2010年10月21日木曜日

「武器よさらば」ヘミングウェイ

しばらく本を読んでもページが進まなかった。
考えることが多すぎて、考えても仕方ないことまで考えたりして。
お昼休みもぼーっとしたりして。
さて、おぼつかないながら集中力を取り戻し始めました。




第一次世界大戦のことはほとんど何も知りませんね。
日本人だからでしょうか。
この小説の舞台はイタリアですが、イタリア人が戦うというのもわたしにはいまいちピンときません。
小説の中では、撤退しながらスパゲッティ食べたりしてわりとのんびりしています。



「負ける話はやめましょう。もういやになるほどききました。この夏の傷手は、決してむだではなかったはずです」


おれは何も答えなかった。
おれには苦手な言葉というのがある。
たとえば、神聖とか、栄光とか、犠牲とか、むだとか。
そういう言葉を耳にしたことはある。
ときには、ざんざん降りの雨のなかで、怒鳴り声しかきこえないようなときにきこえたりする。
また、そういう言葉を読んだりすることもある。
たとえば、何枚も上に上に重ね貼りしてある古びた広告ビラなんかでだ。
しかし、いままでに一度も神聖なものなんか見たこともないし、栄光あるといわれているものは
ちっとも栄光などなかったし、犠牲なんて、論じるほどの価値もなかった。
そんなきくにたえない言葉ばかりが増えていくと、きいていられるのは地名くらいということになってしまう。
あとは数字とか、日付とか、地名といっしょになった数字や日付くらいしか、口にして意味のあるものはなくなってしまう。
栄光とか名誉とか、勇気とか神々しいとか、そういった抽象的な言葉は卑猥だ。
それは、村の名前とか道路の番号とか、川の名前とか、部隊の番号とか日付といった具体的な言葉の横に置いてみればすぐにわかる。


「神聖」や「栄光」や「犠牲」や「むだ」という言葉。
戦争が意味のないものだという主人公の気持ちをあらわしているように思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿