2010年9月23日木曜日

本物の馬鹿

「獄中記」(佐藤優著)を読んでいて、馬鹿の由来についての発見。

中国の始皇帝が死んだあと、秦の第二代皇帝・胡亥(こがい)は日ごろから側近政治に頼っていた。
その側近として実力者であった趙高(ちょうこう)は権力の簒奪を考えて
自分の力がどれくらいあるかを知るために、ある実験をした。

趙高はある日、鹿に鞍をつけて、皇帝にこう言う。
「皇帝、この『馬』にお乗りになってください」と。
皇帝はこれを見て「何を言う、これは馬ではない。鹿だ」と答えた。
そこで趙高は
「では皇帝、宮中の大臣たちを呼んで、これが鹿であるか馬であるかを尋ねてみてください」と言う。
言われたとおりに皇帝は大臣や貴族を呼んでこの質問をしたところ、
なんと全員が「これは馬です」と答えた。
その答えを聞いて、皇帝は鹿と馬の区別について真剣に悩むようになった。
これを見ていた趙高は「俺に逆らう者はいない」と確信したという。

全員が「これは馬ではない、鹿だ」と分かっているにもかかわらず
皇帝に向かって「これは馬です」と嘘をついた。
それは実力者(影の権力者)である趙高を恐れたからであった。

ここで面白いのは、
馬か鹿か区別がつけられない(=知性が低い)のが「馬鹿」という言葉の意味ではなく、
鹿を見て「馬です」と答える(=不誠実、保身)者について本来「馬鹿」というのだそうだ。
知性や能力の問題をいうのではなく、誠意や良心の問題であるということだ。

つまり権力におもねる不誠実な人間こそが本物の馬鹿者だと呼べるのだ。
そう考えると、わたしの周りには馬鹿者が少ないと思う。
誠実な、良心的な人に囲まれて暮らしている。
または自分が馬鹿な人間にならないように。

※語源はいくつかあるようです。

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