2010年5月10日月曜日

仏壇

2010-67

夕方、母からメールがきた。

「電子レンジ、物置にあった。
捨てちゃったと思ってたんだけど忘れてたみたい。
ごめんね。もう買っちゃった?まだなら送ろうか」

送って送って~!
と即座に返信。
電子レンジはずっと必要と思っていたけれど購入は後回しにしてきた。
心に決めたことがあったからだ。

2月の大雪の日にスーツケースひとつで東京に舞い戻ってきた。
当然部屋にはなにひとつない。
しかし、一番最初に買うと決めていた「あるもの」を買うまでは
決して何も買うまい。
どんなに不便でもどんなに必要でも。

そのあるものとは、仏壇だ。

読んでいる人は驚くかもしれない。
もしくは身内の不幸を心配してくださるかもしれない。
それ以上に、大丈夫?と心配されるかもしれない。

ここで必要以上に、自分の宗教について書くつもりはないが
世間一般では黙殺されている「信仰心」というものを
わたしが強く心に持っているということだけ書いておく。
つまりわたしは外国人と話していて
「自分はブディストだ」と自信を持って言える日本人のひとりだ。

仏壇購入への決意には、それ相応のさまざまなストーリーがある。
そして、今のわたしでなければ買えない。

仏壇は線香やろうそくを買うのとは違う。
それ相応の決意がなければ買えるものではない、
ということは無宗教の人でもある程度想像がつくでしょう。
わたしは仏壇購入を心で強く願った。
形にこだわっているのではなく、信念を形にして自分の目の前にドーンと据え置きたかったのだ。

仏壇はまさに自分の宗教的信念の体現となるものだ。

ここはとにかく「順番」が大事なのだ。
最初に買うと決めたものから順番に買う。

強き信念の前では、不便さはある意味問題ではない。

ガンジーは占領下のインドでイギリス政府が統治を強めるために
塩の専売を開始すると即座に「塩の大行進」を始めた。
インド独立を認めないイギリス政府からは何も買わない。
それがたとえ生命維持に不可欠な塩であっても。
塩?それなら海まで行って自らの手で作ればいいのだ!という話。

わたしの信念とガンジーのそれとが同じとは言い難いが、
とにかく不便がなんだ。
自分で決めたルールは死守しなければならない。

就職が決まったら仏壇を買うと心に決め
採用通知がきた次の日に購入に踏み切った。
カードでしか買えない金額だったが
それは働いて少しずつ返せばいいだけの話だ。

そしてわたしの計画では、次はようやく電子レンジだった。
こと電子レンジに関して言えば、
安価で簡単な機能のもので良いと考えていた。
最低限あっためることができればいい。

でもそれは次の給料が入ってからの話だと算段していた。
どれだけ安くても、収入が安定するまでは安易にお金を使えない。
だから今後1ヶ月ほどは電子レンジのない生活を続けるつもりでいた。

その電子レンジを買わなくて済む、という母からのメール。
なんとも不思議な気持ちになった。
なぜこのタイミング。

必要なものが向こうから歩いてやってくるような感じもするし、
仏壇買うまで物置で知らん顔していて、タイミングよく出てきたとも思える。
普通の人なら「ラッキーだね」で済ますレベルかもしれない。
もしくは「運が悪いね、もっと早く見つかっていれば不便な生活をしなくて済んだのに」と言うかもしれない。

こんな風に言われるとき、
人生には幸運と不運のどちらかしかないように聞こえる。

しかしわたしはそこに何らかの
意味なり示唆なりを見つけたいと常々考えている。

仏壇買ったら電子レンジがもらえた、となると
値段がぜんぜん釣り合わないじゃないかと笑われるだろう。

必要なものが必要なタイミングで現れるということを
「ラッキー」以外の言葉で表現すると
「何かの恩恵にあずかった」とも言える。
キリスト教徒なら真っ先に神に感謝すると思う。

わたしは、というと…
「順番に間違いがなかったんだ」と、安堵した。
自分のルールに少し自信をもった。

そして、やはり願えば叶う、と確信した。
人生は願ったとおりになっていくんだ。

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