2010年9月20日月曜日

「グレート・ギャッツビー」スコット・フィッツジェラルド/村上春樹訳

村上春樹の一番のお気に入りの本。
この小説に出会わなければ、僕は小説家になっていなかった、とまで言わせる
至上最高の作品(もちろん彼にとって)。
それが「グレート・ギャッツビー」なわけだが、わたしには深く感じ入るところは何もなかった。
このところ注意力が散漫なせいか、「非常に美しい」と賞賛されるその風景描写も
わたしの眼前には味気ない灰色の景色としか映らなかった。

所詮、他人の好きな本だ。
わたしはまた別の人間なのだ。

人に薦められた本には得てしてこういうことがよくある。
わたしが大学生の頃、とても感銘を受けた新書の本「歴史とは何か」(E・H・カー著)を
「なにか良い本を紹介してくれ」と尋ねた友人に気前よく貸したところ、結局その本は戻ってこなかった。
数ヶ月経って「あの本はどうしたの?」と聞いたとき
バツの悪そうな表情で「・・・まだ全部読んでないんだ」と答えた友人の声色で
彼にはまったく面白くなかったのだろうということが分かった。
はやく返してね、といった言葉だけがわたしと友人の間に痛々しい焼印のように押されたまま
本そのものは忘却の彼方に飛んでいってしまった。
さようなら、わたしの愛読書。
(その後、あきらめてもう一冊買ったのは言うまでもない)

要するに、自分の好きな本は自力で見つけるのが一番なのだ。
そのために、(少しずつ見当をつけながら)手当たりしだい大量の本を読むのが手っ取り早い。
この「手当たりしだい」というのはわりと重要なことだ。
選り好みは避けられないけれども、ある程度好きな範囲を絞ったあとは
そこに含まれる膨大な数の本の中から、目をつぶって何人かの作家を手づかみで取り出す。
夏目漱石でもシェイクスピアでもホイットマンでもいい。
とにかく有無を言わずに読んでみることだ。
そしてできれば同じ作家の複数の作品を読むほうがいい。
読む順序は問わないが、気になるなら巻末の著者年表を参考にして
作品の書かれた順番くらい頭に入れるといい。
1、2作読めばそれが自分にとって影響力がどれくらいあるか分かる。
気に入らなければ別の作家に手を伸ばしていけばいい。

肝要なことはとにかく読書をやめないことだ。
可能な限り読み続ける。
いつかガツンと後頭部を殴られるほどの衝撃を受ける作品に出会える。

対照的な言葉だが「一書の人をおそれよ」というのがある。
これは一冊だけしか本を読まない人ということではないと思う。
一冊の書物からありとあらゆる示唆を感じ取れる人は人生のすべてにおいて長じている、
という意味だ。
ふだんまったく本読まない人にも一書の人はいる。
手当たりしだい本を読むわたしはまだまだその域に達していないのだ。


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