2010-48
私は基本、面倒くさがりのダメ子さんだと自覚している。
休日は一秒でも長く布団に入っていたいし、
面倒くさいからトイレも我慢する。
自分ひとりなら料理も面倒だ。
料理するくらいならお腹すいたままでいいや、と本気で思う。
誰にも咎められない生活ができるなら
そうやって狭くてぬくぬくした場所で
永遠にゴロゴロしていたいのだ。
元来のダメ人間っぷりには相当の自信がある。
頑張りが長続きしないくせに、ダメ状態を維持する体力はかなりあるのだ。
そんな私でもものすごく頑張るときがある。
それは自分のためじゃなくて、人のためになるとき。
だからこんなダメ子な私でも世話を焼く誰かが一緒なら
結婚生活はそれなりに充実させられそうだと、
妙に気持ちが先走ったときもあった。
誰かの役に立つことは単純に嬉しい。
喜ぶ顔や声を想像しながら、もっと喜ばそうと思う。
素直にやりがいを感じる。
こんなときはなぜか頑張り屋さんになれるのだ。
小学1年生のとき
お向かいに住む幼馴染の男の子の
「進研ゼミ」を全部解いてあげた。
「やらなくちゃお母さんに叱られる」というから。
「いいよ、私がやってあげる」といってスラスラ解いた。
このとき学校の宿題以外で初めて算数や国語の問題を解いた。
大げさに聞こえるかもしれないけれど私の人生で初めて、
勉強したことが具体的に人の役に立った瞬間だった。
このときの経験が嬉しくて
私の心に強烈な印象として残っている。
それ以来、私は学校の勉強が好きになったと自覚している。
その子はとっても喜んで、私も嬉しかったのだけれど
おうちに帰って、私はママに叱られた。
「○○ くんの進研ゼミ、代わりにやっちゃダメでしょう?」
この意味が分からなくて、泣いて怒った記憶がある。
いま思い出してもなんだか切ない。
人の役に立ったという喜びが消されてしまったから。
役に立つどころか
「○○君のお勉強の邪魔をしたんだよ」と言われて
幼い心には大きなショックだったようだ。
それでも懲りずにまた誰かの宿題をやったり
他人の問題に首を突っ込んだり
役に立ちたくてお節介ばかりした。
お節介だと思われるのもシャクで
必要以上にクールなフリしたときもあったなぁ。
でも、基本はいつも一緒。
誰かのそばで何か役立つ自分でいたい。
それが「面倒くさがりの、がんばりたくない自分」に勝つ唯一の道なのだ。
私は人のためなら頑張り屋になれるのだ。
就職の面接で毎回聞かれる質問
「あなたのライフプランは?
5年後10年後、あなたは何をしていたいの?」
私はつい、決まってこう答えてしまう。
「人の役に立つ自分になりたい」と。
そんなのは答えじゃないと呆れられても。
0 件のコメント:
コメントを投稿