2010年5月19日水曜日

僕が僕であるために

2010-




死ぬほど寂しそうな顔をして歌う彼の表情を見ていて
涙が出てきた。
こんなに全部をさらけだしてしまったら
きっとすごく痛いだろうに。
そう思ったら、自分の心まで痛くなった。

おこがましいかもしれないけれど
もし生きて出会っていたら、
何とかしてその孤独を救ってあげたかった。
そんなふうに思いながらこの歌を聴いた。

正しいことが何なのか、いつか分かる日がくる。
そう信じて歌う彼の純粋さが深く鋭く胸を打つ。

今のわたしは
寂しい歌を聴いても、寂しくならない。
昔よく聴いていた尾崎豊の曲を聴いて
自分が変わったことに気づく。
感傷は、もう必要ない。

現実の世界で戦う。
明るく、明るく、どこまでも明るく生きる。

3 件のコメント:

  1. 名前忘れた2010年5月20日 10:51

    こんにちは、フーズオピニオン読んでました。
    懐かしさと戸惑いを感じながらのコメントです。

    今は時間がないので、単文にて、

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  2. 名前忘れた2010年5月20日 10:58

    単文、、、短文でした。

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  3. 尾崎はよく聴いてました。今も時々、聴きかえすことがある。
    私生活もボロボロで病にも冒された時に、ついに倒れた尾崎と、底から這いあがった桜井の違いは何だろうと考えます。

    月並みになってしまうけど、それはどんなに落ち込んでも力を与え合える同志がいたかどうか、という気がする。

    長く生きて、新しいものを生み出すのも良し。
    短く生きて、その輝きを後世に残すのも良し。

    どちらが良いという問題ではないかもしれません。
    僕には本当の意味での同志はいない。
    日々、仕事で関わる子供たちの未来を信じて精一杯働くけれど、死ぬまでに関われる人数なんて、せいぜい10万人。何百万人にも声を届けられるアーティストには敵わない。それでも僕は僕の場所で、前を見て進むことにします。

    http://www.youtube.com/watch?v=bs0QFyc7Cro

    http://www.youtube.com/watch?v=AiTUtP_nrXQ

    http://www.youtube.com/watch?v=aTJMiIzyrU0

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