2010年2月18日木曜日

面倒くさがりの頑張り屋

2010-48

私は基本、面倒くさがりのダメ子さんだと自覚している。

休日は一秒でも長く布団に入っていたいし、
面倒くさいからトイレも我慢する。
自分ひとりなら料理も面倒だ。
料理するくらいならお腹すいたままでいいや、と本気で思う。

誰にも咎められない生活ができるなら
そうやって狭くてぬくぬくした場所で
永遠にゴロゴロしていたいのだ。

元来のダメ人間っぷりには相当の自信がある。
頑張りが長続きしないくせに、ダメ状態を維持する体力はかなりあるのだ。


そんな私でもものすごく頑張るときがある。
それは自分のためじゃなくて、人のためになるとき。

だからこんなダメ子な私でも世話を焼く誰かが一緒なら
結婚生活はそれなりに充実させられそうだと、
妙に気持ちが先走ったときもあった。


誰かの役に立つことは単純に嬉しい。
喜ぶ顔や声を想像しながら、もっと喜ばそうと思う。
素直にやりがいを感じる。
こんなときはなぜか頑張り屋さんになれるのだ。


小学1年生のとき
お向かいに住む幼馴染の男の子の
「進研ゼミ」を全部解いてあげた。


「やらなくちゃお母さんに叱られる」というから。
「いいよ、私がやってあげる」といってスラスラ解いた。


このとき学校の宿題以外で初めて算数や国語の問題を解いた。
大げさに聞こえるかもしれないけれど私の人生で初めて、
勉強したことが具体的に人の役に立った瞬間だった。

このときの経験が嬉しくて
私の心に強烈な印象として残っている。

それ以来、私は学校の勉強が好きになったと自覚している。


その子はとっても喜んで、私も嬉しかったのだけれど
おうちに帰って、私はママに叱られた。


「○○ くんの進研ゼミ、代わりにやっちゃダメでしょう?」


この意味が分からなくて、泣いて怒った記憶がある。
いま思い出してもなんだか切ない。

人の役に立ったという喜びが消されてしまったから。

役に立つどころか
「○○君のお勉強の邪魔をしたんだよ」と言われて
幼い心には大きなショックだったようだ。

それでも懲りずにまた誰かの宿題をやったり
他人の問題に首を突っ込んだり
役に立ちたくてお節介ばかりした。


お節介だと思われるのもシャクで
必要以上にクールなフリしたときもあったなぁ。
でも、基本はいつも一緒。
誰かのそばで何か役立つ自分でいたい。
それが「面倒くさがりの、がんばりたくない自分」に勝つ唯一の道なのだ。
私は人のためなら頑張り屋になれるのだ。


就職の面接で毎回聞かれる質問
「あなたのライフプランは?
5年後10年後、あなたは何をしていたいの?」

私はつい、決まってこう答えてしまう。
「人の役に立つ自分になりたい」と。
そんなのは答えじゃないと呆れられても。

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