フルマラソンを走るために身体に必要な筋力がある。
持久力、精神力がいる。
同じように、本は、全身で読むものだ。
持久力と精神力が必要だ。
漢字が読めれば本が読めるってわけじゃない。
理解できないものは、人にとって苦しみなのだ。
続けてページをめくることがすごくむずかしくなる。
絵も音楽も、同じだと思う。
トレーニングをしていないとほとんど鑑賞できない。
何の筋力も使わずに観たり聴いたり読んだりできるものもある。
それは、自力では階段を上れない人用のエレベータのようなもの。
力は使わないけれど、力にもならない。
エレベータ本ばかり読んでいると
いつまでも、ちゃんとした本が読めない。
普段から鍛えてないからだ。
そういう意味で、三島由紀夫やトルストイを読める人は限られている。
小説ばかり読んでいると、論文を読むのがつらい。
逆もまた然り。
わたしにとって、「種の起源」がまさにそれ。
読むのがつらい。途中でやめたくなる。
使ったことのない筋肉で、読み続けなければならない。
これはダーウィンの論文であり、ダーウィンの独り言であり、ダーウィンの魂なのだ。
今日は一日、頑固なダーウィン爺さんと格闘している。
こっちの理解に構わず、勝手にどんどん話を進めていく。
まったく会話が成立しない。
知らない鳥の名前をたくさん出してくる。
ダーウィンは何もわかっちゃいない。
この本は、21世紀に、理科の素養の怪しい30歳の女が読むことを想定して書かれていない。
でも一生懸命書いてある。
どうにか説明しようとしている。
だから喘ぎながらも本は捨てない。
なんとか最後まで、
ダーウィン爺さんが何を言おうとしているのか、聞いてみるつもりだ。
そしてこれが最後まで読めたら、もっと科学の本にも挑戦してみよう。
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