2010年9月20日月曜日

間違えられた、わたしの名前

「部長、このメールの私の名前、漢字が違っています」
わたしはできるだけ朗らかに告げた。
一斉に流された署内のあるメールに、チームの全員の名前が署名されていた。
そのわたしの名前の漢字が一字だけ違っていたのだ。

よくあることだ。
わたしの名前の漢字は、あまり名前に使われない、という意味で珍しい。
過去に様々に間違えられてきた。
新聞の集金の受領書なんて10年間ずっと間違ったままだ。
「違います」というのが面倒なだけだ。

だから今回も言うかどうか一瞬迷った。
しかし、この手のメールは毎回同じ署名が使われることになるし
いつか勘の鋭い誰かが気づくかもしれない。
そのときに当の本人が間違いを指摘せず黙っていた、となると余計面倒な気がした。
だから、なるべく何気ない雰囲気を装って、さらりと言ってみるか、と思ったのである。
「部長、名前の一字が違うんですが、まあ、よくあることなんですけどね」と。

しかしこれがとんでもない方向へと向かってしまった。

部長はさっと顔色を変えると、深刻に「ええっ!?なんだって!」と大きな声を出し
わたしのデスクまでつかつかと歩いてきてパソコンの画面を覗き込んだ。
そのリアクションの大きさに驚いて、わたしは慌てて言葉を足した。
「そんなにたいしたことじゃないんですが・・・」
少しおどけて笑顔も作って見せた。

すると部長は怒ったような、真剣な表情で「大事なことだ」と言い、さらに怒気を含んだ声で
「ねえちょっと、○○君!キミが作成した全員の署名、彼女の名前が間違っていたぞ!」
怒鳴られた○○さんがビクビクしながら忍び足でわたしのところまでやってきた。

「この文面は、『彼が』作成したんだよ」と強調してわたしに言い、
「ねえ、キミ!人の名前を間違えるなんてとんでもなく失礼じゃないか!」と怒鳴った。
「す・・・すみません・・・」と恐縮して謝る○○さん。

なんとういうか、大変な事態になってしまった。
わたしの一言で、他人が叱られるとは思いもよらなかった。
そこでこの事態の収拾を図ろうと、いっそう明るい声でわたしも応えた。
「いや、あの、ほんと、ぜーんぜんいいんですよ、よくあることなんで!」
するとすかさず部長が「良くない!」と強い言葉で完全否定した。

それから、どういう漢字を書くのか、真剣に尋ねられ、
これこれこういう字です、よくこういう言葉で使われます、と説明した。
部長は「あー、あの漢字だね、分かった。直しておくから」と言った後、
「申し訳ない!」と直角にお辞儀をした。

これにはびっくりを通り越して唖然としてしまった。
なにか他人の大事なものを壊してしまったときのような、非常事態での究極の謝罪といってもよかった。
名前の漢字を一文字間違えることが、それほどの謝罪に値するとは、
当の本人であるわたしだってそのときまで露とも思わなかった。

そして、そう、人の名前を間違えてしまったときは、これ一大事と大げさになるくらい
まさにこれくらい謝るべきことかもしれない、と思い至って感心してしまった。

人によって名前に対する愛着度は違うだろうが、わたしのようによく間違えられるような名前なら、
その間違えられた漢字ですら、もう自分の名前の一部のような気がしてくる。
要するにもう慣れきってしまっているのだ。
そして間違いを指摘するとき、むしろこちらが悪いことをしてるみたいに
遠慮がちに申し出る癖がついてしまった。
間違えた相手が軽く「ごめんね」と言って済むように、あらかじめこちらが気を遣っている。
そんなわけでふた言めには「たいしたことないですから」と言うのだ。


部長のオーバーリアクションは、後から振り返ってみると
とても誠実なものだったといえる。
わたしの名前はある大事な人から名付けられた、とても大切な名前なのだ。
そんなことは普段とくに説明もしないけれど、この名前に恥じない生きかたをしたいと、
ひっそりと固く誓っているのだ。

部長の90度の謝罪にはこんな言葉が詰まっているように思えた。
あなたの大切な名前を間違えてしまうなんて、これほどの落ち度はありません。
どうかお許しください。

思い返して、じんわりと嬉しくなった。
名前の大事さが分かる人がいるんだな。

1 件のコメント:

  1. 部長から上に立つ人間の心構えを教わった気がします
    信頼を得るためにはやはり日々の積み重ねですね

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