2010年8月30日月曜日

「彗星物語」宮本輝

宮本輝にしては珍しいタッチだな、「寺内貫太郎一家」物語かと思った。
長い割りに気楽に読める小説。

ある家族に、ハンガリー人の留学生ボヤージュがホームステイにやってくる。
1匹の犬と大家族の大騒ぎな物語。
そこに、共産主義と本当の自由、人間としての生き方を織り交ぜる。
うまい。うまいぞ、宮本輝。

3年間の留学を終え、ボヤージュが母国に帰る頃になると
涙で文字が読めなくなる・・・。
もう、あと数ページでこの物語は終わろうとしている。
感動のうちに。惜しむようにページをめくる。

だが、ある行を読んで、一瞬で興ざめしてしまった。
母国へと旅立っていったボヤージュが旅先から日本の家族に手紙を書いてきた。
その、手紙に引用されていたのはまぎれもなく、日蓮の言葉ではないか。
なぜここに日蓮の言葉を入れるのだ。
このホームコメディタッチなあたたかい小説にまったく似合わない。
感動の涙もピタリととまった。
わたしは宮本輝のこういうところが嫌いだ。

小説の最期に、偉人の言葉をポンと持ってくるなぞ創作の放棄ではないか、とさえ思う。
押し付けがましさにうんざりする。
あまりに憎悪の念が深いので、自分こそ大丈夫か?と疑ってしまう。
これを素直に読む人もあるいはいるのかもしれない。
いるのかもしれない。いるのかもしれない。いるのかもしれない。

だめだ、何遍唱えてもそう思えない。

わたし、大丈夫だろうか?

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