2010年5月9日日曜日

ロシア文学の素晴らしさ

2010-66

ドストエフスキー「貧しき人々」読了。
これは彼の処女作だ。

ロシア文学の素晴らしさ!
今更ながら唐突に気づかされた。
大学生時代のわたしにはまったく理解できなかったのだ。
貧しい、ということが。

19世紀末のロシアは本当に貧しい。
極寒の地で、作物はなく、港も凍る。
なのに裸足で歩かなくてはならないほど
人々はあまりに貧しいのだ。

「貧しき人々」の主人公とその周囲の人々もまた極貧だった。
この小説の主人公たちは極貧からスタートし、
さらに一層貧しく困窮していく。
どんどん貧しくなっていく。
ボロボロの衣服を着ていることに後ろ指差されても構わず、
愛する人のために惜しげもなく自らのお金を使っていた主人公が
物語が進むにつれて本当にどうしようもなく貧しくなっていくのだ。
貧困の脅威。

キリスト教(ロシア正教)である彼らは、
極限状態で神の存在とその力を疑わざるを得ない。
救いうようのない貧しさが、
悪魔のように彼らの正しき思想を捻じ曲げようとする。

人間が、その人間性を失う限界まで苦悩し葛藤するのだ。

その苦悩と葛藤の様子が
これほどまでに鮮明に表現されているからこそ
ロシア文学は素晴らしいのだと思う。

それは、貧しいということに関しての文学的表現の限界のようにも思える。
ヒューマニズムの極地。


「どうか不幸のなかにあっても高潔で毅然とした人間であってください。
貧困は悪徳にあらず、ということを覚えていらしてください。
それに、自棄を起こすことはないではありませんか。
こんなことは、何もかも一時的なことです!」

(「貧しき人々」光文社古典新訳文庫p220)



そしてこれが結論となる。



身を削られるような極貧を体験する中で、
二人の主人公が結局知り得たのは単純な真実である。
幸せをもたらすのはお金ではない。
人生に喜びを与えてくれるのは、
互いの不幸を思いやり相手の幸せを心から喜ぶことのできるような隣人をもつことなのだ。

 (訳者あとがきより)


皆さんはそんな隣人をもっていますか?
わたしの答えは、「YES」です。

0 件のコメント:

コメントを投稿