2011年4月10日日曜日

対決と武器

真夏のある日、大学院の研究室を訪ねた。
知り合いのツテで紹介してもらったのは、
細身の色あせたブルージーンズに着古したチェックのシャツを着た院生の男の人だった。
覇気もなく爽やかさもまったくないが、ある程度の清潔感は感じられた。

互いに挨拶をして簡単な自己紹介をした。

「私は法律学部の2年生です。しかし法律のことはほとんど勉強していません。国際政治と紛争解決に興味の中心をおいています。国際政治の授業以外には、経済と心理学と、統計、歴史の授業などをあれこれ取り、だんだん自分でも何の勉強をしているのか分からなくなっています。いま哲学に興味があります。わたしに法律の勉強は不向きです。文学部に転部しようかと先輩に相談したところ、あなたを紹介してもらいました。あなたは哲学を主に研究していると聞きました。それでここに来たのです。」

わたしの質問は要領を得ない。
それでも男性は静かに注意深く聞いていた。

「なるほど。」

短い相槌のあと、彼は思いをめぐらすようにわたしから目をそらした。
その午後はよく晴れていて外では蝉がうるさく鳴き散らかしてた。
空調はほどよく利いていたが外から来たわたしにはまだ暑かった。
ここは別世界のように静かだ。
研究室の本棚に並んだ厚みのある背表紙の本たちは威厳を保つようにじっと動かないでいる。
わたしの目の前に座っている彼もまた動かない。
彼と本たちは暑さを感じないのだろうか?
そらした視線が再びわたしの顔に戻ってきて焦点が合う。
彼はわたしに質問した。

「哲学といってもさまざまな分野があります。あなたは何に興味がありますか?」

わたしは答えを用意していない。
彼はわたしが答えるのを待っている。しばらくの沈黙。
いつまでも待っている姿勢を崩さないようだ。
諦めてわたしは答える。

「わたしには哲学がよくわかりません。科目では歴史が特に好きなのです。E.H.カーの『歴史とは何か』を読みました。するとそこに『歴史とは過去と現在との対話である』と書いてありました。これは哲学だと思ったのです。直感です。」

彼はそのまま黙っている気配を示していた。
わたしは次にしゃべる言葉が見つからない。
無理やり言葉を続ける。

「先日、大学に『紛争解決学』という新しい科目ができました。その授業を聞いていると、わたしの知りたいことは、人はなぜ争うのか、ということだと気づいたのです。具体的な解決の方策ではありません。もっと根本的な問題です。わたしが考えたのは『価値』や『基準』です。そのことのほうが知りたくなったのです。それで哲学は実際にその問題をどう捉えているのか、それを確かめたいのです」

わたしは迷いながらも一気にしゃべった。
舌がもつれ、自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。
分からないことを口にするのは少し恥ずかしかった。


「わたしの研究しているのは『存在』についてです。だからあなたの疑問に答えるのは難しいかもしれない。」

「存在とはなんですか?」

「では少しだけあなたに秘密の問いを教えます。哲学が何を語っているのか、です。」

平坦な声でゆっくりと話す。
わたしは息を整えて待つ。


「痛みとは何か知っていますか。あなたがたとえば怪我をする。血が出る。痛みを感じる。痛みを科学的に説明すると脳内に『ある物質』が分泌されていることが分かる。その分泌された物質はあなたに『痛み』を与える。しかし『痛い』というものは現実的にどこにも存在しないのです。痛みの原因物質は特定できても、あなたが感じる『痛み』を科学的に見つけることができません。いま僕が『お腹が痛い』と言う。あなたは僕の痛みを見ることは絶対にできません。お腹のどこがどのように痛いかを詳しく説明すれば、その痛みをある程度想像できるかもしれない。自分の経験したお腹の痛みを思い出すこともできる。医者に行けば、痛みの原因は食あたりだ、と説明するかもしれない。しかし僕の痛みは僕にしか体験できない。あなたにも、医者にも、他の誰にも、僕の痛みを体験することは不可能です。他者の存在はここでは完全に切り離されています。痛みはどこまでも孤独なものです。ここまでは分かりますか?」


彼は言葉を区切った。
またわたしの答えを待つ。
しかし今度のは短い沈黙だ。わたしはすぐに答えた。

「分かります」

「この大学では・・・僕がこういうことを言っていいのかわかりませんが、そういうことに鈍感です。なぜなら他者の痛みを自分の痛みとして『同苦』することを推奨している教えがあるからです。しかしやはり他人の痛みを自分のものにすることはできない。『同苦』することが不可能だと言っているんじゃありませんよ。ただ、それは『完璧に別のもの』なのだと言いたいのです」


わたしは「なんとなく分かる」という言葉の代わりに
小さくうなずいた。


「同じように、『愛』もこの世のものではありません。誰も『愛』を見ることはできない。表現することはできます。しかし現実に『愛』そのものは存在しません。それはどこからくるのか?」


ここで再び一呼吸する。
彼は空間に発せられた言葉がわたしに染み込むのを待っている。
言葉は静かだけれども炭火のような熱を帯びている。
少し考えたあと、結局空白の頭のままでわたしはまたうなずく。
すると次の言葉が始まる。


「心はどこですか?心臓や脳をいくら医学的に切り刻んでも『心』は出てこない。なのに、なぜわたしたちは心を持っていると言えるのでしょう?現実的な存在は無いのに、あると感じるのはなぜでしょう?痛みや愛、心はこの世のものではないのです。しかしどこかにあります。いやあると言えるかどうかは分かりません。しかし人間はそれを『ある』と感じるのです。哲学はそのような問題を取り上げています。」


わたしには何の答えもない。
それは彼のひとり言のように感じた。
押し付けがましさがまったくなかったからだ。

彼の言葉はふっと問題を作り出し、それを空間にそのまま残しただけで
わたしにどうしろと要求しているのではなかった。
物事を他人と共有しない彼のその態度は、冷たいようにも見えて、
わたしが感じる哲学という得体の知れないものの不思議さに似ている。

もう帰りたくなった。
一刻も早く彼の前からいなくなりたい。
衝動的な現実逃避がわたしを襲った。

「もう少し考えてみます」

適当なお礼を述べて部屋を出た。
外気の陰湿な暑さがわたしを現実生活に引きずり戻した。
さっきまで居た場所が異次元世界に感じられた。


そして結局わたしは転部しなかった。
難解な哲学書も数冊ななめ読みして最後は投げてしまった。

しかしこの時は気づかなかった。
すでにわたしはある冒険に出されてしまったようだ。
それは最終的に得体の知れないものと対決するしかないという厄介な冒険だ。
おそらくまっとうな生活を望む誰もが、忌み嫌って避けるべき道だ。
なぜならそれは芸術家の仕事だからだ。


それをわたしは今日まで知らず知らずに歩んできてしまった。
賢明とも馬鹿ともいえない選択を繰り返した挙句、
どうやらここまで着てしまった。ダンジョンの入り口。
まだまだ先は長そうだ。
わたしは付近をさまよってようやく入り口を発見したにすぎない。
だが、それが「どういう種類の入り口」かは分かる。

そして幸か不幸か、得体の知れないものとの対決に際して
わたしは言葉という武器しか持っていない。

孤独な戦闘に向けて
唯一の武器、自分の中の言葉を鍛えるしかない。

3 件のコメント:

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