生きているのが苦しいという場合、それを「生き地獄」という。
地獄ってなんだ?
誰か見たことある?
天国だって、見たことないのにさ。
死んだ後の記憶のある人に聞いてみたい。
どんな世界か話してくれるかしら?
でも、気をつけろ。
嘘をついてるかもしれない。
地獄は概念だ。
実際に地獄という場所も世界もない。太陽系に存在しない。
人間は生きていてとことん絶望する場合がある。
それが地獄だ。
失恋して生きてるのが嫌になったとき。
病気で苦しいとき。
借金に負われて逃げられないとき。
いじめられたとき。
最悪の喧嘩をしたとき。
ひとりぼっちのとき。
大事な人を失ったとき。
苦しくて苦しくてどうしようもない。
そんなとき、生命の状態がまさしく地獄となる。
なぜ、そんな目に遭うのか?
それはわからない。
過去(世)によっぽど酷い行いをしたのかもしれない。
むしろそうとしか考えられない。
因果応報だ。
原因があって結果が生ずる。
悪い結果があるなら、自分が悪い原因を作っていたのだ。
誰かのせいにするところから変な宗教が始まる。
ここは要注意だ。
誰のせいでもない。それは、自分自身の問題だ。
火のないところに煙は立たないのだ。
憶えていなくても、原因は必ず存在している。
今の自分が生まれる前の、前世の話かもしれないだけだ。
前世だろうが来世だろうが、自分は自分だ。別の誰かになるわけじゃない。
良くも悪くも「自分」をずっと生きているのだ。
じゃあ、どうすればいい?
作ってしまった過去は変わらない。もう変えようがない。
何をしたかも憶えていない。
だからといって、先祖を供養するだの、水子の霊がどうしただの、守護霊が弱いだの、
風水的に黄色がいいだの、大殺界だのって
まるで見当はずれだ。
欲の皮の厚い奴らの、金儲け主義に、だまされるな。
答えはひとつ。
弱い自分に負けないことだ。
地獄にいる自分を励ますことだ。
死んだからって、地獄から開放されるわけじゃない。
地獄の生命の状態は、自分がそれを変えない限り、どこまでも続くのだ。
自分の掘った落とし穴に自分ではまったのだ。
自力で這い上がってその穴を自分で埋めるしかない。
間違っても、その穴に誰かを道連れにしようとしたり、他人も落ちろと念じてはいけない。
悪環境に勝つことだ。
決して負けないこと。そして最後に勝つこと。
あなたは勝てる。絶対に勝てる。負けるわけがない。
腹の底から「勝つ」と決めるんだ。
弱気になるな。感傷はいらない。勝った姿を思い描いて。さあ、前を向け。
勇気が出る。
知恵がわく。
道は必ず開ける。
人生は強気で行くんだ。
それが「生きる」ということだ。
これだ。
これが言いたかった。
これを世界中に言わなければならない。
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