2010年5月7日金曜日

クレーム②

2010-63

己の不運を嘆いたことはほとんどありません。
なぜって、不運とかツイてないとか感じないからだと思う。

わたしは仏教徒なので、基本的に物事は「縁起」によると考える。
すべては「縁りて起こる」。
偶然とか不運とかラッキーとかそういうものではなく、
何かの縁に触れてそれが起こってくる。
子供の頃からそう考えてきたので
不可解な出来事や理不尽な物事に直面したときに
自然と「何か意味があることだろう」と感じる。

非のないわたしへのクレーム自体はまったく理不尽だけど
なぜこれほど赤の他人に非難されるのか、をしばらく考えていたら
やはりとても意味があるように感じてきた。

接客業を長く経験してクレームも何度かいただいてきたけれど
今回は、いままでとは違う感覚で受け止めた。

とりあえず、わたしは怒られる必要があったのだろう。
理不尽に怒られたかったのかもしれない、何かの結論へ到達するために。
もしくは単純に「理不尽さ」を経験するための出来事だったのかもしれない。
もしくは「仕事と責任」について考えるための足がかりを必要としていたのか。
「怒り」について考えようとしていたのかもしれない。
または「謝罪のあり方」について考えるつもりだったのかもしれない。


「わたしの何か」が縁となって「相手から引き出した怒り」をどう考えるか。
たとえ自分が悪くなかったとしても、人を怒らせる、人から怒られる。

理不尽な怒りについて悔しい気持ちも少しはあるけれど
自分が相手から引っ張り出してきた「怒りのタネ」を大事そうに持ち帰って
鉢に植えて水をかけてどんな芽がでるのか本気で考えている。
わたしは結構たくましいかもしれない。


決して恨みに変えないように、ポジティブにとらえる。

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