2010年8月27日金曜日

意識してきれいな字を書く

たまに「きれいな字ですね」と言われる。
クレジットカードのサインや簡単なアンケートなどを書いていると
書いている途中で相手から言われることが多い。

「ああ、それはきっと逆さまで見ているからじゃないですかね?」と言うと
相手は即座に(あるいは、そうかもしれない)という表情を打ち消して
「いやいや、そんなことないですよ」とまじめに答えてくれる。

はっきり自覚しているけれども、わたしの字は決してきれいなほうじゃない。
少なくとも習字のお手本になるような字ではない。
それだのに、きれいな字ですね、と言われることがポツリポツリとあるから不思議なのだ。
でも言われて悪い気はしない。というか、結構うれしかったりする。
だって相当量のお世辞が入っているにせよ、仮に本当に汚い字をみて
「きれいな字ですね」とは誰だって簡単に言えないだろうから。
まあ、ある程度は読める字なのだと思うことにしている。


字をどんな風に書いてきたか、わたしは良く覚えている。
まだ「字を書くという行為」を覚えたての頃、わたしの字は震えるいびつな四角形だった。
「の」や「し」といった単純な丸い形状さえ、大きく変形してカクカクしていた。
字がうまいとかヘタとかの段階ではなく、書くことに悦びを見出していた時代だった。

小学校にあがって、女の子たちの間では急に丸文字が流行りだした。
とにかく何でもまあるく書くのがカワイイと思われた。
マンモスうれピー、というコトバが一大旋風を巻き起こしていたのもこの頃だ。
(・・・懐かしいような、つい最近どこかで聞いたような。。)
とにかくわたしも意識して丸く書くようになった。
そうして自分の書いた丸文字をうっとり眺めたりしていた(かもしれない)。

次にわたしの字に変化が生じたのは、小学校高学年にはいってからだ。
きっかけは友人のノートだった。
彼女の字はどれも規則的にちょっと斜めに傾いていて
それがなんとも言えない大人びた雰囲気をかもし出していたのだ。
俗に言う「癖字」だが、わたしはそんなノートに憧れた。
すぐさま背伸びをするようにわざと字を傾けて書くようになったわたしだったが
友人のノートのようにはうまくいかなかった。
どうにも見栄えが悪い。
原因は自分でもすぐに分析できた。
わたしの字は無意識のうちに、「傾く方向」をコロコロと変えてしまうのだ。
右に傾いていた字は、なぜか次の行では左に傾いている。
なかには文章の途中で突然まっすぐに起立している字もある。
理由はよくわからない。
規則正しく斜めに書きつづけるのはわたしには結構むずかしいものだった。
この頃は、授業を聞くよりもきれいなノートを作ることが大事だったから
授業中にも関わらず、せっかく書いたノートを破って最初から書き直すことが何度もあった。

中学生の時、筆圧を弱くしようと試みた。
ちょっと色の薄い字のほうがなんとなく賢そうに見えると思ったからだ。
なるべく力をいれずにシャープペンシルを持ってサラサラと書く練習をした。
これが全然サラサラなんか書けない。
それどころかフニャフニャした軟体動物みたいな気色悪い字が生まれてくる。
米粒ほどの異様に小さい字にも惹かれた。早速これも試した。
しかしどちらもすぐにやめてしまった。
ダメだ。性に合わない。字と性格は一致するのだ。
消しゴムでは簡単に消えないほど強く書くことしかできない。
大きく幅をきかせて偉そうに居座っている。
それがわたしという人間の字だ。

高校生になると、にわかに略字に偏執した。
略字が妙にカッコいいと思ったのだが、
書道の知識のないわたしには、字の正しい略し方がわからなくて挫折した。
この頃になってどうやらわたしの字はいちおう安定してきた。
そこには誰の真似でもなく、自然に出る字の形状があった。
乱暴な字だが嫌いではなかった。元来、わたしは短気で大雑把なのだ。
まあ、それを個性と呼んでもいいのかもしれない。

大学生になってからはあまり多くの字を書かなくなった。
そうさ、キーボードで打たれる字は誰にも平等にきれいなのさ。
つまり完全なる没個性の時代が来て久しいのだ。
気楽でいい。人前で字を書く恥ずかしさを感じなくてすむ。

そこから10年近く経ってようやく気がつく。
生活の中で字を書くチャンスは自分の名前を書くときぐらいにしかない、と。
もう一生、長い文章を書くことはないかもしれない。
名前ぐらいしか紙に書くものがないのだ。
そう思い当たったとき
よし、それじゃあ、名前を書くときは一筆一筆、真剣に書こうと決めた。

わたしは死ぬまでにあと何遍書くのだろう。
自分の名前である、この5文字を。
名前に恥じない字を書きたいものだ。
そして名前に恥じない生き方をしたいと思う。

だからいつも意識してなるべくきれいな字を書く。
潔い、こざっぱりとした、気持ちの良い字で、自分に与えられた貴重な5文字を表現したい。
それが今のところ、自分というものを表す、すべてだからだ。

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