2010年8月28日土曜日

最悪な朝のひとつ。

大泣きしながら目が覚めた。

最悪な朝のひとつ。

何かの間違いでどこか別の世界に生まれてしまったような、
それも相当酷い世界に放り込まれたに違いないという絶望的な気分を味わう。

そのまましばらく泣き続けた。
均衡を保っていた身体から大量の水分が涙となって流れ落ちた。
どうやら身体は数か月分くらいの涙をいっぺんに流そうと躍起になっている。
この機会を逃してなるものか。泣くのは今だ!と言わんばかりに。
最近わたしは忙しすぎて泣くことがなかった。

人は複雑なことで涙を流せない。
たったひとつかふたつの、ごく単純なことで泣くのだ。
おしめが濡れているとか、おっぱいが飲みたいとか、あるいはその両方とか。
大人になっても人が泣く理由の単純さは変わらない。

わたしが泣きながら目覚めたのはとても簡単な理由だ。


夢の中のわたしは、母親に愛されてなかった。
兄だけが愛されていた。



わたしはおそらく相当根深く、母の愛情を疑っているのかもしれない。
自分は母に愛されていないのではないかという恐怖。
それを疑いようのないものとして決定付けるかのように
平然と母の愛に育まれる兄。

寂しい。そして、憎たらしい。



このテーマで何度似たような夢を見ただろう。
そのたびにわたしは爽やかな一日の始まりを犠牲にして
早朝からしくしく泣かなくてはならない。



誤解のないように言うが、わたしは誰からも虐待を受けたことはないし、
特別に兄だけが可愛がられる家庭でもなかった。
むしろ至極平凡でまっとうな両親によって営まれる、ありきたりの家庭生活だった。

だけどわたしの心の奥にはいつも、同じ場所に同じ分量の寂しさのかたまりがあった。
ちょうど何万年も昔から溶けない南極の氷みたいに。

これから先あと何万年も溶けないぞという強い意志をそなえている。
その寂しい氷のかたまりがコンスタントに冷気を出すので
わたしはいつもそこを意識せずにはいられない。

いったい一人の人間が、
二人の子供を同時に平等に愛することができるだろうか?
一方は男の子で、一方は女の子。
先に生まれた者と、後から生まれた者。
顔も、性格も違う年子の兄妹に、母はどうやって愛情を注いでいったのだろう。

若い母が娘をどのような存在として見ていたのか。
ひょっとしたら、わが娘を心から可愛いと思えなかったんじゃないだろうか。
赤ん坊のわたしが泣くたびに母は無性にイライラしたんじゃないだろうか。

わたしはずっとそのことを考えてきた。

あるとき母はうつむきながら言った。
「あんたを、愛情不足に育てたと思ってる」

もう二度と聞けない、あれが最初で最後の母の告白だったか。

やっぱりそうなのだ。
母は兄のほうに強く愛情を感じた(ている)のだろう。
甘いものを食べたあと、たまに塩辛いものが欲しくなるように
ごく自然に息子を可愛いがり、無意識のうちに娘に冷たい態度をとったとしても
それはそれほど大袈裟なことじゃない。

そう、それは悪いことではない。むしろ母親として自然なことだ。それを責めるべきではない。
要は、わたしにはないものを兄は持っていたのだ。
妹よりも愛される何かを持っていたのだろう。
あるいは兄には妹より多くの母親の愛情が必要だったのかもしれない。


そういう理由で、わたしも兄にないものを持っている。
溶けない南極の氷のかたまり。
わたしにとって重荷でもあり、美徳でもある。
厄介な永遠の謎だ。

恨んだりしているわけではない。
悲しみの8割くらいはすでに受容して、その扱い方もわかっている。
そう、今朝みたいに、たまに一人で泣けばいいのだ。
あとは笑って過ごせる。
そのぶん、わたしは兄よりクールなのだから。

1 件のコメント:

  1. 妹も兄である私も、
    お互いに自分は親に愛されていないと
    ずっと思ってきました。

    先日妹が話していた言葉の中に、
    偶然そんなメッセージが入っていました。
    近いうち妹とゆっくりと誤解を解きたいと思ってます。

    もしかしたらこのTWITTERをあなたのお兄さんが読んで、
    何か打ち解けるためのプランを計画中かもしれませんね。

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