2010年9月15日水曜日

生きる。

生きているのが苦しいという場合、それを「生き地獄」という。

地獄ってなんだ?
誰か見たことある?
天国だって、見たことないのにさ。
死んだ後の記憶のある人に聞いてみたい。
どんな世界か話してくれるかしら?
でも、気をつけろ。
嘘をついてるかもしれない。

地獄は概念だ。
実際に地獄という場所も世界もない。太陽系に存在しない。

人間は生きていてとことん絶望する場合がある。
それが地獄だ。
失恋して生きてるのが嫌になったとき。
病気で苦しいとき。
借金に負われて逃げられないとき。
いじめられたとき。
最悪の喧嘩をしたとき。
ひとりぼっちのとき。
大事な人を失ったとき。

苦しくて苦しくてどうしようもない。
そんなとき、生命の状態がまさしく地獄となる。

なぜ、そんな目に遭うのか?

それはわからない。
過去(世)によっぽど酷い行いをしたのかもしれない。
むしろそうとしか考えられない。
因果応報だ。
原因があって結果が生ずる。
悪い結果があるなら、自分が悪い原因を作っていたのだ。

誰かのせいにするところから変な宗教が始まる。
ここは要注意だ。
誰のせいでもない。それは、自分自身の問題だ。
火のないところに煙は立たないのだ。
憶えていなくても、原因は必ず存在している。
今の自分が生まれる前の、前世の話かもしれないだけだ。
前世だろうが来世だろうが、自分は自分だ。別の誰かになるわけじゃない。
良くも悪くも「自分」をずっと生きているのだ。

じゃあ、どうすればいい?

作ってしまった過去は変わらない。もう変えようがない。
何をしたかも憶えていない。
だからといって、先祖を供養するだの、水子の霊がどうしただの、守護霊が弱いだの、
風水的に黄色がいいだの、大殺界だのって
まるで見当はずれだ。
欲の皮の厚い奴らの、金儲け主義に、だまされるな。


答えはひとつ。
弱い自分に負けないことだ。
地獄にいる自分を励ますことだ。
死んだからって、地獄から開放されるわけじゃない。
地獄の生命の状態は、自分がそれを変えない限り、どこまでも続くのだ。

自分の掘った落とし穴に自分ではまったのだ。
自力で這い上がってその穴を自分で埋めるしかない。
間違っても、その穴に誰かを道連れにしようとしたり、他人も落ちろと念じてはいけない。

悪環境に勝つことだ。

決して負けないこと。そして最後に勝つこと。
あなたは勝てる。絶対に勝てる。負けるわけがない。
腹の底から「勝つ」と決めるんだ。
弱気になるな。感傷はいらない。勝った姿を思い描いて。さあ、前を向け。
勇気が出る。
知恵がわく。
道は必ず開ける。
人生は強気で行くんだ。
それが「生きる」ということだ。

これだ。

これが言いたかった。
これを世界中に言わなければならない。

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