昨日は「アンナ・カレーニナ」トルストイ著を読み終わって放心状態でした。
私の大事な主人公アンナが自殺してしまって、もうなんだか脱力。
そんな終わりかたって・・・。
あああ、なぜ自殺するんだよぉぉぉ(涙)
だめなの?死ななきゃダメだったの??
読んでない人のために超テキトーにあらすじを書くと、
超美貌の持ち主の貴婦人アンナが、これまた超美男子のヴロンスキーと浮気して
(愛してない)夫と(愛する)息子を捨てて駆け落ちしてしまうんです。
真実の愛に生きようと心に決めて何もかも、すべてを捨てて駆け落ちしたのに
ヴロンスキーのアンナへの愛情が次第に冷めていき・・・
アンナはヴロンスキーがほかの女と浮気しているんじゃないかと疑い、異様に嫉妬し、
嫉妬されるたびに一層ヴロンスキーの愛がどんどん冷めていくのを自覚しながら
愛をつなぎとめることができないのなら、
「後悔することになるわよ」とヴロンスキーに言い残したまま・・・
・・・鉄道に飛び込み自殺。がーん。。。
冷静さと情熱を両方持ち合わせた魅力的なアンナが
最期はロマンチックな悲劇のヒロインになりきるしかなかった。
そんな悲劇のヒロインとなった自分をあざ笑いながら
愛のために生きる、愛を失ったから死ぬ。それだけの単純な理屈で自殺。
くぅぅ・・・阿呆な死に方しやがって(泣)
愛に生きるってなに?
愛に生きてなぜ不幸になるの。
愛といってもそれは、結局のところ自己愛でしかなかったのだ。
ヴロンスキーを愛するのも、彼が自分を愛してくれていたからだし
後半では彼の愛をつなぎとめようと彼女は必死に
「彼が好きな服」「彼が好きな髪型」「彼が好きな振る舞い」をするようになる。
自分に向けられる愛情を極端に要求するようになる。
本来なら自分はもっと多くの人から愛され賞賛されるべき存在なのに、
それでもあなた一人を選んだ、あなたの愛それだけを選んだのにムキー!と嘆く。
つまるところ彼女は自分しか愛していないのだ。
この自己愛。
こんな感じの会話。
(引用ではありませんがこんなシーンがありました・・・雰囲気で書いてます)
「あなた!他の女と浮気してるのね!昨夜もその女のところへ行ってたんだわ」
「おいおい、待てよ。昨夜は○○さんのところへ行ってたんだ、君も知っているだろう?」
(いいえ、この人は嘘をついているんだわ、そんなこといって私をだますつもりね!)
「私がこんな辛い思いをしているっていうのに、あなたは○×△□~!!!」
「じゃあどうしろって言うんだよっ!君をこんなに大切にしてるじゃないか。これ以上僕にどうしろっていうのだ」
「そんなこと言うなんて!あなたは私の辛さがわかっていない証拠だわっ!」
「おいおい、毎日こんなんじゃとても耐えられないよ!」
みたいになっていくんです。
実際ヴロンスキーはまだ浮気はしていない(たぶん)し
彼女に嘘はついていないにもかかわらず
嫉妬に狂うアンナにはすべてが歪んだ世界のようになってしまう。
なんだか遠い世界の話ではありませんよ。
私もこれに似たような気持ちを経験したことがあるし
似たような破滅的な会話をしたこともある。
しかもそれを何度か経験して自殺することなくこうして今も生きているからこそ
「うぉぉアンナ~~~!!なんでホントに死ぬんだよぉぉぉぉ」
と叫んでしまった。
美しい花は枯れてはいけない、美しい花びらを開いたまま
ぽとっ・・・と落ちて消える
的な?!?!
そーゆー思い込み(ナルシシズム)で死を選ぶんだ、嗚呼。。
気持ちはめちゃくちゃよく解るけど・・・愛がそっち方向に行ってはダメなんだ。
自滅しか選べなくなるまで自己愛に走るなんて。
彼女は結局、自分も他人も一切合財すべてを「不幸」にして死んでいった・・・。
本当に、誰一人、幸福になれなかった。
トルストイは彼女の死をあっけなく書いた。
愛を失ったからといって鉄道自殺した彼女の無残な最期に美しさなど
微塵も表現しなかった。
あれほど美しく華麗に描かれたアンナ・カレーニナだったのに。
トルストイはその彼女の死を冷徹なまでにあっけなく書いて彼女の話は幕切れとした。
そこにトルストイの明確な、生死への態度がうかがえる。
愛に狂った末の死。
嗚呼・・・。
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