてもよく頑張っている。
それしか言葉にならなかった。

そんなの誰にでも言えることだろう。
わざわざ長野まで行って、それしか言えなかったけれど
それで伝わることを祈る。

なんてちっぽけな自分なんだろう。
力のない自分なんだろう。

大雨の中、ふわっと風が吹いて
金木犀の甘い香りがした。
「おかえり。おつかれさま。」
わたしに、そう言ってくれたようだ。

またあの子に会いに行こう。

2010年10月5日火曜日

動機

よく一人で空を見た。
寒い冬の朝のベランダ。冷たいサンダル。肺が痛くなるほど白い息。
よく一人で星を見た。
寂しさのかたまりのような硬い光だった。
よく一人で風に吹かれた。
ひとりぼっち、というささやきが聞こえた。

半年間、言いたいことを結局何も言わなかった。
言えなかった。
ただ、ひたすらすべてに耐えた。
打算的でありながら、非常に忍耐強くもあった。
とにかくさびしかった。
よく一人でに涙が落ちた。
一日の中に、永遠の寂しさが凝縮していた。

自由のない生活。
喜びのない生活。
希望のない生活。

入ってきた場所にもう出口はなかった。
出口のない生活。

自力で飛び出してくるしかない最終手段。
少し思慮深くなったわたしは、後足で誰かを蹴ったりしないように気をつけた。

そして、いまここにいる。

あの時、言わなかった言葉たちは消えてなくならなかった。
力づくで、ぐっと飲み込んだ半年分の自己主張は、わたしを無口にしたけれど
ある時、ふと気づく。
語られなかった言葉たちを語る場所をつくろう。
葬り去られたあの悔しさ、あの悲しさ、あのつらさ。
誰にも打ち明けられない正直な気持ち、誠実さ、真剣さ。

わたしは「つらい」という体験をした。
「悲しい」も「寂しい」も「助けてくれ」もセットで味わった。

半年後に、わたしはすべてを希望に変えた。
ものすごい馬鹿力を出して、自分を変えた。環境を変えた。
今まで言えなかった何もかもを
「い・や・だー!」の3文字に変換して叫ぶ。
半年分の忍耐は、猛烈な突破力になった。

それで、いまこうして笑っている。

よし、何か書こうという気になった。
言葉にならない喜び、語りつくせない希望、声にならない寂しさ。
そういう言葉たちをさがしている。

葬り去られたすべてを
抱きしめるように書きたい。

2010年10月4日月曜日

よき読者です

小説?
んなもん、書いてみりゃいいんだよ。
書きゃ分かるんだよ。

と、スランプで何も書けない女流作家が言い、

だいたい、自分の小説を書くのに他人の小説を読んで勉強するって軟弱だなぁ。
人の書いたもの真似しようったってろくなもんじゃない。
僕がもし小説を書くとしたら、誰のものも読まずにさっさと書くけどね。
小説を書く勉強?んなもんしなきゃ書けないとしたら才能ないんだよ。

と、失業中のバーテンダーが言いました。

ふん、ほっといてくれ。
別にいくら本を読んだっていいじゃないか。
世の中にこんなにすばらしい小説が山ほどあふれているというのに
こっちはその上まだなにか付け加えようとしてるんだ。
余計なものかもしれないし、どっかで見たことあるようなものかもしれない。
それでもまだなにか言い足りないことがある、わたしのなかには。
それを文字にして伝えたいから、こうやって勉強してるんですよーだ。


美しい文章、書きたいじゃないか!
心に突き刺さる言葉、創りたいじゃないか!
なにがわたしを感動させ、なにがわたしの心に突き刺さるのか。
もっともっと詳しく知りたいじゃないか。
感動を持ってしか感動は伝えられないと思うから。
さあ、感動しよう。
いまなら心を開いて小説の中の物語に溶け込めるんだ。
そんなチャンス、逃すわけにはいかないでしょう?

いろんな人が本の中からわたしに語りかけてくる。
いましか聞けないその言葉を聞いてみたい。
静かに、じっくりと、物語を聞くんだ。

自ら語りだす前に。