2010年8月9日月曜日

新しさと古さ

「いただいたチケットがあるから」と友人に誘われ
日本舞踊の公演に行かせてもらった。
第一部は伝統的な日本舞踊の舞を堪能し、初心者ながらその美しさに感動したのだが。

第二部に入るとなぜかアップテンポな歌謡曲が流れ、
短いテーマを元に創作された舞踊が立て続けに演じられた。
曲が変わった途端に伝統美がなんとも薄っぺらく非常に退屈なものに変わってしまった。
台無しじゃないかー!

なぜ歌謡曲で舞う必要があるのか。
一体あれのどこが良いのか。誰か説明してくれーい。
解せない気持ちを抱えて帰ってきた。
見てはいけないものを見てしまったような居たたまれない気持ちだ。
芸術の存続について友人と話しながら帰ってきた。

昨年ドイツに行ったとき、古い劇場でオペラを観た。
幕間に演出家が出てきてなにやら演説を始めた。
ドイツ語を英語に翻訳してもらって演出家が何をしゃべっているのか理解した。

「○○市は今年の議会の決定に従い、
この伝統ある劇場と芸術についての支援を一切取りやめてしまいました。
すばらしい音楽家、すばらしいオペラ歌手、女優、俳優、すばらしい演出家、技術者、
そのすべてがここで生活できなくなり、ほかの都市へと移り住むことを余儀なくされました。
人数の減ったわれわれの一団は、公演する演目を減らさざるを得なくなり、
今日のこの演目も最低限の人数で行っております。
これ以上人数が減れば何も公演できなくなるでしょう。
そして今後わが市ではオペラ公演を開催するために、
他の都市からオペラ劇団を招聘しなければならなくなります。
サーカスのように、季節に一度やってくるその団体を待ち望まなければなりません。
いまこの市の市民の皆様、また近隣の市の皆様は、
伝統的な芸術を親しむ機会を議会によって奪われたのです。
このようなオペラを存続させるのに必要な経費は○○ユーロ、
それを削減することはこの地から芸術を抹消する愚行なのです。
どうか、心ある皆様は今日のオペラを楽しむ気持ちでそのまま芸術を愛し、
この劇場を愛し、存続させるための力にして、政府に手紙を書いてください。
寄付をしてくださいとはいいません。
一言で良いので善良な気持ちから市への抗議をしてくださいますようお願い申し上げます。」

このような話だった。
私はとても感銘を受けた。
「この劇場」の存続と「この地域の芸術」の衰退について
真正面から切実に訴えかけられたからだ。
具体的でわかりやすく、芸術に対する感情移入が容易だった。

次の日、演出家の記事が地域の新聞の一面に大きく載っていた。
そこに住む人々全員の問題として突きつけられていた。
ヨーロッパの人々はこうやって芸術を守ろうとしている。
訴えかけた演出家も、そこにいた聴衆も、新聞を読む人々も一律に
芸術の存続について「我々は考えなければならない」という責任感を持っているようだった。
私は日本と比べていた。

昔、写真家が嘆いた。
「写真展をやっても写真は売れない。日本人はみな、写真はタダだと思っている」
写真は絵画より地位が低い。
絵も売れない日本で、写真なんてもっと売れないという。


「芸術の力」「文化の力」を信じなければ何も残せない。
そこに価値をみとめる力があるかどうかはこちら側の問題だ。
音楽、絵画、舞踊、そこには言葉では伝えきれない有形無形の美があって
美は人間にとって大きな力を与える存在なのだ。
歌謡曲で舞う日本舞踊は新しい芸術・文化として受け入れられるのだろうか?
私の感想は・・・難しいと思った。
新しさよりもっと本来の美しさを追求していってほしい。

0 件のコメント:

コメントを投稿