2010年9月14日火曜日

「種の起源」ダーウィン

フルマラソンを走るために身体に必要な筋力がある。
持久力、精神力がいる。

同じように、本は、全身で読むものだ。
持久力と精神力が必要だ。

漢字が読めれば本が読めるってわけじゃない。

理解できないものは、人にとって苦しみなのだ。
続けてページをめくることがすごくむずかしくなる。

絵も音楽も、同じだと思う。
トレーニングをしていないとほとんど鑑賞できない。

何の筋力も使わずに観たり聴いたり読んだりできるものもある。
それは、自力では階段を上れない人用のエレベータのようなもの。
力は使わないけれど、力にもならない。

エレベータ本ばかり読んでいると
いつまでも、ちゃんとした本が読めない。
普段から鍛えてないからだ。

そういう意味で、三島由紀夫やトルストイを読める人は限られている。

小説ばかり読んでいると、論文を読むのがつらい。
逆もまた然り。

わたしにとって、「種の起源」がまさにそれ。
読むのがつらい。途中でやめたくなる。
使ったことのない筋肉で、読み続けなければならない。
これはダーウィンの論文であり、ダーウィンの独り言であり、ダーウィンの魂なのだ。
今日は一日、頑固なダーウィン爺さんと格闘している。
こっちの理解に構わず、勝手にどんどん話を進めていく。
まったく会話が成立しない。
知らない鳥の名前をたくさん出してくる。
ダーウィンは何もわかっちゃいない。
この本は、21世紀に、理科の素養の怪しい30歳の女が読むことを想定して書かれていない。

でも一生懸命書いてある。
どうにか説明しようとしている。

だから喘ぎながらも本は捨てない。
なんとか最後まで、
ダーウィン爺さんが何を言おうとしているのか、聞いてみるつもりだ。

そしてこれが最後まで読めたら、もっと科学の本にも挑戦してみよう。

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